第48話 人間は善か悪か

 神殿の階段下には悲鳴が溢れていた。避けようのない、無数の刃に晒された兵士たちの悲鳴だ。

 なかには「やめてくれ!」と泣いて懇願する者もいる。でもそれが僕の怒りに油を注いだ。


「うるさい、うるさい、うるさい!」


 握り締めた聖杖からはさらに多くの刃が生まれる。

 大樹の枝のように伸び、しなる鞭のように乱舞している。


「僕がやめてくれって言った時、お前たちはやめたか!? 誰か一人でもやめようとしてくれたのか!?」

「そ、それは……っ」

「誰もやめてくれなかった! お前たちに一欠けらでも良心があれば、こんなことにならなかったんだ……!」

「でも死にたくねえんだよ! お願いだ、許してくれえ……っ!」


 兵士たちは逃げ惑いながら「許してくれ、許してくれ」と叫び始めた。

 耳障りな懇願の大合唱。

 僕は苦悶の表情で叫ぶ。


「今さら許しを乞うなんて……っ! なんて醜いんだ、お前たちは……っ!」


 感情のままに聖杖を振り回す。刃が鋭さを増し、さらに多くの悲鳴が生まれた。

 兵士たちが多くいる方へ、僕は駆け出す。より早く、より迅速に醜い者共を殲滅するために。

 そこへ声が掛かった。


「『ルカ君』」

「……っ」


 一瞬、表情が歪んだ。でも僕は足を止めない。


「後にして下さい、オリビアさん。僕には今、やらなきゃいけないことがあるんです!」

「『人を傷つけるのが……キミのやらなきゃいけないの?』」

「言わないで!」


 目前、兵士のひとりがヤケを起こして斬り掛ってきた。

 僕は対悪魔憑きに備えて体術の修練も積んでいる。

 兵士の剣を聖杖の端で弾き、力任せに蹴り飛ばした。兵士は悲鳴を上げる間もなく吹っ飛んでいく。


「『ルカ君、今、神官のキミが人を蹴り飛ばしたね?』」

「――っ、こいつらは悪者だ! 僕は粛清しているだけです!」

「『キミに誰かを裁く権利なんてあるの?』」

「僕は神官だ! 人を導く義務がある……っ」

「『キミにとって、暴力を振るうことが人を導くことなんだ?』」

「……っ」


 僕の顔はさらに歪む。

 目の前では複数の兵士たちが剣を振り被っていた。目を瞑り、聖杖を思いきり横に薙ぐ。


「邪魔しないでよ、オリビアさん!」


 兵士たちは声もなく吹っ飛んでいった。


「オリビアさんだって見てたでしょ!? 僕が変化したオリビアさんにこいつらが何をしようとしてたのか! あんなの……許せるはずがない!」

「『許す必要はない。でもキミは知らなきゃいけない。それも人間の側面の一つだということを』」

「嫌だよ!」


 髪を振り乱して叫んだ。


「あんな醜い姿が人間だっていうなら僕はそんなもの知りたくない!」

「『でももう知ってしまった。その身で経験してしまった』」

「知りたくなんてなかった……っ。人間は清く優しい存在だって信じていたかった。なのにあんな野獣のような目で欲望に身を投じるなんて……あれなら最初からドス黒い悪魔の方がマシだ!」

「『馬鹿ね』」


 聞き分けのない子供を窘めるような声だった。


「『演劇でも、娯楽本でも、よくある話でしょう? ――悪魔より恐ろしいのは人間だ、なんてことは』」


 でも、と彼女は続けた。


「『だからこそ、私はキミを進ませる。そんなよくある話の――その先へ』」


 ふいに脳裏に浮かんだのは、混乱のなかで聞きこぼしていた言葉。

 僕が男たちに襲われている時、彼女は言った。


 ――あのね……私はこうなることが分かってたんだ。ごめん。


 オリビアさんは分かっていたんだ。

 僕が自分の姿をして出ていけば、兵士たちに襲われてしまうことを。

 シドのところへなど辿り着けはしないことを。

 最初からすべて見抜いていて、その上でわざと僕に変化を勧め、自分の姿にさせて送り出した。


 なんでそんなことを……っ。


 問いかける暇はなかった。

 その前にオリビアさんが言葉を重ねたから。


「『ルカ君、後ろを見てごらん。そして自分のしたことと、その結果を……目に焼きつけなさい』」

「後ろ……?」


 ワケも分からず振り向く。

 背後は神殿の階段。そこには確か……髭面の隊長がいたはずだ。

 振り向くと。


 聖杖の刃に貫かれて、髭面が死んでいた――なんて事態だったならば、それこそよくある演劇の筋立だったろう。


 オリビアさんの言葉を受けて、僕も一瞬、そんな事態を脳裏に描いた。

 でも振り向いた先、髭面は死んではいなかった。死ぬこと以上に、僕を混乱させる姿だった。


「なん、で……」


 こぼれた声は砂礫のように掠れていた。

 僕が弄ばれそうになった神殿の階段下。



 そこで髭面は――身を挺して仲間を庇っていた。



 聖杖の刃から自分の体を盾にするようにして、副官の優男を守っていた。

 僕は限界まで目を見開き、絶叫する。


「なんで悪人のお前がそんな善人みたいなことをしてるんだ――ッ!?」


 少年はさらなる混乱の坩堝に叩き落とされた。

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