第13話 約30分前―オリビア視点・暗い影の底から―

 オリビア・レイズ・ルドワール――私は今、調理場でネオンの夜食を作っている。

 メニューは畑の野菜を多めに挟んだサンドウィッチ。

 ネオンには『お肉いっぱいでお願いねー』と言われたのだけど、きっぱりと却下した。寝る前にお肉ばかり食べたら健康によくないから。


「ネオンはまるで手の掛かる妹みたいね」


 温めて柔らかくしたパンにレタスやオニオン、トマトを挟みつつ、苦笑する。

 たぶん年齢は私とそう変わらないぐらいだと思う。でもネオンはどこか末っ子気質で、甘え方というものを心得ている。

 ルカ君の前ではお姉さんっぽく振る舞ってるみたいだけど、私の方にはすぐに頼ってきて、そうなるとついつい面倒を見たくなってしまう。


「そのわりに私のことは『王女様』呼びなんだよね。呼び捨てでいいって言ってるのに」


 サンドウィッチを丁寧に皿へ並べていく。三切れもあれば十分だろう。


「ついでにルカ君の分も……あ、でももう寝っちゃってるかな」


 ルカ君は夕食を終えてしばらくすると、途端に欠伸をし始める。

 皆の手前、すぐに口を押えるのだけど、バレバレなのがとても可愛い。

 冷蔵箱の上の壁掛け時計を見てみると、すでに子供にはそこそこ遅い時間だった。彼はもうベッドでぐっすりだろう。


「……ルカ君、か」


 あの生真面目な男の子のことを思うと、自然に口元が綻ぶ。

 私のルカ君に対するイメージは、真っ白な雪原。

 汚れを知らず、誰にも踏み荒らされず、美しい姿を保った聖域。そんなふうに感じている。


 箱庭のようなこの神殿で大切に育てられたおかげだろう。

 あの子は俗世の醜さなど何も知らない。


 城下町の路地裏に響く、ゴロツキたちの喧騒も。

 貧しい養護院の土地を付け狙う、悪漢たちの卑しい目つきも。

 血の繋がった兄弟姉妹が向けてくる憎悪のやり切れなさも。

 不貞を働いた国王に対する、正室の業火のような情念も。

 権力争いに腐心して、民に目を向けない臣下たちの浅はかさも。


「……ま、養護院を狙ってた悪漢も、ダメダメな臣下たちも、第一王位継承者の権力でぶっ飛ばしてやったんだけどね」


 それはさておき、ルカ・グランドールという男の子は世界の醜さとは無縁に生きている。世の中を美しいものだと信じ、きれいな理想を抱いて、世界を守ろうと頑張っている。

 幼さゆえの純真さ。

 世界の醜さを嫌というほど見てきた私には、それがとても尊いものに感じられた。



 守ってあげたいと思う。



 あの子の理想が汚れてしまわぬように。

 正直、悪魔祓いについてはまだピンとこないけど、状況が許す限り、ルカ君の求めるこの生活を続けていきたい。

 私はそう考えていた。


「さてと。そのためにも一つ試してみますか」


 足元の戸棚を開けて包丁やまな板を片付け、ドレスの袖を腕まくりした。

 目の前の調理台にはお皿に乗ったサンドウィッチ。

 これを今からネオンに届ける。悪魔を使い魔とやらにして。


「まさかセシルがこんな良いことを教えてくれるとはね」


 この神殿にくるまで、エルフは想像上の生き物だと思っていた。実際に会ったセシルもどこか浮世離れしていて、最初は不思議な子という印象だった。

 でも洗濯物を干していると遠目からチラチラとこちらを窺っていたり。

 食べられない物はないか聞くと、意外に素直に答えた上、栄養価についてエルフの知識を長々披露したり。

 セシルは結構人懐っこい。


 彼女はたぶんかなりの人間好きだ。よく人間を下に見るような発言をしているけど、あれは盛大な照れ隠しなのだろう。

 実際、今日の昼間も悪魔をペットにする方法をとても丁寧に教えてくれた。


「えっとまずは……神聖術を使うんだっけ」


 セシル曰く、神聖術というのはルカ君のような神官だけではなく、一般人にも扱えるものらしい。調理場を照らしているランタンもその一例だけど、正しく手順を踏めばさらに高度な術も使えるという。

