第43話 約15分前―それって人を殺すってことですよね?―
神殿は帝国の軍勢から魔術攻撃を受けている。
ロッテさんによれば、次に軍勢はここへ突入してくる可能性が高いという。
相手は一万人の騎士や兵士。こっちは神官と修道騎士を合わせても数十人程度。数が違い過ぎる。
「出来ることを考えましょう」
声を上げたのはオリビアさん。
王女様は暗い空気を変えるように手を叩いた。
「大丈夫。このくらいの窮地なら私は何度も乗り越えてきた。数はちょっと違うけど、盗賊団に待ち伏せされた時だって、私は吊り橋のロープを切り落として盗賊団を全員川に叩き込んでやったんだから」
「え、王女様、そんな大変な目に遭ったことあんの……?」
「そ。だから今回も大丈夫っ」
ネオンさんに片目を瞑り、オリビアさんは続ける。
「ロッテ、ここにくるまでに五千人を斬り倒してきたんだよね? 倍の一万人はどう? いける?」
「ん~、剣折れちゃってるからなぁ……。修道騎士さん、ちょっとアタシに剣貸して。およ、造りは意外にしっかりしてるねー」
そばにいた修道騎士から剣を借り受け、ロッテさんは試し振りをする。
「あ、これならいけるかな。勇者がどれくらい強いかは問題だけど、騎士団だけならたぶん倒せるよぉ。でも悪魔憑いてるからアタシが斬っても復活しちゃうけど」
「それは神聖術でどうにかできない?」
オリビアさんの問いにセシルさんと大神官様が顔を見合わせる。
「悪魔が複数で出てくることは極めて稀じゃ。多くても三体が精々……」
「一万なんて数を一気に消滅させる術はエルフにもない。ただし」
エルフ特有の切れ長の瞳が僕を見た。
「すべての悪魔を祓うと謳われた、神託の子ならば話は別のはず」
「じゃあ、ルカっちが頑張ってくれたらあたしたち助かるの!?」
ネオンさんの表情に希望が浮かんだ。
でも僕は気負ってしまい、俯いた。
「確かに聖杖の第二形態を使えれば、悪魔憑きの軍勢にも対抗できるかもしれません。でも……」
「で、でもって? なんか問題あんの、ルカっち?」
「僕はまだ第二形態の途中までしか力を引き出せないんです」
「ルカっちならきっと大丈夫だよ! 愛と勇気でなんとかなるって! ね? ね?」
「あともう一つ……」
「な、なにさ?」
「僕の神聖術で悪魔を祓って、ロッテさんが騎士団を斬り倒す。それって……」
僕は聖杖をぎゅっと握り締める。
「人を殺すってことですよね?」
ネオンさんは「う……」と喉を詰まらせた。
僕は懇願するように訴える。
「たとえ自分たちが助かるためであっても……人を傷つけるのはいけないことだと思うんです。それはやってはいけないことです」
「で、でもじゃあどうするのさ? 相手は攻撃してきてるし、このままだと神殿に突入してくるかもなんだよ!?」
「話し合いましょう。シドたちと正面からちゃんと話し合うんです」
『祭壇の間』には今も魔術攻撃の轟音が響き、みんなの空気はオリビアさんの案しかないというものだった。
僕はそれを押し留めるように頼み込む。
「相手は僕らと同じ人間です! 心を込めて話せば、きっと分かってくれます。シドは世界を救うのが目的だって言ってました。だったらまだ希望はあるはずです。チャンスを下さい。僕がシドのもとまでいって、もう一度話をしてきますから!」
「そ、そんなこと言ってルカっちが殺されちゃったらどうするのさ!? 相手は殺る気まんまんなんだよ!?」
「相手が襲ってきたからってこっちもやり返したら切りがありません! 僕は信じたい。人間は、世界は――優しく清いものなんだって!」
「ルカっちぃ……」
ネオンさんは心底困った顔をし、「王女様ぁ……」と助けを求める。
オリビアさんは無言だった。代わりにセシルさんが細く吐息をこぼす。
「……仕方ない。そもそもルルーカが悪魔を祓わなければ、この作戦は成り立たない。好きなようにやってみるといい」
「セ、セシルン!?」
「セシルさん……っ」
「ただし無理だと思ったらすぐに逃げること。ルルーカが死ねば、皆も全滅する。自分一人の命じゃないことを忘れるな」
