第44話 噂はひとりで歩いている

 二日目。


「お兄ちゃん、ゴーゴー!」

 怪我を負っているのが足首なので体を動かせないぶん気力が有り余っているのだろう。小楢が後方から檄を飛ばす。

 本日より小楢を自転車の後ろに従えての嬉しくない登下校が始まった。

 ツェラはといえば不調の原因を知ってしまうと本当に体調を持ち直したらしく、今日から学校に復帰だと朝から張り切っていた。とはいえ自転車に三人乗りの曲芸はさすがに無茶なので後から歩いて高校へ向かうという。道は分かるのかと訊くと何度も通っているから平気だと自信満々の笑顔が返ってきた。

 道のりは登校時間まっただ中。友達同士からかいながら歩く中学生集団の間を自転車の二人乗りですり抜ける気後れもさることながら、あろうことか後ろの小楢が知り合いを見かけるたびにやあやあと声をかける気恥ずかしさが加わる。到着した中学校の校門で小楢とやつのバッグを下ろしたら礼を聞くのもそこそこに急いでハンドルを切り返して再び疾走。ようやく高校へ着く頃には僕のシャツは色々な汗でびしょ濡れになっていた。

 しばらくこれが続くかと思うと心底げんなりする。

 くたくたになりながら教室へ入って自分の席に着いた僕は、はあー、っと深い息を吐いた。どうにも汗が引かないので僕としては珍しくノートを取り出してバサバサと扇ぐ。

 当然だけれどそんな僕の様子に注意を向けるクラスメートなどいるはずもない。それぞれがそれぞれに授業開始までの朝のひとときを楽しそうに過ごしている。

 そうして周囲を見回すうちに、あれ、と僕は微かな違和感に気が付いた。

 教室の生徒は複数人で机の周りに集まって話したり、あるいはスマホに見入っていたりする。なんのことはない、いつもと同じ光景だ。しかし、しだいに明らかになった違和感の原因。それはクラスの全員がどうやら同じ話題で盛り上がっているらしいということだった。集団のかたまりは違えど、皆一様にスマホを手にして、出ない出ないと、そんなことを口にしている。

 ひょっとして通信トラブルでも起きているのだろうか?

 疑問に思ってスマホをバッグから取り出そうと身を屈めたところで後ろから肩を叩かれた。

「おっす。鮎川っち出た?」

 驚いて顔を上げれば三好である。彼は田村の一件以来なにかにつけ僕に声をかけてくるようになっていた。

「あ、おはよう。ええっと、出たって何かあったの?」

「虹だよ虹。鮎川っちとか出んじゃね?」

「虹?」

 元来が人の好い三好は僕の疎さを蔑むことなく彼の言う虹の意味を丁寧に教えてくれた。


 それは例のレイボというアプリに関係することだった。

 通常であればこのアプリでやり取り出来るのは赤や青といった単色である。しかし、最近になって急に学校中の話題をさらうことになったというのが、このアプリでまるで虹のような鮮やかな多色が送信出来るという裏技だった。

 とは言うものの、それがどうすれば可能なのかがはっきり分かっていない。特定のコマンド入力のような一定の条件によるものなのか、あるいはランダムに出現するのかすら定かでないらしい。受信するスマホ側の単なるバグだという説もあるそうだ。

 しかもレイボというアプリは履歴がいっさい残らない仕様のためその画像データすら無く、ようするに人から人へ、口づてで噂のみが広がっているのだという。


「朝からずっとやってんだけどまだうちのクラス誰も出てないんだよね。やばくね?」

 僕はこうした都市伝説の類いは嫌いではない。けれど実際にそんな不確かな情報が、しかもたかだかアプリの色ひとつを巡ってこんなにもクラス中を熱中させるとは。こう言っては悪いが僕はちょっとびっくりしてしまった。

 鮎川っちも出たら速攻で呼んでよ、とまだスマホを取り出してすらいない僕に言い置いて三好はいつもの野球部の輪の中に走って戻っていった。輪の中心では田村が目を瞑って仏像のような顔をしていたかと思うや、せいっ、と一声して指をスマホをスライド。うっすらと目を開いて、やっぱ出ねーわー、と肩を落とした。

 なにがそこまで面白いのだろうかと訝りつつも、一方ではだまされたと思ってと自分に弁解を述べながら僕もいそいそとレイボを立ち上げてみた。送信先は適当に田村を選択する。すると次に色の選択画面が現れた。そこで僕は先の田村のように画面の端から端へ指をスライドさせてみた。画面いっぱいに表示されたのは普通に指を離した位置にあった紫色であった。

 まあそれほどレアなのだったら最初から虹なんて出るわけないか、と送信の確認ボタンでキャンセルをタップ。

 馬鹿馬鹿しいと思いながらも僕は再びチャレンジを試みた。やはり表示されるのは指を離した部分の単色である。

 画面のどこかにポイントが隠されているのだろうか。それとも指の軌道の問題か。あるいはスライドする速度が関係するのだろうか……。

 気が付けばあれこれ考えながら僕はもう何度も画面をタップしており、そうするうちに授業開始の予鈴が鳴っていた。

 しまった、ついはまってしまった。

 誰も僕に注意を向けていないことを知りつつもごまかすように咳をひとつ吐いてから僕はスマホをバッグにしまった。

 白衣を着た担任の北園が眠そうな目で教室に入ってきた。

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