第14話 そして空砲は響く

 ジャージ姿がまんま休日のお父さんだと生徒の忍び笑いを誘った校長のありがたい訓示が終わり、続いて体育祭実行委員会による諸注意が壇上のマイクから告げられた。

「くれぐれも熱中症にならないよう水分補給はこまめに……」

 だったら体育祭なんてやらなきゃいいのに、という身も蓋もない僕の愚痴など彼らに届くわけもなく、着々と式は進行していった。宣言というほど大袈裟なものだろうかという疑問もよそに開会宣言がなされ開会式が終わると、校庭にしゃがんでいた生徒一同はみな立ち上がって尻を叩きながらそれぞれの方向へとばらけていった。

 僕もまたジャージに付いた砂を払っていると、さっそくスピーカーから聞きたくない音声が聞こえてきた。

「それでは男子マラソンに出場する選手はトラックのスタート地点に集合してください」

 そうなのだ。競技の開始から終了まで時間のかかるマラソンはどの種目よりも先に始まるのである。いずれ始めなければいけないこととはいえ、やはり第一種目というのは無駄な緊張をあおる。僕は重い足取りでスタート地点へと向かった。

 コースはこうだ。最初にまだ他の種目の行われていないトラックをぐるりと一周する。それから正門を出てしばらくは住宅地を走る。そこを抜ければ両手に水田が広がる農道のような道へ出るのでそこを延々と進んで、ほとんど向こうに見える山の端に触るかという所まで行ったら折り返し、途中で道を折れてやはり農地のあいだのような道をずうっと走ってから再び住宅地を通って学校へ戻る。今度は正門をくぐった先の校庭の端にちんまりとゴールが設置されているので、そのゴールテープを切ったらめでたく終了となる。

 スタート直後のトラックはまだしも、一般道へ出てしまえば応援する生徒などおらず、しかもどのタイミングで誰がゴールするかなんて分からないのでゴール地点でクラスメートが待っているという事態もまるで期待できない。妹の小楢が言っていた地味という言葉も否定しようのない、まあ僕にお似合いと言ってしまえばその通りの種目ではある。

 スタート地点にわらわらと出場選手が集まってきた。観察すると一目で彼らが大きく二分出来るのが分かる。一方は見るからに体育会系のガチ勢、もう一方が仕方なくそこに並んでいる消去法勢である。

 よく見れば前者もまたふたつに分類出来るのが分かる。早くもスタートラインで火花を散らしているのはこの種目で確実に上位を狙っている者たちだ。公正を期すために運動部員は自らの所属する部活と同じ競技には出場できないというきまりがあるのだが、ともあれ運動系の部活で日々汗を流すような彼らは長距離走においても普通に闘える走力を持っているのであろう。こういった体育祭のようなイベントでメインを張っている主役たちである。

 そして、決してトップ争いを演じようという気迫を持っていないながらも、明らかに運動部ですという風情を全身から放っている選手らがいる。彼らはなぜここにいるかと言えば、本来の部活において将来を有望された、いわばそっちがメインの者たちなのだ。主役たちと同様、彼らもまた運動能力的には本職ではないあらゆる競技で優れたプレーを期待できるのだが、それゆえ下手にこのような体育祭ごときで熱を上げてうっかりケガでもしようものなら一大事というわけだ。ゆえに、もっともリスクの少ない、彼らにとっては日常の体力作りに等しいマラソンを敢えて選択しているのである。我がクラスからも二年生にして野球部のエースピッチャーとして活躍する田村という生徒が安全策としてマラソンに出場している。そういった事情を知ったときにはなるほどなあと感心してしまったが、いずれにせよ自分とはかけ離れた世界の話すぎてどうでもいいことである。

 ということで、僕はおそらく自分と同じく色んな意味での消去法によってマラソンに出場することになったであろう他のクラスの選手たちとスタートラインから遠く離れた後ろの方へぐずぐずと並んだ。将来において何の期待もされていないのだから足をつろうが挫こうが問題は無いわけだが、僕らもまた見よう見まねでストレッチなんぞを始めてみる。こんな僕らでも痛いのはまっぴらごめんなのだ。

 そうそう。校舎を出てから僕の前を率先していたツェラであるが、今回のマラソンのコースがどれほど長い道のりであるかを僕が愚痴ると、じゃあ校門のとこで待ってるね、と言い残してさっさと行ってしまったっけ。開会式に興味が無いのだろうか。雰囲気に飲まれてやけに興奮気味だったのが気になる。余計なことをしでかさなければいいが。

 出場選手の確認が済むとピピーッと係の生徒が笛を鳴らした。

 おおっと。第一種目とはいえ急すぎないか?

 マラソンで時間を押すわけにはいかないと分かっていてもいざスタートが予告されるや緊張感が一気に高まった。

 スタート地点に並ぶ全員が身を構えた。先頭のガチ勢ばかりではない。僕の周囲で仕方なくという感じでダラダラ体をほぐしていた選手たちにもにわかに緊張感が伝染し、燃え始めたなけなしの闘争心ゆえに僅かずつ肩を前へ前へとせり出し始めた。

 始まる。始まってしまう。

 深呼吸をすることさえ許されないような予想外のピリピリムードに僕の心臓ははやくも高く波打っていた。もはや逃げられない。


「位置について」


 ピストルを空に向けた女子生徒が号令する。

 スタート地点の空気がピンと張り詰める。

 ああ、始まってしまう。


「ようい」


 来る……。


 パァン!


 無数のシューズがいっせいにグラウンドを蹴った。

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