第45話 端から見れば穏やかに

 昼休みの時間。教室で待っているとツェラがやってきた。

「鮎川くん、お久しぶりー」

 今朝自宅で別れたばかりだが。

「元気そうでなにより。どう、迷わなかった?」

「うん。なんか懐かしかった」

「懐かしかった?」

「なんか途中でこの道知ってるーって」

「そりゃあ毎日自転車で通ってるからね」

 ツェラは首を振った。

「ううん、そうじゃなくて、鮎川くんと初めて会った日にこの道を通ったことあるって気が付いたの」

「ああ、あの土砂降りの日ね」

 ずぶ濡れのツェラが図書室に駆け込んできたのはほんの数週間前のこと。そのわりにはたしかに懐かしく感じる。

「でね、ちょっと寄り道しちゃおうかなって思ったんだけど、あれーって途中からよくわかんなくなっちゃって」

「そりゃあ何週間も前のことなんて忘れるさ。僕なんて昨日覚えたはずの英単語が今日になったら八割は忘れてるもん」

 いや、九割か。

「迷っちゃいそうだったから引き返したの。でもなんか懐かしかったー」

「そっか。それは良かった」

 空腹を堪えかねた僕たち二人はそれぞれの弁当を提げて中庭へと向かった。


 ベンチには先に教室を出た田村と、そしてネリが腰掛けていた。

 昨日に続いてここへ集まったのは他でもない。これから到来する〈絶望の卵〉への対策を検討するためである。

 とはいえ、なんら有効な案が出せていないことは先に来ていた二人の顔つきからすぐに知れた。特に田村の表情は暗く、近しい人に災厄が訪れるというネリの宣言が再び僕の脳裏に浮かんだ。

 ともかく食うか、と田村がベンチから立ち上がった。どうするのかと思えば、ギブスをはめた右腕に昼食の包みを乗せて器用に結び目を解いていく。

「いいよ、タケちゃん座んなよ」

「俺は平気さ。シーナこそ立ったまま弁当は食えないだろ?」

 なるほどベンチは三人掛けだ。田村は取り出したおにぎりに早くもかぶりついた。怪我を負っている田村に立たせておくのは気が引けたが、けっきょくベンチにはネリ、ツェラ、僕の順に座って昼食が始まった。

 気を利かせたネリが田村の腕からおにぎりの包みを受け取って田村に給仕をするという形に落ち着いた。硬球どころかソフトボール大の巨大なおにぎりを立ったまま頬張る田村の姿はそれはそれで様になっていた。

 ツェラもまた大人しく自分の弁当に箸を付けていた。端から見れば決して賑やかではないがいたって穏やかな昼食の光景に感じられることだろう。

 ひとしきり食事が進んだところで重い口を開いたのはやはりネリであった。

「新たな〈絶望〉のやってくるのは近日中になるかと思われます」

 僕と田村は同時に喉を鳴らした。

「もう少し近づけばもっと正確な時刻まで割り出せるかもしれませんが」

「近日か……」

 田村が独り言のように呟いた。

「敵は着実に近づいています。ツェラ姉さん、具合は大丈夫ですか?」

「うん平気。昨日は良く分かんなくてぼーっとしてたけど、やっぱりみんなと一緒にいる方が元気が出るみたい」

 ツェラは茶色い染みのついたご飯を口に放り込んだ。

「それなら良かった。そして、わたくしたちが検討すべき問題はもうひとつ。誰に〈絶望〉が訪れるかです」

 田村が顔を曇らせた。

「なあネリ。やっぱり俺かシーナ、どっちかの家族とか友人とか、その辺が狙われそうなのか?」

「そうなります。武人さまとシーナさんにはたいへん気の毒ですが……」

 家族か友人……。いまのところ僕には友人と呼べるような存在は田村くらいしかいない。あと家族だとすれば有以さんか小楢か。

 一方、田村にしてみたら野球部やクラスに多くの友人がいるはずだ。可能性から考えて彼が心配するのも無理はない。しかし、こう言っては田村の友人には悪いが彼が本当に心配しているのはおそらく田村にとって唯一の家族である母親のことであろう。田村は味のしない鉱物でも噛み砕くようにおにぎりを咀嚼していた。

「標的がはっきりすればもう少し対策を練れるかと思うのですが……」

「対策というと、その人を僕たちでずっと見張ってるとか?」

「そういう方法も選択肢としてあるかもしれません」

 四人は残り少なくなったそれぞれの昼食を名残惜しむようにゆっくりと口に運んだ。

 これといった善策を打ち出すことが出来ないまま僕たちは昼休みを終えようとしていた。すると、中庭を臨む渡り廊下から声がした。顔を上げるとそこにいたのは意外な人物だった。

「おやおや、こんなところでずいぶん珍しいお二人じゃない」

 黒田叶映が何か意味ありげな笑みを浮かべてこちらへと歩いてきた。

 そんな幼馴染みの様子に何か言ってやろうと口を開きかけた僕に先んじて言葉を発したのは田村であった。

「どこで誰とメシ食おうと勝手だろ」

「いやあ。篠生と田村くんだなんて不思議な組み合わせじゃんって思ってさ」

 僕の隣まで来ると黒田は腰に手を当てて仁王立ちになった。自然と僕はふてぶてしい幼馴染みから見下ろされる格好になる。

「え? ていうかタケちゃんと叶映って知り合いなの?」

「ああ、中学んときちょっと」

「おんなじ生徒会だったからねー」

 へえ。それは初耳だ。

「ま、シーナは俺のマブダチだからさ。黒田みたいな単なる生徒会繋がりとは違うわけよ」

 マブダチという単語は田村のお気に入りらしい。あっち行った、と田村はシッシッと自由な方の手で黒田を追い払った。

「おやあ? 田村くーん、そんなことして良いのかなあ? ちょうど偶然にもあたしはいまお土産をふたつ持ってるんだけどなー。これふたつともあたしが食べちゃおっかなー?」

 そう言うと黒田は手に持っていた紙袋を思わせぶりに振ってみせた。

 紙袋のパッケージにはどこかで見覚えのある気がした。

 あれなんだっけ? と訊ねようと見上げると、田村は驚愕の表情で目を見開き、わなわなと震えていた。

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