第26話 新たな幕は東より開く(オリビア視点)
ルカ君の部屋を出た後、私は廊下を足音高く進む。
すると、「あー、待ってよー」とネオンが追いかけてきた。
「王女様ってば。あたし、もう一個聞きたいことがあるんだよー」
ネオンが機嫌を取るように腕を組んできて、胸の谷間に私の腕が埋まった。
ルカ君ならばこれで大慌てするところだろう。私もこうして妹分のような態度を取られると、無碍に出来ない。本当、ネオンは甘え上手だ。
「なあに? ルカ君のことならもう話すことはないからね?」
「ちゃうちゃう。ルカっちの話も面白いけど、聞きたいのはザビニア帝国のこと」
「帝国?」
ザビニア帝国。
それは東の大国である。私のルドワール王国とはこの聖シルト大神殿を挟んだ隣国に当たる。
「酒場の噂でさ、帝国がめっちゃ軍備増強してるって話があったんだけど、あれマジ?」
「軍備の増強ですって?」
足を止める。
つられて、腕を組んだままのネオンも止まった。
「誰が言ってたの、その噂って?」
「誰ってことはないけど……自称・国と国を行き来してる行商人とか、自称・帝国の傭兵やってたゴロツキ共とか、そういうザ・ダメ人間の人々が言ってたワケよ」
「つまりは酔っ払いでしょ?」
「そうなんだけどさ、王女様に聞けば本当のところが分かるかなって。あたしも一応城下町には知り合い多いし、クズ共ばっかだけど、戦争が始まるんならその前に教えてやりたいなって思って」
「まあ、気持ちは分かるけど」
「それにね」
どこか虚空を見つめるような視線でネオンは言う。
「今日のお昼ぐらいかなぁ。ちょうどルカっちの勉強会で居眠りしてた時にね、なんかその噂のことが突然、ぱっと頭に浮かんできて……それから妙に気になるんだよね。……なんでだろ?」
「私に聞かれても」
「あ、ひょっとして聖女の勘みたいな? ルカっちとか大神官の人に聖女とか言われても『何が?』って感じだったけど、あたしたちってばそういうミラクルなパワーを持ってたりして?」
「ネオンがミラクルなパワーって……ピンとこないわねえ」
「ひでー」
ま、とりあえず……と私は仕切り直す。
「当面、戦争なんて起きないから安心しなさい。ルドワール王国とザビニア帝国には不戦の条約があるの。ここ十数年、それが破られたことはないらしいし、そもそも誰かが戦争なんてしようとしても、この私が絶対に阻止するから」
「ホント?」
「本当」
「ホントにホント?」
「本当に本当」
「よかったぁ!」
ネオンは満面の笑みで言い、こちらの肩に頭を乗せてくる。
大きな胸の谷間に腕がすっぽりと入り込み、女同士だけどぷにぷに感がちょっと楽しい。
……ま、胸の話はともかくとして。
ネオンには否定したものの、城下町の噂話は少し気になった。王宮の大臣たちは一笑に伏すだろうけど、こういった草の根の情報が馬鹿にならないことを養護院出身の私は知っている。
帝国とは不戦の条約を結んでいるはいえ、逆を言えばそんな条約が必要なくらいの火種は常にある。
私も軍事や政治のすべてを把握しているわけじゃないから、一度、王宮に確認を取ってみた方がいいかもしれない。
妙なことにならなければいいけど……。
ネオンには聞こえないように、私は心の中だけで思案した。
でも残念なことに王宮へ連絡する時間はなかった。
なぜなら翌日、ネオンの『聖女の勘』が予想外の方向で的中してしまったから。
ルカ君と私たちの日々は、次の段階に進もうとしていた――。
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