第12話 悪魔について―エルフ側の見解―
「見ているといい」
そう言って、セシルさんはパチンッと指を鳴らした。
するとランタンの灯かりがぱっと強くなった。ランタンには神聖術を施した霊石が入っている。
今、セシルさんは言葉で命じることなく、動作だけで神聖術を行使したのだ。
「すごい……っ。……そっか、神聖術の基本は祈り。呪文を唱えなくても祈りがしっかりしてれば動作だけで行使することもできるんだ」
ほう、と今度はセシルさんが感心した。
「一目見ただけ理解できる人間がいるとは思わなかった。やるね、ルルーカ。でも今、見るべきはそこじゃない。……ほら、あそこ」
そして僕は驚きに目を見開いた。
指差された先、大きくなったランタンの灯かりでセシルさんの影が長く伸びていた。
その闇が突如、波紋のように波打つ。
「え……っ!?」
息をのんだ直後、セシルさんの影からきゅぽんっと何かが飛び出した。
それは手のひら大のコウモリのようなモノだった。
牙が生えているものの、妙に丸っこく、威圧感はない。大きな羽根をパタパタさせている姿はどこかぬいぐるみのようでもある。
コウモリは「キュピッ!」と変な声で鳴くと、セシルさんの頭の上をひらひらと旋回した。
「ルルーカ、どう? これがわたしに取り憑いている悪魔。七つの大罪の……たぶん嫉妬か怠惰辺り。無理やり顕現させてみたのだけど、個人的にはそこそこキモ可愛いと思う」
「な、な、な……っ」
血の気が引いた。一瞬の動揺の後、深刻な絶叫が喉から迸る。
「なんてことをしてるんですか!? 悪魔に形を与えるなんて!」
転がるようにベッドから飛び下り、壁際の杖を掴んで、すぐさま構えた。
「離れて下さい! この場は僕が食い止めます! セシルさんは早く逃げて……っ」
「いやルルーカ、これは平気なやつで……」
セシルさんは珍しく申し訳なさそうな顔になる。愚かな人間を憐れんでいる顔だった。
コウモリのぬいぐるみのようなモノ――悪魔は今もその頭上をパタパタと飛んでいる。
するとその時、ふいに部屋の扉が開いた。
踊り子衣装のネオンさんが顔を出す。
「ルカっちー、なに大声で騒いでるん? 悶々として眠れないなら、あたしが手伝ってあげようかー……って、セシルン!? なんでルカっちのベッドにいんの!? 抜け駆け? 抜け駆けなの? ずっるい、あたしも混ぜろよー!」
ネオンさんはセシルさんのことを語尾を足して『セシルン』と呼んでいる。
いつもの調子のふざけ半分で部屋に入ってこようとするが、そんなことはさせられない。
「きたら駄目です!」
「えっ。どした? ルカっち。シリアスな声出しちゃって」
「ネオンさんも逃げて! セシルさんの悪魔が顕現したんです! 悪魔が肉体から離れて実体化するなんて前例がない! どんな危険があるか分からないんです……っ!」
「ん? どんな危険があるか分からないって……でもそれ、セシルンが昼間に見せてくれたやつっしょ? 悪魔を手懐けてペット代わりにしちゃうやつ。別に危なくないよね?」
「ひ、昼間もやってたんですか!? 僕のいないところで!? っていうか、ペット代わりって! 悪魔をペット代わりって!」
驚き過ぎて声量の加減が出来なくなった。大声の僕へ、セシルさんが「落ち着け」と言い聞かせる。
驚くべきことに頭上の悪魔もセシルさんを真似て、羽根で『まあまあ』というジェスチャーをしていた。
「ルルーカ、どうやら人間たちは知らないようだけど……悪魔というのは善神の精霊と対を成すモノ。力は強くても存在は器に左右される。だからたとえ取り憑かれていようと、強い精神力で器を作り、そこに閉じ込めてしまえば、こうして無害な形にできる」
