第26話 朝は小鳥のさわぐとき

 翌日。教室のドアを開けた途端に僕の耳に飛び込んできたのはやはり田村の話題だった。

 当然だが僕は昨日のことを誰にも喋っていない。田村本人からクラスの誰かに連絡が行ったのか、それとも野球部からの伝達か。経路は分からないが、いずれにしてもこういう他人の不幸な話というものはどこからともなく伝わって一瞬のうちに思いも寄らないところにまで広まるものである。

「うっわ、やばいってうちの野球部。うっわマジか-」

「入院? 大丈夫なの?」

「次の大会どーすんだよ」

「知らねーよ。うっわ」

 声を高めているのは主に野球部の連中とクラスでも田村と直接交流のありそうな女子グループである。無駄にうっわうっわと騒いでいるのは野球部の三好だ。クラス内ではおちゃらけたムードメイカーという位置づけだが、それが目立ちたがりや打算ではなく、おそらく彼の天然のキャラであるらしいところが奇妙に憎めない。今どきの野球部員としては珍しく丸刈りで平然としている。ゆえに、女子からの人気はいまいちだが男子からは無性に好かれているという愛すべき男だ。

「三好んとこなんか連絡ないの?」

「ねーよ別に」

「野球部の他の奴らには?」

「なんも聞いてないって。うっわ、しかも部長にレイボ送ったらめっちゃ赤だし。檄おこじゃね? 激おこブンブン丸じゃね?」

「ははっ、ブンブン丸って全盛期の池山かよ」

 野球部ジョークらしいよく分からない単語も聞こえるが、どうやら彼らにも詳しいことは伝えられていないらしい。

 昨日目撃した田村の右肩から流れる血液が脳裏に蘇り、僕は自分の席に着くなりブンブンと頭を振った。

 こうしていると嫌でもクラスの会話が耳に入ってくる。そして、その中には昨日リニューアルオープンした駅ビルの話題もちらほらと含まれているのが分かった。どこか聞いたことのあるカタカナが頻出していると思えば、それは小楢の話していた、そして病院帰りの僕がわざわざ店の前まで足を運んだドーナツ屋の名前であった。

「ほんとすっごかったよ行列」

「え、うそっ。買えたんだ? どうだった?」

「もうフロア一周とかしちゃってさあ」

「マジで」

「思ったよりちょー甘くってー」

「あーあたしいつ行こっかなー」

 ほんと行列すごかったよねー、とはもちろん僕は言わない。

 

 昨日、病院の後にスーパーに寄って、せっかくだからとツェラと共に足を伸ばした駅ビルは悪天候にも関わらず驚異の大混雑であった。この町のどこにこれだけの人間が潜んでいたのかと疑いたくもなるほどだ。

 それでも小楢からの情報を元に人の群れに揉まれながらようやく辿り着いた件の店は、辿り着くという以前に店の入り口からの行列が壁沿いにずらっと並び、いくつか角を曲がらなければ最後尾すら確認できない状態であった。しかも群れを成す集団のほとんどがカップルであり、きっとああいう人たちは順番を待っている時間すら楽しくてしょうがないのだろうなといらない想像をさせるに十分で、既に人混みにあてられていた僕はまるで低レベルのうちに間違って物語終盤のダンジョンに迷い込んでしまった気分で口の中で脱出魔法を唱えながら早々に駅ビルを退散したのであった。

 自宅に帰ってから、行ったけど混んでたから買ってこなかったと話したときの小楢の僕に対する怒りと蔑みと哀れみとが入り交じった表情を僕は生涯忘れることがないだろう。


 やがて教室に担任の北園が入ってくるとあちらこちらに咲いていた雑談の花はいっせいにしぼみ、いつも通りホームルームが始まった。

 北園はまず田村の一件に触れた。しかし話した内容は彼が自転車で転んでケガをしたこと、だからしばらく学校を休むということ、それだけだった。

 騒ぎを大きくしないために敢えて詳細を伏せているのか、それとも本当に詳しいことは教師陣にも説明されていないのか。北園の顔色からはまったく読み取れなかった。

「皆もくれぐれも事故には気を付けるように」

 北園は教師のような台詞を付け加えた。


 二年生にして野球部のエースピッチャーであり、真面目で人望も厚い田村はクラスでも強い求心力を持っていた。その席が欠けるというのは教室に一抹の寂しさというか不自然さを生じさせもしたが、もちろん誰もその不自然な感じそのものを口に出すことはなく、出来る限りいつも通りに、つまり穏便に日常は進行していた。

 午前の授業が終わり昼休みが訪れた。

 どうせ友人と約束などありはしないのでのろのろと教科書を片付けていた僕に声をかける者がいた。

「おいっす、一緒に飯食おうぜ」

 前の席のイスが引かれておもむろに腰を下ろした人物がいる。驚いて見るとそこにいたのは野球部の三好であった。

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