第46話 『闇堕ち』―真なる邪悪とは、果たして悪魔か人間か―
悪魔は祓ったはずなのに、襲ってくる兵士たちは止まらない。
髪を引っ張られて前屈みになった拍子に、僕は肩と腕を掴まれてしまう。
「ど、どうして!? なんで正気に戻らないんだ……っ!?」
「『悪魔は彼らを操っていたんじゃない。きっとほんの少し心を押しただけなのよ』」
聖杖はまだオリビアさんと繋がっている。その言葉はすべてを理解しているかのようだった。
でも僕には意味が分からない。
「押しただけ……? どう心を押したらこんなふうに……い、痛っ!?」
激しい痛みに体が強張った。
剥き出しの胸を兵士の隊長が掴んでいた。
柔肉が指の間からはみ出し、胸の形が歪に変わってしまう。
鬼気迫るような顔から荒い息とヘドロのような口臭が吐き出されていた。
「乳、王女の乳……っ。俺は今、王女の乳を揉んでるぞ! この乳は俺のモンだッ!」
悪寒がゾッと背筋を駆け抜けた。全身に鳥肌が立ち、変な汗が噴き出す。
脳裏に浮かんだのは、さっきのオリビアさんの言葉。
――彼らはね、キミの体を欲してるの。
「あ、あ、ああ……っ!」
ようやく理解できた。
自分が今、晒されている状況を。
「や、やめろ! やめてくれ、どうかしてるよ……!?」
とっさに聖杖を振りまわした。動揺のせいでほとんど力はこもっていない。
でもつい今しがた、鋭く光を放っていた杖を警戒し、兵士たちは一瞬手を離した。
「ありえないよ、こんなの……許されるはずがない!」
僕は転がるように駆け出す。
悪魔に立ち向かう時とは似ても似つかない、純粋な逃走だった。
脇目も振らず階段を上ろうとし、でもほんの数段上ったところで、ガクンッとつんのめった。
「待ちやがれ! 抵抗すんじゃねえよ!」
隊長が後ろからスカートを掴んでいた。
引っ張られ、無様に倒れてしまう。胸が階段の段差に叩きつけられ、ぐにゃりと形を変えた。
「おら、こっちを向け!」
「やめろ、やだ、やめて……っ! なんでこんなことするんだ!?」
「うるせえ! お前ら、押さえつけろ! 絶対逃がすなよ!?」
隊長にまた髪を掴まれた。美しいブロンドが無残にブチブチと抜けていく。
他の兵士たちも躊躇なく腕を伸ばしてきて、押さえつけるという体裁で胸を滅茶苦茶に揉みしだかれる。
「服が邪魔だ! 下も全部破いちまえ!」
「嫌だってば! 破かないで! 乱暴しないでよ……っ!」
必死に抵抗し、心の底から懇願した。
でも一切聞き届けてはもらえない。
スカートの破かれていく音は、まるで天を割る雷鳴のように聞こえた。
「へへ、乳はでけえのに足はほっそりしてんだな。堪んねえわ、こりゃ……っ」
舌なめずりが四方八方から聞こえてきた。
男たちが輪になって見下ろしてくる。
恐ろしいことにその顔は――悪魔よりもずっと悪魔のようだった。
唇が震えた。
涙が溢れた。
こんなこと、とても現実だとは思えない。
「『ルカ君……』」
聖杖から声が響く。僕だけに聞こえる、神聖術を介した声。
目の前のことから逃避するように僕は必死に話した。
「オ、オリビアさん……っ。この人たちは……人間ですか? 違いますよね? 人間がこんな邪悪な行いをするはずない。この人たちは……悪魔ですよね!?」
「『あのね……私はこうなることが分かってたんだ。ごめん』」
「え……っ!?」
驚きの声は恐ろしい怒号にかき消された。
「ああ!? 誰が悪魔だ!? あんな薄気味悪ぃ奴らを一緒にすんじゃねえ! 俺たちゃ人間だよ!」
「う、嘘だ……っ。お前たちが人間のはずがない! 人間は……優しく清らかな存在だ! 道を間違えることはあるけど、それでもこんな暴力で欲望を満たそうとなんてしない! だからお前たちは人間じゃ――ぎゃっ!?」
突然、殴られた。
固く握った拳によって、頬が激しく強打された。
「よく聞け、世間知らず」
隊長は拳を見せつけ、噛んで含めるように言った。
「人間は残酷なんだよ。気分次第でいくらでも人間に惨いことをするんだ。それが世の中の常識だ」
「――……っ」
その言葉は殴られるよりももっと深刻に僕を打ちのめした。
人間は……残酷?