「分かりましたっ!」
「じゃあ、ルルーカ。誓いのお手」
「はいっ!」
子犬にするようにセシルさんが手を出したので、僕は間髪を容れず手を乗せた。
「……よろしい」
ちょっと満足そうだった。
長い耳が嬉しそうにぴこぴこ動いている。
「ルカよ」
「大神官様……」
「お前は……良い子に育ってくれた。その正しさが道を拓くことを儂らも願おう」
深いシワの刻まれた手が頭を撫でてくれた。
そして僕はネオンさんの方を向く。
「ネオンさん……」
「わ、分かったよぉ! あたしだってルカっちが正しいことぐらい分かってるもんっ」
ぐずる子供のように膝を抱えて、ネオンさんは僕の胸をトンッと叩っく。
「絶対生きて帰ってこいよな。あたしを守ってくれるって言ったこと、忘れたら怒るかんね?」
「約束します。必ずシドを説得して戻ってきますから!」
僕は大きく頷いた。
その横ではロッテさんが素振りをし、剣の感触を確かめている。
「ま、ルー君に任せるよ~。働かなくていいならそれに越したことはないしね」
「……ええと、戻ってきたら労働の大切さについて話し合いましょうね?」
最後に僕はオリビアさんと視線を合わせた。
でも彼女はなぜかふっと目を逸らし、ロッテさんに話しかける。
「ロッテ」
「はうん? はいはい~」
「帝国の騎士団はどんな構成だったか訊いてもいい?」
「んー、よくある感じだったよ。軍勢の中央は練度の高い正規の騎士たちで、外にいくほど雇われ兵とか徴兵された訓練兵ばっかり」
「自我はどうだった? つまり……悪魔に乗っ取られてる様子とかはあった?」
「あー、とくにそういう雰囲気はなかったよー。みんな、アタシに斬られて泣きわめいてたし、自我ははっきりしてたっぽい」
な、泣きわめいてたんだ……。
と、僕は居たたまれない気持ちになった。
しかしオリビアさんは違うことを考えていたらしい。頭のなかで整理するように呟く。
「となると……やっぱりこの方法が一番かな」
「オリビアさん?」
彼女はしばらく押し黙り、それからふいに膝を折って、僕へ手を伸ばしてきた。
「ルカ君」
細い手が僕のローブを撫でる。まるでその白さを確かめように。
「私はキミを守ってあげることはできない。だから代わりに……」
そこで彼女は言葉を止めた。何か言いたいことを飲み込んだ表情だった。
それについて訊ねるより早く、オリビアさんはにこっと微笑んだ。
「……代わりに、私が作戦をあげるね」
「作戦、ですか?」
「敵は今も攻撃をしてきてる。でもルカ君は相手を傷つけたくない。となると、あの勇者のところへ辿り着くのも難しいでしょう?」
「あ、確かに……」
「だからね?」
イタズラっぽい顔で言う。
「私に
「変化? オリビアさんにですか……?」
「そ。以前に書庫で私に変化してたよね? あの姿で軍勢に呼びかけるの。正規の騎士は忠誠心が高いから難しいだろうけど、徴兵された人たちならそれで道を開けてくれるかもしれないわ」
オリビアさんは言う。
隣国の第一王位継承者の顔はザビニア帝国の人間たちにも知れ渡っている。
そして王族殺しは大罪だ。それが他国の王族であっても縛り首は免れない。
徴兵されただけの市井の人々ならば、オリビアさんに手を掛けることを躊躇し、道を開けてくれるかもしれない。
「なるほどっ。ありがとうございますっ。その方法でやってみます!」
「あ、私の体でエッチなことしちゃダメだぞ?」
「し、しませんよ……っ」
大慌てで首を振る。
でもすごく良い作戦だった。
以前に鳥になるのはなぜか失敗してしまったけど、オリビアさんにならちゃんと変化できると思う。
程なくして僕はみんなに送り出され、神殿の外に出た。
目的は勇者シドと話をして、彼を説得すること。
僕は変化を成功させ、オリビアさんの姿になって悪魔憑きの軍勢の前に立つ。
でもこの時は思いもしなかった。
名案だと思った、オリビアさんの作戦。
その果てに……まさか生涯最大の絶望を味わうことになんて――。
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