第17話 少年神官、実は爽やかに黒い

 私はルカ君の背中を見つめる。

 雪のように白いローブをなびかせ、彼は廊下の先に吹っ飛んだ悪魔と堂々と対峙している。

 私よりずっと小さいはずの背中が今はとても大きく見えた。


「ルカ君……」

「はい!」


 振り向いた顔は、満面の笑顔だった。普段の生活と何一つ変わらない、いつもの彼だ。

 だからこそ破壊しつくされた今の光景のなかでは、ある種の凄みさえ感じる。


「オリビアさん、ケガはないですか?」

「大丈夫、だけど……ルカ君、どうやってここに? 悪魔の結界は?」

「それなら引き裂いてきました」

「ひ、引き裂いたりできるものなの?」


「はい、悪魔の結界なんてタマネギの皮より薄っぺらですから」

「タマネギ……? でもあいつは人間の神霊術は効かないって……」

「普通はそうなんですけど、僕、神殿の歴史上一番の使い手なので、その辺りの常識は超越してるんです」

「ちょ、超越……してるの?」

「はい、超越してます」


 事も無げに言い、ルカ君は杖を半回転させ、構える。

「遅くなってごめんなさい。でも僕が来たからにはもう大丈夫です」

 そして告げた。

 廊下の先、怒りの形相で立ち上がってくる悪魔を見据えて。

「あなたに取り憑いた悪魔は、この僕が祓います!」

 その声は強い使命感を帯び、驚くほどの頼もしさに満ちていた。


 一方、悪魔は怒りの形相で立ち上がってくる。

 その輪郭は炎のように猛り、もはや私の姿ですらなくなっていた。


「『……その出で立ち、神殿の神官か。ふん、我に膝をつかせるとは褒めてやろう。だが調子に乗るな』」

「……」


「『どうした? 声も出ないか? そうだろう、今、貴様の目の前にいるのは七大悪魔が一角、傲慢の悪魔ルキフェルである。落ち着いて考えれば、自分がどれほど恐ろしい相手に手を出してしまったか、分かろうというものだ』」

「うーん、悪魔のくせにお喋りだな。耳が汚れるから喋るな。オリビアさんの鼓膜が悪魔の小汚い息で汚れたらどうするんだ? 鬱陶しいよ」


 純朴そうな少年の口からさらっと毒のある言葉。場の空気が凍った。

 ……ル、ルカ君?

 普段の丁寧さとあまりに違うので、私は目を瞬いた。

 見れば、悪魔も呆然としている。まさか開口一番にコケにされるとは、悪魔と言えど思わなかったのだろう。


「『こ、小汚いとは……我に言ったのか?』」

「お前じゃなかったら誰に言うのさ? 大丈夫? 羽虫程度には理解力ある? まともな会話も出来ないんなら自分から喋ったりしなきゃいいと思うよ? 馬鹿が露呈するだけだから。悪いこと言わないからもうそろそろ黙ったら?」

「『き、貴様……っ!?』」


 屈辱を顔中にめいっぱい浮かべ、悪魔は歯ぎしりする。

 ルカ君のあまりの変わりように、さすがに私も口を挟む。


「えっと……ルカ君? だ、大丈夫? あんまり怒らせると、悪魔が強くなったりしちゃわない?」

「あ、ぜんぜん平気ですよ」

 無防備にこちらを振り返り、ニコッと微笑む。


「悪魔なんてどいつもこいつも虫ケラみたいなものですから。虫がいくら怒ったところで人間の敵じゃありません。あっ、こんな言い方したら虫に失礼か。悪魔と違って、虫は日々を精一杯生きてるし。すみません、反省します」