そんなわけない。人間は善神が生み出した、光の側の存在だ。エルフほど完璧ではないかもしれないけど、繁栄のための不完全さが残っているかもしれないけど、それでも根っこの部分は愛や慈しみの心で溢れているはずなんだ。
人間が残酷だなんて、そんなわけは……。
「おい、舌噛まねえように服の切れっ端でも噛ませとけ。全員の相手してもらうまで死なれちゃ困るからな」
隊長の命令がどこか遠くに聞こえる。
ドレスの切れ端を掴み、顔の側へやってきたのは副官の優男だった。
「ごめんな、本当ごめんな? 許してくれよ? せめて……死ぬ前に気持ち良くしてやるからさ」
無茶苦茶なことを言う、副官の目にはやはり暗い欲情の色があった。
もう抵抗する気力すら湧いてこない。隊長は鎧を外して下半身を露出し、副官は口に切れ端を押し込もうと手を伸ばしてくる。
僕ははそれらの蛮行を他人事のように見つめていた。
しかし。
ふいに顔が引きつった。
副官のつけているブレスト・プレート。
そこに今の自分の姿が映ったから。
「あ……あ、ああ……」
自分が変化した姿、オリビアさん。彼女が男たちに襲われている。
胸を、顔を、腰を、太ももを、好き放題に触られ、いじられ、弄ばれている。
きれいな肌は擦り傷だらけ。美しいブロンドは泥で汚れ放題。豊かな胸は無数の手で歪に形を変えられて、細い足は舐め尽くされて涎まみれになっている。
自分のことなら諦められた。
でもあの人が汚されるのは――許せない。たとえ何があろうとも……っ。
「じゃあ、まずは俺から一番槍を……失礼するぜ、っと」
「……めろ」
「あ? なんだって?」
隊長が下半身を剥き出しにして、太ももの間に覆い被さってくる。
「やめろって……」
僕は割れんばかりの声で叫んだ。
「言ってるんだよ――ッ!」
その瞬間、光の刃が空を引き裂いた。
聖杖が星の光を刃に変えて解き放つ。形状は単刃の槍じゃなかった。三つ又のトライデントでもなかった。
生い茂る大樹のような無数の刃。
それが輝く宝石部分から無制限に発生し、さらながら嵐のように兵士たちを切り裂く。聖杖の刃は加速度的に数を増し、階段の周囲にいる者たちだけでなく、先遣隊そのものを薙ぎ倒す。
威力は圧倒的だった。
聖杖の光は悪魔を消滅させ、刃は兵士たちを易々と切り裂く。
もちろん本来の聖杖の使い方じゃない。力が暴走していた。
でも刃の嵐の中央にいる僕はそれを止めない。むしろもっと荒ぶれと願い、腹の底から叫ぶ。
「悪魔より醜いクズ共め……っ。報いを受けろ! 血と悲鳴でその罪を贖えええええっ!」
刃が衝撃波を発し、兵士たちを弾き飛ばした。
僕の姿はすでに元の少年に戻っている。
でもまとっているローブは致命的に汚れていた。階段の泥、魔術の爆炎の煤、そして男たちの汗と返り血。まるで踏み荒らされた雪原のように、消えない泥に汚されている。
「知らなかった……っ。僕は知らなかったんだ。こんなにも人間がこんなに醜いなんて……っ! ちくしょう、ちくしょうっ、僕は……」
泥のついた顔に触れ、苦渋塗れの言葉を吐き出す。
「僕は一体、なんのために世界を守ろうとしていたんだ――っ!?」
使い手の苦しみに呼応して、聖杖の刃がさらに勢いを増した。
慟哭が響き、草原は獰猛な刃に彩られていく。
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