第43話 あたしが後から決めること

 小雨と汗とで前髪をぺったんこにしてぜえぜえ言いながら中学校まで辿り着くと、ジャージ姿の小楢は正門前で友人と楽しくおしゃべりの真っ最中だった。

「やあお兄ちゃん、どーもど-も」

 こちらに気が付いて小楢が手を振った。

「はあ、はあ……。どーもじゃないよ。どうしたんだよ?」

 僕は息を深く吐いて自転車から降りた。

「部活で足くじいちゃってさ。あーでも大丈夫。保健室で湿布貼ってもらったから。でもまだちょっと痛むから後ろに乗せてもらっていいかね?」

 心配し損とはこのことだ。思わず恨みがましい視線を向けたくもなるが、ネリから聞いた〈絶望の卵〉とやらの話は小楢の知る由のないところ。曲がりなりにも怪我をした小楢を恨むのは筋違いだ。

「分かったよ。部活はもう良いのか?」

「うん。顧問の先生に了解とってるから」

 小楢は僕の荷物が下にあることも気にせずさっさとバッグを自転車の前カゴに放り込むと後ろの荷台に跨がった。そんじゃあまた明日ねーばいばーい、と友人たちに手を振るのでただでさえ決まりの悪い僕は後ろを振り返りもせずにペダルを踏み込んだ。

 こうして妹思いの兄はひたすらに帰路を急ぐのだった。

 なぜだろう。いつもツェラを乗せているので二人乗りには慣れているはずなのに妙に足が重い。まだ道のりの半ばだというのに早くも息が切れてきた。

「なあ小楢」

「なあに?」

「お前、なんか重くなってないか?」

 実の兄からの不躾な言葉に腹を立てると思いきや、後ろからはアハハと快活な笑い声が聞こえてきた。

「だってあたしもう中学生だよ。そりゃ昔とは違うよ」

「そっか」

 思い返してみれば小学生の時分にはよくこの妹を後ろに乗せて近所を走り回っていたっけ。いったい何年振りだろうかと考えると思わず気恥ずかしさが募り、僕はハンドルを握る手に力をこめた。

「お兄ちゃん大丈夫? なんかフラフラしてるんだけど」

「うるせえ」

 なぜ心配されねばならんのだ。

「小楢こそ足は平気か?」

「うん。まだ痛いけどね。保健の先生がたぶん骨には異常ないだろうって」

 ふと田村の白いギブスが僕の脳裏に浮かんだ。

「なあ小楢」

「今度はなあに?」

「小楢は運命って信じる?」

「はあっ?」

 数秒間の沈黙の後、ええええ、と妙に間延びした声が後頭部にぶつかった。

「ひょっとしてお兄ちゃん、ついにそういうのが来ちゃったわけ? うわ乙女ー」

 しまった。訪ねた相手が恋に恋する女子中学生だと言うことをすっかり忘れていた。振り返って見ずとも今の小楢の表情は分かる。

「なになに相手誰? 同クラの人?」

「なんでもない。さっきの質問は無かったことにしてくれ」

 名残惜しそうな声を振り切るように自転車を漕いだ。本当にこんな妹に訊ねた僕がばかだった。

 うーん、としばらくしてから小楢がほとんど独り言のように呟いた。

「信じたくなることもあるけど、でもあんま信じてないかな」

 無かったことにしろとは言ったが、ここに話を接いでやるのは兄としてのささやかな心遣いだ。

「半分くらい信じるってことか?」

「半分ってゆうかあ」

 小楢は天を仰いでいるようだった。そういえばいつのまにか雨は止んでいた。

「そういうのってけっきょく後になってみなきゃ分かんないことでしょ。ほんとに運命だったなってことだってあるかもしれないけど、それだって後になってやっぱ違かったって思う場合もあるだろうし」

「ずいぶん都合の良い運命だな」

「そういうもんじゃない? だからやっぱりあたしは信じない! でも白馬の王子様は信じる!」

「ああそうですか」

 呆れつつも吹き出してしまった。いい加減で独りよがりで、でもハチャメチャに前向きなところが小楢らしい。

「で、お兄ちゃんの運命の人って誰? もしかして叶映ちゃんとか?」

「だからそういうんじゃないって!」

 適当に話をはぐらかしながらようやく家に着いた。それからも二階に上がるのに肩を貸したりと何かと小楢の面倒を見て、ヘトヘトになって自分の部屋のドアを開けると僕の〈絶望〉が僕を迎えてくれた。

「鮎川くんおかえり!」

「おお、調子はどうだい?」

 ツェラの存外に明るい声に安堵した。

「けっこう良いみたい。小楢ちゃんも元気みたいね。いま声が聞こえたよ」

「あいつならいつも通りさ。心配いらないよ」

 荷物を置いて僕はイスに腰を下ろした。ひと目見て元気そうだと思ったがツェラの顔にはやはりどこか青白い色が差していた。

「ねえツェラ。聞いてほしいんだけど……」

 疲れを顔に滲ませるツェラに対してこの話をするのは酷ではないかとも思った。けれど、いずれ話さなければならないと僕は昼間ネリから聞いた〈絶望の卵〉の話をした。

 ツェラは特に驚いた様子も見せず、僕が話し終えるのを待ってから小さく頷いた。

「ツェラにも分かってたのか?」

「ううん。でも少し前からなんかヘンな感じがあるなとは思ってたんだけど……」

 ツェラは僕の目を見て力なく笑った。

「ほら、わたしちょっと鈍いから」

「ツェラ……」

「でもね、ネリちゃんの話聞いたらわたし納得した。原因さえ知っちゃったらなんか元気出てきたかも! その悪い〈絶望〉がいけないのね。だったらそれをどうにかすればいいんじゃん!」

 ツェラは立ち上がって拳をブンブンと振った。

「いや、ネリはその〈絶望〉を止めることは出来ないって……」

 ツェラは拳の素振りを止め、キリッと僕の目を見据えた。

「わたしはツェラ姉さんだよ。なんとかなる!」

 なんの根拠も無いその言葉には不思議と信じてみたくなる力がこもっていた。


 夕食時、有以さんの心配をよそに小楢はご飯を三杯もお代わりした。

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