「い、いや別に虫に対する気遣いはいいんだけどね……?」


 ルカ君の笑顔はとても爽やかだった。爽やかに黒かった。

 普段は礼節を重んじる少年なのに、どうやら悪魔には辛辣らしい。意外な一面を見てしまった気分だ。


「『おのれ、人間如きがッ! 串刺しになって後悔するがいいッ!』」


 ついに怒りの咆哮を上げ、悪魔が両手を突き出した。

 鋭い爪がルカ君へと伸びる。しかも爪は空中で無数に増え、まるで矢の雨のように降り注ぐ。


「ル、ルカ君! 危ない、逃げて……っ」

「大丈夫です。心配はいりません」

 杖の末端が床に突き立てられる。


「神聖起術! 詠唱、十六巻第五節『破壊された神の殿は再び集う。かくして子羊を守る盾となるだろう』」


 たぶん神聖術の呪文だろう。まるで即興で物語を紡ぐような言葉だった。

 杖から星のような光が舞い、ルカ君の物語を現実にしていく。

 床にちらばったタイルの欠片、削られた柱の破片が宙に浮かぶ。

 そしてルカ君の前面に集まると、巨大な盾へと姿を変えた。


 悪魔の爪は盾へと突き刺さり、雨だれのような音が鳴り響く。

 でも盾は堅牢でルカ君の身には爪の先すら届かない。私はその後ろで呆気に取られる。


「すごい……」

「いいえ、こんなの全然です。あの悪魔が弱いだけですよ」


 余裕の様子で振り返り、また爽やかに黒い笑顔。

 しかもわざわざ敵に聞かせるつもりで言ったらしい。悪魔はさらに怒り心頭になる。


「『弱いだと!? この七大悪魔の一角に対して、弱いと言ったのか!?』」

「言ったよ? わざわざ聞き返すなんて図星を突かれてムキになってるの?」

「『貴様……っ、二度とそんな口が聞けぬようにしてくれる!』」


 悪魔が爪を盾から引き抜く。

 役目を終えた盾はもとの瓦礫に戻って床に散らばり、黒い炎のような両手は高く掲げられた。

 オリビアははっと身構える。


「あれは……っ、ルカ君、あいつ、風を起こす気よ! この辺りを全部瓦礫に変えたのはあいつの風なの! あれをやらせちゃ駄目……っ!」

「『もう遅い! もはや一切の容赦はせん。我が魔導の風によって塵になれ!』」


 悪魔の両手から凄まじい暴風が放たれた。

 ただでさえ廃墟となっていた一帯をさらに破壊し、暴風が迫ってくる。


「『これは全方位への攻撃だ! どんなに巨大な盾を作ろうとも防げはせん。貴様ら神官の得意な起術や承術で対処出来んぞ! ふはははははは!』」

「じゃあ、転術だ」

「『なにぃ!?』」


 ルカ君は杖を一回転させる。すると先端に集った星の光が増え、さらなる輝きを得た。

 光のなか、少年は唱える。


「神聖転術! 詠唱、三巻第四節『これにて場面は移り変わる。我らの大海は二つに裂かれ、ただ凪のみが行き交うのだ』」


 星々が杖から放たれ、二人の周囲に漂った。

 ほぼ同時に暴風が飛来し、私は「……っ」と目を瞑る。でも痛みも衝撃もやってこない。

 暴風は星々に触れると切り取られたように威力を失くし、二人の背後で再び猛威を振るった。

 背後の廊下が無残に破壊されていく。でも私たち二人はまったくの無傷だ。

 勝ちを確信していたはずの悪魔が驚愕する。


「『なぜだ!? なぜ我の魔導が効かない……っ!?』」

「簡単なことだよ」


 ルカ君がすっと身を屈めた。次の瞬間、稲妻のような速度で悪魔へ肉薄する。

 光をまとった杖が素早く振り下ろされた。


「転術で僕らの空間だけ切り離したんだ。それだけでお前の風は素通りする」

「『馬鹿な、空間操作だと……っ!?』」


 再び爪を伸ばし、悪魔は杖を受け止めた。

 でもルカ君はローブを颯爽と翻し、杖を押し込んでいく。星の光を間近に受け、悪魔に苦悶の表情が浮かぶ。


「『ぐぅ……っ!?』」


 私がランタンの霊石で騙さられた時とは違う。

 悪魔は本当に追い詰められている。

 圧倒的にルカ君の優勢だった。

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