第28話 肉奴隷もといエルフは察した
聖シルト大神殿が建っている土地は広大な草原だ。
青々とした草の葉が揺れる地平に突如、切り立った崖のような丘があって、その頂上に複数の神殿が並んでいる。荘厳なその姿は地平線の彼方からでも見つけられる。
逆に言えば、神殿からは草原を一目で見渡すことができた。
大きくせり出した第一神殿のテラスに出て、僕は地平の彼方へ目を向ける。手すりから身を乗り出すようにし、手には筒形の望遠鏡を持っている。
それを覗き込むと普段の草原にはない、異質な存在を見つけた。
「あれは……騎士団、ですか?」
「そうじゃ。方角からして、ザビニア帝国の軍勢じゃろう」
大神官様が隣から肯定する。
望遠鏡の丸い視界には、鈍色の甲冑の騎士たちが映っている。装備は大きな盾や剣が主で、ここまで相応の距離があったはずだけど、馬は連れていない。なかには民間徴用らしき歩兵や槍兵もいて、かなり大規模な軍勢だった。望遠鏡を使っても軍勢の奥の方まで見渡せないほどだ。
聖シルト大神殿の西にはルドワール王国があり、東にはザビニア帝国がある。騎士団がいるのはは北東。ザビニア帝国の軍勢だと考えて間違いはないだろう。
「距離は十……いや十五キロ先ぐらいでしょうか」
「んー? あんま聞いたことない単位だにゃー。ルカっち、キロってどんくらいの遠さなん?」
「うわぁ、ネオンさん!? なんでこんなところにいるんですか!?」
驚いて望遠鏡を下ろすと、顔の真横にネオンさんがいた。しかも今まさに耳へ息を吹きかけようとしている。そうはさせじと、僕は飛び退く。
「グランドール小神殿の外に出る時は一声掛けて下さい、って勉強会の時に言ったじゃないですか。一応、聖シルト神殿内なら安全ですけど、オリビアさんのルキフェルの件もあったんですからっ」
「だってー、ルカっち、朝からいなかったじゃん。修道騎士の人たちが妙に慌ててルカっちを捜しにきたから、なんかあったんかなーって後をついてきたんだよん。いい暇つぶしになりそうだったし」
「もう、また勝手なことを……っと、わわ」
飛び退いた拍子に足がもつれてしまった。
「……おっ、と。ルルーカ、元気なのはいいけど、後方確認は大切」
ちょうどそこにはセシルさんがいて、危なげなく受け止めてくれた。
「セ、セシルさんもきてたんですか。ってすみません、受け止めてもらって」
「……気にしなくていい。わたしはお前の肉奴隷。なんなら押し倒されても文句は言わない」
「肉奴隷の件はもういいですからっ」
ツッコミつつ、自分の足でちゃんと立つ。
肉奴隷という単語の意味についてはあれから書庫の本で調べてみた。
調べなければよかったと心底後悔した。冒涜的だ。
「……あ、オリビアさん」
「や、おはよ。ルカ君」
ネオンさんとセシルさんがテラスにいる以上、当然、オリビアさんもいた。
彼女は気軽な調子で手を振ってきた。でもその顔にはほんの少しの緊張が交じっているように見えた。
「……お、おはようございます」
僕も伏し目がちに挨拶を返した。
なんだかすごく気恥ずかしい。頬が熱い気がする。チラッと見ると、オリビアさんも似たような表情をしていた。
「えっと……元気? 朝から姿が見えなかったけど」
「ちょっと『清めの間』で精神統一を……」
「……そっか。ネオンがルカ君に何かあったのかもなんていうから、ついてきちゃったんだけど……迷惑だったかな?」
「いえ、迷惑だなんてそんな……」
言葉少なく言い、顔を上げると、目が合った。やっぱりちょっと気恥ずかしい。
――また頑張ろうね?
昨夜の言葉が頭を過ぎり、頬が熱くなった。
またっていつだろう……?
僕は身動ぎし、オリビアさんも苦笑してどちらともなく目を逸らす。……そんな二人の間にネオンさんが割って入った。
「ヘーイ、ご両人! 乙女チックモードもいいけど、今はそんな場合じゃないんじゃないかにゃー?」
「お、乙女チック? ってなんですか? また知らない言葉が……」
「……ネオン」
「まあまあ、王女様、ジト目で睨まない。あたしもどうやら自分の『聖女の勘』がバシッと当たっちゃったみたいで早く真相を知りたいところなんだよー」
「聖女の勘……じゃと? 踊り子殿、詳しく話してくれるか?」
問いかけたのは大神官様だった。
ネオンさんは衣装のヴェールをひらひらさせて「お、聞いてくれちゃいますか」と気軽に言う。
「ま、別に大したことじゃないんだけどね? 帝国が軍備増強してるって噂を酒場で聞いたことがあってさ。昨日、突然、ビビッとその話を思い出したのさ。で、朝になったら……ほらアレじゃん? あそこにいるのって帝国の騎士団でしょ? なんかあたしすごくない?」
僕は即座に思案顔になり、大神官様の方を向く。
「大神官様、これってまさか……」
「目覚めの前兆じゃな。卵か先か、鶏が先かの話になるが……帝国が気づいたことで踊り子殿の目覚めが始まったか、踊り子殿が目覚め始めたことで帝国に気づかれたか……進軍の早さを考えればおそらくは前者か。どちらにしろ、ここまで軍勢を率いてきた以上、もう誤魔化しは通じぬじゃろうな」
「……? ちょっと待って」
声を上げたのは、オリビアさん。
ルドワール王国の王女である彼女は不可解そうに眉を寄せる。
「ネオンの言う通り、やっぱりあれはザビニア帝国の軍勢なの? だとしたらこの神殿が建っている地域は両国の不干渉地帯。不戦の条約が破られたことになるわ」
「いや、その条約は破られはせんじゃろう。あの軍勢は確かに帝国の軍勢じゃが……ルドワール王国に侵攻するものではない」
「不干渉地帯にきたのに王国には侵攻しない……? どういうこと?」
「それはな……」
大神官様は迷うように言い淀み、僕もその横で身動ぎした。
ひょっとすると今、すべてを話してしまうべきなのかもしれない。
神殿の眼前に軍勢が現れたということはすでに事態が動きだしていることを意味する。オリビアさんたちにも真実を知ってもらう時だろう。
でも僕はできれば……。
迷っていると、「……ふむ」と小さな呟きが背後から聞こえた。セシルさんだ。
人類の先達たるエルフは耳をわずかに動かし、細いあごに手を添えた。
「……なるほど、そういうことか」
その視線は草原の軍勢に向けられている。
「セシル? なるほどって?」
「……そもそも違和感はあった。ただ悪魔に憑かれているだけなのに、なぜ善神はわたしたちに『聖女』という呼称を用いたのか。なぜ七大悪魔はわたしたちに取り憑いたのか。ひょっとすると七大悪魔の好む何かがわたしたちにあるのではと思っていたのだけれど……答えに辿り着いた気がする」
セシルさんは皆を見回した。僕、大神官様、共に集まっていた数人の神官と修道騎士たち。聖シルト大神殿の面々を見つめ、彼女は確信を帯びた言葉を発する。
「鍵は善神ではない。悪神でもない。この事態の中心にいるのは中立神――機械仕掛けの神だ。違う?」
オリビアさんとネオンさんが「中立神……?」と聞き慣れない様子で眉を寄せる。
セシルさんはすっと目を細めた。
「……ルルーカ、お前たちはまだわたしたちに話していないことあるね?」
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