 さらにセシルは言っていた。


『神聖術と一口に言っても、その本質は四系統の術式に分けられる。善神に見守られた、起承転結の四幕構成術。すなわち起術、承術、転術、結術。これが神聖術の基本』


 最初は意味が分からず、ネオンと二人で首を傾げてしまった。

 でもセシルが詳しく説明してくれて、なんとかおぼろげに理解できた。


 神聖術というのは世界を『神が観ている演劇』に見立て、起承転結になぞらえて奇跡を起こすものらしい。


 たとえば起術は起承転結の『起』。つまりは何かを起こし、発生させる術。

 同じく承術は起承転結の『承』。起こった何かを継承し、続ける術。


 神殿のランタンは起術によって光を起こし、それを承術によって継続し、灯かりを絶やさないようにしているそうだ。


 ネオンは『いやー、分からん。あたしにはサッパリっす』と匙を投げていたけど、私は大いに興味を引かれた。

 つまりは『物語に手を加える感覚』なのだろう。

 子供の頃、貸本屋の娯楽本を読んでいて、『あー、この物語がこんなふうになったらいいのになぁ』と私はよく空想していた。


 それが現実になるのだと思えばいい。

 世界を演劇に見立て、それを観ている神様の力を借り、神様の視点から自分たちの演劇世界を少しだけ改変する。

 神聖術とはいわば舞台の外側の力なのだろう。だとすれば悪魔をペットにすることだって容易なはずだ。


「大事なのは祈りによるイメージ、ってセシルは言ってたわね。よし……神様、私に力を貸して」

 手を組み合わせ、祈るポーズをしてみる。しばらくそうしていると、手の周囲に小さな星のような光が舞った。


「わ、出来た」

 声を上げた途端、星はぱっと消えてしまった。でも手応えはあった。気を取り直し、もう一度手を組み直す。

 自分の影を見つめ、お昼にセシルが教えてくれたことを思い出して再度挑戦。


「起承転結を意識しながら……心に箱を作って、それを維持して、悪魔が箱に転がり込んでくるのをイメージして……」


 また手の周囲に星が生まれた。それが私の影の方へと降っていく。

 ……あ、良い調子かも。何か……出てくる気がする。

 そう感じるのと同時、とぷんっ、と影に波紋が生まれた。


 セシルの時はそこからコウモリのような悪魔が現れた。

 けれど……何も起きない。波紋はゆっくりと消え、星もすぐに舞い散ってしまった。


「あらら、失敗?」

 また祈ってみたが、もう星の光は出なかった。影もまったく動かない。


「うーん、影が揺れた時、何か出てきたような気がしたんだけどなぁ……」

 しかしコウモリどころか虫一匹見当たらない。何か出たと感じたのは気のせいで、どうやら失敗したらしい。


「残念。悪魔を上手く使えるようになったら、ルカ君のためになると思ったんだけど」

 ルカ君はいつも悪魔祓いのことで頭を悩ませている。セシルのように私も悪魔を無害なペットに出来れば、ルカ君の気持ちを少しは軽くしてあげられるかなと思ったのだけど……どうやらそう簡単ではないらしい。


「明日、またセシルにやり方を教えてもらおうかな。そうだ、このサンドウィッチをエサにして、ネオンにももう一回チャレンジしてもらって……」

 そうして、ひとりで思案していると。



 唐突に背後で。



 ガタンッ! 



 と、音が響いた。


「わ、なに?」


 驚いて振り向くと、そこには――。

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