第39話 問いかけと白球
「今日は俺もシーナに立ち会ってもらいたかったのよ。シーナには審判になってもらいたくてね」
「審判?」
田村は自分のバッグからスマホを取り出した。
「なあシーナ。ツェラちゃんには何か人間には無い特殊な能力が備わってたりしないかな?」
あまりにも意表を突く問いだった。過去に書かれた文章を現実に繰り返すというツェラの能力について、いまこの場で田村に説明をすべきかどうか僕には判断がつかなかった。なにしろ僕じしんもその能力の意味するところを掴みかねているのだ。
「あーいいんだいいんだ。別に言わなくても」
「そうかい……」
田村は僕の戸惑いを先回りして押しとどめた。どこか宙ぶらりんになった気もするが、僕はホッと息を吐いた。しかし、安堵の息も吐ききらぬうちに田村はこう続けた。
「実はうちのネリにも能力があってね」
そう言って田村はニヤリと笑った。
「え……」
「といってもツェラ姉さんのものとは異なりますが」
皆の視線を集めたネリがピンと背筋を伸ばした。そしてこう言った。
「ある事柄にスポーツのルールを適応する。それがわたくしの能力です」
「おお……」
僕は思わず感嘆の声を漏らした。
しかし、次の瞬間にはその声の由来がネリの堂々たる威厳につられてのものであり、話の内容にはいまいちピンときていないことが分かった。
スポーツのルールを適応する……。どういうこと?
「ま、見てなって」
田村はスマホをテーブルの上に置いた。この画面は何度か見たことがある。そう、あのレイボというアプリの画面だ。
「俺のところに〈絶望〉がやってきたあの日、例の幼馴染みの部長からレイボが届いたんだよ」
「うん」
「何色だったと思う?」
「えっと……、怒ってるから赤とか?」
しかし、田村が指し示したそこには何色も表示されていなかった。いや、正確に言えばそれは白だった。部長から田村の元に届いた色は真っ白だったのだ。
「あいつはさ、実はピッチングよりも昔から俺にバッティングを教えてくれたんだよ」
「へえ、そうなんだ」
「投げるのは出来たんだ。でも打つ方は一人の力ではどうにもならなかった。小学校の頃なんて俺ほんとバッティング苦手でさ。夕方、こんな真っ白な球が見えなくなるまであいつは何度でも俺に球を放ってくれたものさ。それがだよ、俺がこんな状態になってもまだ球を投げて寄越すとはね」
田村はネリに目で合図を送った。ネリは小さく頷くと静かに目を閉じた。
「さて、最後の打席だ。審判、しっかり見届けてくれよ」
「最後の……」
大きな指がスマホの上を滑った。そうして現れたのは目の覚めるような黄色だった。
「これは次の大会の分」
そう呟くと田村は画面をタップした。シャイーンと音を立てて黄色が流れていった。
レイボで黄色という色を送ることが何を意味するのか僕にはいまいち分からなかった。僕とツェラはただ神妙に田村のスマホを見詰めていた。
程なくしてそのスマホが音を立てた。画面に表れたのはまたしても空白のような白だった。
「二球目。これは俺の分」
田村はまたも黄色を表示させた。それはシャイーンと流れていった。
隣のネリはじっと目を瞑り、何かに集中している様子である。
「なあシーナ、知ってる?」
「何を?」
「野球のバッターのカウントってあるだろ。ストライクとかボールとか。あれって昔は上からストライク、ボール、アウトだったんだよ」
「へえ。そういえば今はボール、ストライク、アウトの順だっけ」
「そう。あっちの方式に合わせたんだ。テレビなんか見ててもそう。上から順番にボール、ストライク、アウト。緑、黄色、赤。まあそっちのが自然だよな」
田村は小さく笑みを浮かべた。
スマホがまた鳴った。三番目、つまり三球目もやはり白だった。
「でもってラスト」
田村の表情が引き締まった。何かを堪えている風でもあった。
「これは凜乃の分」
三度目のシャイーンという音が四人の耳に届いた。部長へと送られたのはまたしても黄色だった。
四人を取り囲む沈黙はとても長いように思われたけれど、それはほんの数十秒のことだったかもしれない。誰も声を発しなかったし、身動きひとつしなかった。ネリは目を瞑り、残りの三人は田村のスマホに視線を貼り付けていた。
スマホが光り、着信を知らせる音が鳴った。
そこに僕たちが見たのはこれまでの真っ白とは異なる、息を飲むほどに鮮やかな色だった。
それは赤だった。
田村は目を細めてその色に見入っていた。やがて口をきゅっと引き締めるとまぶたを閉じ、ふうっと大きく息を吐いた。そして、顔を上げてネリの横顔を見詰めた。
ネリが目を開け、田村の視線に応じた。
それから田村は正面を、つまり僕とツェラへと向き直り、ニカッと笑った。
「スリーストライク。バッターアウトだ」
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