第31話 見えてるんだよね?
思いがけない朝吹さんとの接触からようやく我に返り、約束の時刻はもう少し先だよなとスマホを見ると当の田村から先にファミレスに入っているという連絡が来ていた。慌てて書棚に本を戻して図書室を後にし、自転車を飛ばして辿り着いたのは駅前のファミレスである。
小さい頃、まだ四人だった家族と一緒に何度か訪れたことがあるけれど、中学に入って以降は足を踏み入れた記憶が無い。
数年ぶりにドアを押すとカランコロンという懐かしい音がした。
この時間帯はさぞ暇な中高生で混雑しているだろうという僕の思い込みとは裏腹に店内はわりと静かであった。
「お一人様ですか?」
「あ、いえ、待ち合わせで……」
慣れない雰囲気に戸惑いながら見回すと窓際の席で田村が手を上げているのが見えた。
店員さんに軽く会釈をしてから席へ行くと田村の隣にはもう一人の人物が座っていた。黒いゴスロリ風の衣装に鋭い眼光。間違えようがない、田村の妹だ。
「ごめんごめん、遅れちゃって」
「いいよ。補習が意外と早く終わったからさ」
さりげなくツェラを妹さんの正面に座らせてから僕は田村の真向かいに腰を下ろした。田村の妹が一瞬ジトッと射すくめるように僕の方を見たが、すぐに目を伏せた。
「約束通り俺がおごるよ。さ、何でも注文してくれ」
あの日にたまたま通りがかって救急車を呼んだという借りのようなものがあるとはいえ、そこまで親しくもない同級生に何でもといわれてがっつりセットメニューを頼む度胸は僕には無い。
「夕食は帰ってから食べるから平気だよ。それじゃあ、そうだな……。このフルーツパフェってのにしようかな」
「意外とかわいいな、鮎川くん」
田村がプッと吹き出した。
パフェなら隣でツェラがチョコチョコつつくのにも都合が良かろうとの思惑であり、まあ恥ずかしがることもなかろう。一方の妹さんは変わらず強ばった表情をしている。
「ドリンクバーは?」
「あ、じゃあお言葉に甘えてそれも。えと、田村くんはもう頼んだの?」
「俺はドリンクバー単品で良いんだ」
言ってから気が付いたが田村の前には既にドリンクバー専用のグラスがあり、妙な色の液体が底に溜まっている。妹さんの前には水の入ったグラスだけが置かれている。
田村がテーブルの上の呼び出しボタンを押すとすぐに店員がやってきて水の入ったグラスを僕の前に置いた。慣れた様子で田村が注文を述べると店員は古代のケータイのような機械を取り出して業務的な口調で注文を繰り返した。
「以上でよろしかったでしょうか」
「はい」
「ドリンクバーのグラスはあちらにございます」
「わかりました」
店員が言ってしまうとテーブルには沈黙が訪れた。
田村から誘ってきた以上、彼からなにがしかの話があるだろうと当然のように考えていたのだけれど、田村は先ほどから僕の視線を探るようにこちらを見詰めたままじっと黙っている。
なんだ? どういうつもりだろう?
こうなってしまうと僕からも口を開きづらい。横にも緊張が感染したらしくツェラは両手を正しく膝の上に置き、背筋をピンと伸ばして驚いたような顔をしたまま口を噤んでいる。
ドリンクバーくらい取ってきた方がいいだろうか。
そう思いつつ口の中が乾いてきたのでとりあえずグラスの水に唇を付けると田村が向かいでスーッと息を吸うのが分かった。
「見えてるんだよね?」
田村の問いは唐突だった。
「え? 見えてるって?」
「こいつのこと」
田村は隣で俯いている妹を指差した。
「妹さんのこと? ああっと、これは申し訳ない。ごめんよ挨拶が遅れてしまって。僕は田村くんの友……、同じクラスの鮎川です。そうそう、君とは何度かすれ違ったことがあったよね? その時はたまたま声をかけられなくて……」
「平気です。わたくしは気にしていませんから」
真っ直ぐに僕の目を見据えると彼女ははっきりとそう口にした。そして、かすかな笑みを浮かべた。横でツェラがおおーっと感心したような声を上げた。
「あ、気にしてないなら別にいいんだけど……」
どうしようかと困って田村に目を転じると、驚いたことに田村は満面の笑みを浮かべていた。思わずギョッと身を引いた僕に向かって田村は怪我をしていない方の手、つまり左手を差し出してきた。
「良かった。俺は狂ってるわけじゃなかったんだ」
どうやら田村は握手を求めているらしい。しかも彼の目尻にはもはや涙まで浮かんでいるではないか。
拒否することも出来ずに僕は彼の手を握り返した。その大きさにはかつてのエースピッチャーの名残がいまだ消すことが出来ずに残されているようだった。
それにしてもだ。これはいったいどういうことなんだ?
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