第27話 覆われたスパイス
「あら? 今日は弁当じゃなくて購買だった?」
「いや、弁当だけど」
「あっぶねー。じゃあ一緒に食おうぜ」
背もたれを抱える格好でがに股に座った三好は遠慮なく僕の机に自分の弁当を置いた。いったいなぜ彼は急に僕なんかと弁当を食べようと言い出しているのか。戸惑いながら教室を見回すといつも三好と昼食を共にしている野球部の面々が見当たらない。
「あれ、野球部は?」
訊ねると三好は事もなげに答えた。
「あいつらは購買で買って部室で食うんだってさ」
「ああ、そうなんだ」
まだ納得しきれない僕をよそに三好は早々と弁当箱のフタを開けた。驚いたことにキングサイズの弁当箱には白米のみがみっちりと敷き詰められていた。
「え、えと、それだけ?」
あまりの白さに目を丸くする僕を見て三好はふふんっと得意げに鼻を鳴らした。
「飯だけだと思った? だけだと思っちゃった? 違うんだなこれが」
三好はプラスチック製の箸を白米にズブズブ突き立てた。するとその下から黄色い液体がジワジワと染み出してきた。
「あ、カレー」
「そうなのよカレーなのよこれが。ほら、飯の上にカレーかけてくると持ってくる途中でぶわーってなるじゃん? だから飯の下にカレーを敷いてあるわけ。発想の転換っていうか逆に転換の発想みたいな? マジ俺のかーちゃん頭よくね?」
言うが早いかカレーと白米の混ざったものを箸で掴んで、ったくなんでカレーなのにスプーンじゃねーんだよ、マジ俺のかーちゃんわかってねーわ、などと超速の掌返しを呟きながら三好は勝手に昼食を開始した。一瞬だけ戸惑ったけれど、この男には下手な気遣いは無用かもしれない。そう思った僕も自分の弁当箱の包みを解いた。
いただきまー……、と心の中でとなえようとした瞬間、背後からただならぬ視線を感じた。ゆっくり振り返ると、教室のドアから半身を出して僕のことを凝視しているものがいる。他でもないツェラであった。
しまった。忘れてた。
通学時こそ自転車の後ろに同乗してくるツェラだが、やはり授業は退屈と見えて、最近では登校して下駄箱で別れたら中庭辺りをぶらついて適当に時間を潰し、昼休みになると昼食を食べに教室に戻ってくるというのが通例になっていた。
有以さんの朝食の準備を手伝ったときにはちゃっかり自分の弁当を勝手に用意してくるのだけれど、今日は寝坊をしたので昼食前に購買に行ってツェラの分の菓子パンを買う約束になっていたのだった。
いまさら購買へ立つのはあまりにも不自然すぎる。僕は三好に気取られないように後ろを振り返りつつ自分の弁当を食べ始めた。ドアの隙間からツェラが動いた。うわー来た来た。そもそも僕以外の人間には見えないはずなのに体勢を低くして机に隠れながら近づいてくるのはいったいどういうつもりなんだろうか。
「やっぱカレーうめえなー」
ツェラのことが気になって仕方ないが三好も無視できない。
「おお、いいよねカレー。外で食べる本格的なのもいいけど、やっぱり自分ちで作る家カレーが無性に美味しいよね」
「へ-、カレーってそんなに家で作るもん?」
「え? だってそれ、昨日のカレーの残りとかじゃないの?」
僕は三好の弁当を目で示した。
「違うよ。これレトルト」
だったら白米と別にレトルトをパックのまま持ってくればいいんじゃ……。残念ながら僕と三好はまだそんなツッコミを気安く口に出来る間柄ではないように思えた。
僕のもとに到着したツェラは下から机に両手をかけてホラー映画めいた表情で見上げている。ツェラへの言い訳を考えつつ僕は無心に箸を動かしていた。
そんな僕よりも一足先に三好は弁当箱を顔の前に持っていき残りをかっこむ体勢に入った。このまま僕も急いで弁当を平らげれば三好との奇妙な会食もつつがなく終了するはずだった。
「そんでさー鮎川っち」
三好は口の端をカレーで黄色くしたまま僕の顔を見た。
「ん?」
三好の呼び方も気になるが敢えて気にせずに僕は箸を止めた。
「鮎川っちはさあ、武人ちゃんとは仲良いの?」
三好の口から出た思わぬ名前に僕は危うく喉を詰まらせるところだった。
「武人……、って田村くんと? 何で?」
ひょっとして三好は僕が昨日たまたま田村の負傷した現場に居合わせたことを知っているのだろうか。だからといって後ろめたいことは無いはずだけれど、僕の心に不安がよぎった。
けれど、三好が続けて発したのはまったく僕の意表を突く言葉だった。
「前に武人ちゃんが鮎川っちからレイボが来たって言ってたからさ」
「え、レイボ? あのアプリのことだよね。送ってないよ」
「うそマジ? ジーマー?」
「うん、ジーマー」
うっかり口調がうつってしまった。
「武人ちゃんたしかに鮎川っちって言ってた気がするんだけどなあ」
「ていうかそれいつの話?」
「先週のいつだっけな。放課後の部活の休憩中とかだけど」
その時間帯の僕は自分の部屋に寝転んで天井を凝視してるはずなんだが。横で急にツェラがゲフンゲフンとわざとらしく咳き込んだ。ん、どうしたんだ?
「ま、いいや。武人ちゃんがいねえとうちの部も締まんねえんだよなあ。早いとこ戻ってきてもらわねえと」
「やっぱ武……、田村くんは野球部ではすごい選手なの?」
「そりゃそうでしょ。二年なのにうちのエースで四番。もうあちこちからスカウトとか来てんだもん。大学だってスポ薦で余裕だろうしさ。うちの野球部が本気で全国狙えるのも武人ちゃんがいるからっしょ。いまのうちらマジで武人ちゃん様々だよ」
「へえ……」
再び僕の脳裏に苦しげな表情で肩を押さえる田村の姿が蘇る。食道はほとんど溜飲を拒否しているが、僕は無理矢理にも口に白米を押し込んだ。
「お? 鮎川っちどうしたそんなに慌てて。あ、なんか用事とかあった?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」
「わりいわりい、おじゃま虫しちゃって。んじゃ俺もう行くわ」
空の弁当箱を提げて三好はあっさりと立ち上がり、また一緒に食おうよ、と手を振って自分の席へと戻っていった。
残された僕は弁当の残りに取りかかった。考えてみれば僕だって現場に立ち会って病院まで行ったというだけで田村のケガの詳細を知っているわけではない。ひょっとしたら本当にたいしたことなく再びエースピッチャーとして部活に復帰できるかもしれないじゃないか。どちらにせよ僕が心配する筋合いなど無いことなのだ。
有以さんには申し訳ないがほとんど味の分からない弁当を食べ終えるとそれをバッグにしまい込み、僕は空腹のあまり目を回しかけているツェラを引っ張って購買へと向かった。
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