「あ、悪魔を無害な形に……?」
「そう。これがエルフの知恵。……分かった?」
ぜんぜん分からない。でも分からないままではいられない。警戒心を解かず、杖を構えたまま、セシルさんの言ったことを咀嚼する。
コウモリ型の悪魔を睨んでいると、黒い体の周囲にきらきらと星のような光が舞っていることに気づいた。
「あれは……」
強力な神聖術を行使している時の加護の光だ。もちろん悪魔が発するようなものじゃない。あの光はセシルさんが発しているのだろう。
僕は目の前の事象に論理的な説明をつけるべく、高速で思考しながら呟く。
「魔術で攻撃してくる様子は……なさそうだ。セシルさんの言う通り、無力化されてるってこと? だとすると要因はあの加護の力だ。ということは加護が増幅されるこの神殿内なら聖女の皆さんは安全なのか? ……いや違う。これはおそらくセシルさんだけの特殊な事例だ。セシルさんは動作だけで神聖術を行使できるほど心身に加護が行き渡ってる。これを人間で再現しようとすれば、たぶん一級神官レベルの長い長い修練が必要になる。うん、だからつまり――」
「えーと、セシルン。ルカっち、どうしちゃったん?」
「……世界の理を知って動揺している。少年にはまだ少し早かったらしい」
「んー、よく分からんけど、なるほど、そりゃ大事だね」
うんうんと適当な感じでネオンさんは聞き流す。
僕の様子を見て、とくに色っぽい展開ではないと納得したらしい。
「あ、そだそだ。ところで王女様知らない? 夜食作ってくれるって言ってたのにどこにもいないんだよね。使い魔に運ばせるから待ってて、って言ってたのににゃー」
「……ちょっと待って下さい。使い魔ってなんです?」
はっと顔を上げ、僕は固い声で訊ねた。
壮絶に嫌な予感がした。
パタパタと降りてきた悪魔を手に載せ、セシルさんが答える。
「これのこと。悪魔を無害にして雑用をやらせるの。悪魔を使いっぱしりにするから使い魔。昼間、オリビアにも悪魔の制御方法を教えてあげたの」
「そう、それそれ。んで、作った夜食をその使い魔であたしのとこに運んでくれるって話だったのさ。んでも待てど暮らせどこないんだよねー。調理場かと思って見にいったんだけど、そこにもいなかったし」
「な、なんてことを……っ!」
ショックで頭が真っ白になりそうになった。
「その制御法はエルフのセシルさんにしか出来ないことなんです! このままじゃ――オリビアさんが危ない!」
畳んであったローブを掴み、駆け出した。「おわっと!?」と飛び退いたネオンさんの横を抜け、廊下に出る。
焦燥感に身を委ね、全力で走った。
「僕が甘かった。もっと早く、皆さんに悪魔の恐ろしさを伝えていれば……っ」
修道騎士が聖女たちを見つけた際、水晶球を通じて彼女たちには悪魔を封じる術を施してある。だから通常の悪魔憑きみたいにオリビアさんたちに性格の豹変が起こったり、魔素の浸食が進むことはない。
でも、自ら悪魔を呼び起こしてしまえば話は別だ。
ただの人間であるオリビアさんに悪魔を制御することはできない。
一度、自由を許してしまえば、悪魔は一気に強大化するだろう。
「しかも、よりによって……っ」
オリビアさんに取り憑いているのは『傲慢の悪魔』。
百年前、花売りの少女ジーナの体で大虐殺を敢行した、あの『傲慢の悪魔ルキフェル』だ。
僕の後悔をあざ笑うように、突如、廊下に黒々とした闇が発生した。
もう間違いない。悪魔がその力を発揮し始めている。
ルドワール王国の王女オリビア・レイズ・ルドワール。
彼女の身に今、未曽有の危機が迫っていた――。
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