第42話 清き神殿に魔術が降る

 第一神殿のテラスは皆、にわかに浮足立っていた。

 シドが最後通告のようなことを言い、魔術の鏡が消えた直後、軍勢が再び鬨の声を上げたからだ。

 僕は尋常ではない数の悪魔の気配を感じ、草原へ目を向けた。


「な……っ!?」


 騎士や兵士たちが剣を抜き、炎のような闇を発して、一斉に魔術を放とうとしていた。

 草原を警戒していた修道騎士がいち早く叫ぶ。


「皆、神殿のなかへ逃げろ! 修道騎士は聖女様と大神官様の盾となれ!」


 直後、無数の炎が草原から舞い上がり、神殿目掛けて降り注いだ。

 それはさながら炎の濁流。白亜のテラスが粉々に砕かれ、手すりや床の破片が舞い上がる。


「いやぁぁぁぁっ!? なんなの、なんなのこれーっ!」


 ネオンさんが悲鳴を上げた。

 その背をオリビアさんが押し、神殿のなかへと駆け出す。


「オリビアさん!」

「私は平気! ルカ君はネオンを!」

「分かりました! ネオンさん、こっち!」


「ルカっち、怖いいいいっ! あたしを離さないで、絶対離さないで!」

「大丈夫、離しませんから――わっ、おっぱい! おっぱい当たってます!」

「そんなのどうでもいいよぉぉぉぉっ!」


 僕は無詠唱の神聖術で瞬時にネオンさんの背後にまわり、彼女を抱き上げた。

 がむしゃらにしがみつかれ、大きな胸が頬へぎゅーぎゅー押しつけられるなか、素早く神殿のなかへ逃げ込む。


 オリビアさんはさすがの判断力で、いち早く自分が足手まといになるのを回避してくれていた。

 ネオンさんを僕に預けた直後には、もう神殿へ滑り込んでいた。


「セシルさん、ロッテさん!」


 振り返ると、すでにテラスは炎上していた。

 しかし。


「……問題ない。低級悪魔の魔術などわたしには通用しないから」

「アタシもアタシも~。とりあえずそばにいた神官さんたち助けといたよー」


 セシルさんは神霊術で三重の結界を背後に張り、悠然と歩いてきていた。

 ロッテさんはロッテさんで両手に老神官様たちを抱え、ひょいと飛び込んでくる。


 とっさの判断でこの二人は大丈夫だろうと思ったのだけど、幸い、正解だったようだ。

 ほっとして僕は胸を撫で下ろす。


 大神官様たちも修道騎士が連れ込んでくれていた。

 一部、聖女の盾になろうとしていた修道騎士たちが手持無沙汰な顔をしてるけど……うん、まあそれは仕方ない。


 軍勢からの魔術攻撃は続いている。

 テラスと地続きなのは『祭壇の間』で、ここは神殿のなかでも最も厚く作られている場所だ。

 それでも城塞のように外敵に対して堅固に造られているわけではない。

 降り注ぐ闇の炎によって、草原側の壁が見る間にひび割れていく。

 着弾の轟音も鳴り響き、天井からはパラパラと建材の欠片が降っていた。


「……長くは保たんな」


 大神官様は厳しい表情だ。

 みんな、部屋奥の祭壇前に集まっている。

 連綿と続く攻撃が神殿全体を揺らしていて、まるでこの世の終わりのような雰囲気だった。

 そんななか、腕を組み、セシルさんが訊ねた。


「……対策は? 何かしていないの?」

「間者や侵入者への備えは万全だったんじゃがな……よもや軍勢が攻め立ててくるとは予想外でしたわい。これでも善神シルトを奉る神殿。野盗やゴロツキでも、普通は恐れ多くて正面から弓を引いたりはしないものじゃ」

「……なるほど、相手が堕ちた勇者だからこその窮地か。まったく人間は度し難い」


 セシルさんがため息をつく。

 するとほぼ同時に、廊下の方から別の修道騎士が駆け込んできた。


「大神官様! 第七神殿が草原からの魔術攻撃で崩れました! 第八、第九もこのままでは危険です……っ」

「敵は本気じゃな……」


 大神官様は苦い口調であごひげを撫でる。

 状況は刻一刻と悪化していた。セシルさんが耳を動かし、発言する。


「……戦況を整理したい。……ロッテ、といったか。そこの聖騎士」

「わーっ、エルフちゃんがアタシの名前覚えてくれてる。嬉しいよ~」

「……抱き着くな、鬱陶しい。わたしは他者の名前はきちんと覚える。それが『森の民』の流儀」


 抱き着いてきたロッテさんの頬を押し退け、セシルさんは言う。


「わたしは人間の戦争には疎い。だから代わりに考えろ。聖騎士ならば戦争の定石は詳しいはず。敵はこの後、どう出てくる?」

「あ~、うん、そうだねー」


 ロッテさんはあごに指先を当て、考えるように宙を見る。


「騎士団の魔術で攻撃してきた辺り、さっきのドラゴンのブレスを撃つわけにはいかない理由がありそうだねー。勇者の人はなんか色々言ってたけど、三十発撃てるっていうのはブラフかもね。となると、次は騎士団がここに突入! っていうのが定石かなぁ」

「……ここに突入、か」


 セシルさんは顔を顰める。みんな、同じ気持ちだ。

 一気に空気の重さが増した気がした。

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