第36話 底に潜んだ赤い衝撃
「えっと、三好くん、さっき野球部のみんなと部室行ったんじゃなかったの?」
「あいつらは部室だけど俺は便所」
「さっき? トイレなら僕も行ったけど。いた?」
「いたよ」
三好は事も無げに答えた。ああ。あまり深く掘り下げてはいけないところらしい。
「部室あちいんだよねえ。無駄に混んでるし」
三好は早々と弁当の包みを解き始めた。
ツェラを見上げると意味ありげな顔でにやにやと笑っていた。きっと彼女なりの気遣いなのだろう。弁当は一人で食べると決めているわけではないし、余計なお世話と責めるほど僕はひねくれていない。
三好は弁当箱のフタを開けた。先日のカレー敷きライスを思い出した僕はその中身を恐るおそる窺った。するとそこに詰まっていたのはごく普通のカツ丼ならぬカツ弁当であった。
「わ、美味そ」
「だろ? じっさい美味いんだなこれが」
三好は舌なめずりまでしてみせた。
「だがよ鮎川っち。これがただのカツ弁だと思ったら大間違いよ」
「え?」
三好は手にした箸をカツの中央に突き刺した。まさか下にはまたもカレーが敷かれているとでもいうのか?
しかし、こちらの予想を裏切り、というよりも予想を凌駕して弁当箱の底から現れたのは大量の紅生姜であった。尋常な量ではない。ほとんど白米と同量ではなかろうかという膨大な赤い塊がカツの上にまで噴出した。
「すごいね……」
「だしょ? この季節になると弁当も傷みやすいじゃん。だからそれの防止も兼ねてカツ丼の薬味的な意味合いと一石二鳥ってやつ? やっぱうちの母ちゃん天才だわ」
言っていることは理解できるが、それにしても僕が驚いたのはその薬味としては常軌を逸した量と、それをなぜわざわざ白米の下に入れるのかということで、まあ、これもあまり深く訊かない方がいいのだろう。
すぐ横ではツェラが目を輝かせていた。見ようによってはイチゴシロップをかけたかき氷のように見えなくもないが、その味を想像すれば自然と口の中に唾液が溜まってくる。たぶん正しいのは僕の方だと思う。
ゴクリと喉を鳴らしてから僕も気を取り直したように自分の弁当を広げた。ツェラも気を取り戻したようにいそいそと自分の食事の準備を始めた。ちゃっかり誰も居ない席からイスまで持ってくると机の横側に座った。
こうして三人の昼食が始まった。
三好はほとんど一心不乱といった様子でカツ弁をかき込んでいる。ツェラもまた負けじと口を動かしている。僕は僕で三好に話を振るきっかけを掴めず、かといってツェラに助け船を求めるのも気が引け、おのれの弁当をひたすら口に運んでいた。
いっそ何事も無く昼の休憩時間が終わってもそれはそれで良いのかもしれないと僕が思い始めた頃、その想定を破ったのは三好だった。
「そういえばさ」
三好はメインを食べ終え、本来は薬味であるはずの紅生姜を頬張りながら言った。
「うん?」
「こないだ武人ちゃんとどんなこと話たん?」
まさか三好の方から田村のことに触れてくるとは思いがけず、僕は一瞬おののいた。
「えっと……、まあ普通かな。なんか補習のこととか」
「そっか。武人ちゃんがあのファミレスにいるなんてビックリだったからさ。超レアだと思って」
「え、野球部はたまに行くんじゃないの?」
このあいだ見た彼らはそうとうあの店に行き慣れている雰囲気だったが。
「俺らはね。けど武人ちゃんはさ、ほら、母ちゃんと二人暮らしだったりするだろ」
「そうなんだ」
田村の家庭事情など僕が知るはずもなく、僕は努めてさりげない風を装った。彼の精一杯のファミレスのおごりに激しい後ろめたさを覚えた。
「あの後、あ、武人ちゃんの入院の後ね、俺らってあんま武人ちゃんと話してねえじゃん。鮎川っちとの組み合わせもレアだったけど」
やはりこの三好ですら田村との会話を避けている、ないしは避けざるを得ない状況に立たされているのだ。
「あれかな。やっぱり野球部の部長さんとか怒ってるわけ? タケ……、田村くんがピッチャー出来なくなって」
僕は念頭にあった言葉を口にした。
「ああそりゃあもう。激おこ。ブンブン丸」
「そうなんだ。前から仲良くなかったとか?」
「いいや。そんなことないよ。むしろ逆っていうか」
「逆?}
「だって幼馴染みだもん」
田村と部長が幼馴染み……。
「部長さんって三年生だよね?」
「だよ。でも武人ちゃんは特別っていうか、二人は昔から野球チームで一緒だったんだって。もちろん部の中では敬語だよ。でも終わったらお互いタメ口だし、他の部員もそれは暗黙の了解ってやつで」
そんな仲だとしたらなぜ部長は田村に対してそこまで怒り、部長命令とやらで部員にまで田村との交流を禁止するのか。むしろ幼馴染みだからこそと考えるべきか。それにしてもあまりにも陰湿な仕打ちではなかろうか……。
僕はううむと唸った。
それにさ、と三好は話を続けた。
「武人ちゃんと部長と、あとぶちょうとと、三人で全国ってのが昔から夢だったらしいのよ。かっけーよな、なんかそういうの。マジでタッチとかそういうレベル」
「え、なんだって?」
「タッチ。鮎川っち知らない? ちょっと、ちょっとちょっとって」
「いや、それは知ってるし、たぶんそっちのタッチじゃないと思うんだけど。その前の田村くんと部長と、あともう一人」
「ぶちょうと」
「ぶちょうと?」
「部長の妹。そんでぶちょうと」
なるほど。
「へえ。妹さんも野球部なんだ」
「いま一年でマネージャー。んでさ、ここだけの話なんだけど武人ちゃんが怪我したじゃん? そしたらそのぶちょうとまで部活辞めるとか言い出してさ」
大量の紅生姜が口を滑らせるのか、三好はおそらくデリケートな内部事情まで話してくれた。
僕は少し躊躇ったけれど、思い切って三好に疑問を投げてみた。
「あのさあ、もしかしてなんだけど、田村くんとそのぶちょうとって付き合ってるとかそういう関係なの?」
一瞬きょとんと目を丸くした三好だったが、箸を持ったまま大袈裟に顔の前でブンブンと手を振った。
「ないない! いやーそれはないよ。だってうちの部、部内恋愛禁止だもん」
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