第32話 幼さは時に空気を破壊する
「ロ、ロッテさん!? 鎧のそれは……っ!?」
「ほえ?」
僕の視線の先、ロッテさんの軽鎧に突如として血のような染みが広がり始めていた。
不可解なことに当のロッテさんも驚いた顔をしている。するとセシルさんが静かに耳を揺らした。
「……落ち着け、ルルーカ。これはこの女の血じゃない。少し時を戻し過ぎたようだ」
「え、時を……?」
僕が聞き返すと同時、テラスに数人の修道騎士が息も絶え絶えに駆け込んできた。
そのうちの一人は輝く水晶球を手にしている。ロッテさんに同行していた騎士たちだ。
「ロ、ロッテーシャ殿、階段も使わずにいきなり跳躍されては困ります……っ。我々が付いていけない……っ」
「そだそだ、ごめんね~。でもほら、敵はもういないし、大丈夫かなって」
敵という言葉。
そして輝く水晶球を目にして、僕ははっと我に返った。
「そ、そうです! 落ち着いて話してる場合じゃなかった! だってロッテさんのくる方向にはザビニア帝国の軍勢がいたはずで……っ」
「うん、いたねー。なんかアタシ目掛けて襲ってきたよ?」
「や、やっぱり……大丈夫だったんですか!?」
「うん。全部返り討ちにしたから~っ」
「か……っ!?」
言葉を失った。
でもロッテさんはなんでもないことのように言う。
「あの規模だとたぶん五千人ぐらいいたかなぁ? でもみんな雑魚だったよ。水の都で暴れてた海竜に比べたらぜーんぜん。やっぱり人間は戦争に向いてないよね~。群れてもたかが知れてるもん。戦ったりせずにみんなでお昼寝してれば平和になるのになぁ」
「ご、五千人? か、海竜?」
ワケが分からない。
すると大神官様が修道騎士たちを労いつつ、教えてくれた。
「ルカよ、お前はまだ知らなかったな。四人目の聖女ロッテーシャ・クラウ殿。彼女は奇跡の聖騎士――伝承を越えた新たな英雄と呼ばれておる」
「伝承を越えた……?」
「うむ、その剣技が水の都にて、ドラゴンを仕留めたからじゃ」
「ドラゴン殺しってことですか!?」
「亜種の海竜だけどねー。ばっさりやったよ~」
ロッテさんは気楽に言う。しかしそれはとんでもないことだ。
ドラゴンは『
小型のドラゴンでも一国の騎士団が総力を挙げて勝てるかどうかという代物で、扱いとしてはほとんど天災に近い。
古い逸話ではある国でドラゴンが空に現れた日、民が死を悟り、全員で一斉に命を絶ったらしい。
唯一、ドラゴンと真っ向から戦える存在がいるとすれば、それは伝承に語られた者たちだけ。
聖杖にて、すべての悪魔を祓うといわれた神官。
聖剣にて、魔王を倒すといわれた勇者。
そして聖斧にて、大陸から魔獣を駆逐するといわれた竜戦士。
あとは同じく魔人の対応者。
伝承の体現者には強固な加護があるため、高位の『
「じゃが、ロッテーシャ殿は単騎にてドラゴンを打ち倒した。善神からの特別な加護があるわけでもなく、ただ己が研鑽により、伝承の領域に辿り着いた。ゆえにこう呼ばれておる、『奇跡の聖騎士』と」
水の都セーファ。
ルドワール王国の西にある、都市国家だ。もともと水系の魔獣が多く生息し、都の防備には力を尽くしている。
ロッテさんはそのなかで遊撃騎士の一人だったらしい。
仕事嫌いなロッテさんだけど、剣技は超一流で、まわりは常に彼女の働きに期待している。
そしてある時、水の都の歴史のなかでも最大最悪の魔獣、海竜が現れた。
本来ならば、その時点で水の都が大陸の地図上から消滅しているレベルの話だ。ドラゴンとはそれほどの脅威だから。でも実に数日間に及ぶ激闘の末、ロッテさんはついに海竜の首を斬り落とした。
「まー、ギリギリだったけどねー。いやぁ、あれは疲れた。その後、一か月ぐらい寝ちゃったもん」
ロッテさんが海竜を打倒した後、魔獣の出現は激減したという。おそらくは海竜が水の都周辺の主だったんだろう。
すごい話だと思った。伝承や加護の後ろ盾もなく、自分の力だけで人の限界を超えた騎士。天才とはこういう人のことを言うのかもしれない。
感心していると、水晶球を持った修道騎士が報告してくれる。
「神殿までの道中、我々は帝国の軍勢に襲われました。事前の通告もなく、まさしく問答無用といった様子で……しかしロッテーシャ殿が瞬時に剣を抜き、『奇跡の聖騎士』の名の通りの活躍を見せてくれたのです」
「……なるほど、わたしが時を戻したことで血が現れたのはそのためか」
「そーそー」
セシルさんに対して、好感度一杯に頷き、ロッテさんは自分の軽鎧を見せる。
「これ、ぜんぶ敵の返り血だよ。アタシは傷一つついてないから大丈夫。汚れはちゃんと落としてきたんだけど、エルフのスーパー魔法には敵わないね~っ」
「だから魔法じゃない。神聖術だって言ってる」
セシルさんが嫌そうに訂正する。
一方、血塗れの鎧を前にして、僕は――青ざめていた。
「返り血って……」
あえて言うべきことではないのかもしれない。
ロッテさんたちは帝国に襲われた。彼女が戦ってくれなかったら修道騎士たちだって命はなかっただろう。
だから訊くべきじゃない。
そう分かっているのに……言葉はこぼれた。
「五千人の人たちを全員……殺してしまったんですか?」
僕一言で、場に凍りつくような沈黙が下りた。
大人たちは皆、それぞれに目を伏せる――。
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