第11話 悪魔について―人間側の見解―

「……セシルさん。本当に寝ちゃったんですか? ねえ、セシルさん」

「zzz……」


 こんにちは、僕です。

 なぜか今、エルフのお姉さんと一緒にベッドで寝ています。

 いくら声をかけても起きてくれません。大神官様、一体どうすればいいんでしょうか……。


 ……と、心の中で助けを求めてみるけど、もちろん返事はない。

 目の前には安らかに眠っているセシルさん。

 変なところを触ってしまいそうで、もう身動ぎ一つ出来なかった。


「セシルさんは無防備過ぎて、逆にネオンさんより大変かも……」


 これ見よがしに迫ってくる踊り子さんには、正面からお小言を言える。

 でも自然体で距離を詰められると、面と向かって冒涜的とは言い辛かった。

 ベッドのなかで、僕は息を殺して困り果てる。 

 すると、穏やかな鼓動が聞こえてきた。


 トクン、トクン、トクン。


 僕の心臓はもっと早鐘のように動いている。

 ああ……。

 感慨深い気持ちが湧いてきて、つい呟いてしまう。


「セシルさんの胸の音だ……」


 途端、ギンッと瞼が開いた。


「わたしの胸が小さいと言いたいの?」

「えっ!? いや違います!」

「確かに今一緒に暮らしている人間たち――オリビアやネオンの胸は巨大。両手に収まりきらないほどの膨らみを誇っている。だがわたしのしなやかな肢体こそ、善神が作りたもうたエルフの繊細な曲線美だと理解すべき。つまりルルーカは大いに反省すべき」


 すごい勢いで捲し立てられた。長い耳も怒りを表すようにピンッと立っている。

 こう言っては失礼だけど、セシルさんは確かにあまり胸が大きくない。ちゃんと膨らみはあるけど、オリビアさんやネオンさんの恵まれた体と比べると、どうしても分が悪いと言わざるを得ないこともない。

 でもそういう意味で言ったんじゃないから、僕は大慌てで首を振る。


「ち、ちち違います! ただ、ちょっと嬉しくなっちゃって!」

「……嬉しい? わたしの胸がそばにあって嬉しいの? そういうことなら……うん、許してあげなくもない」

「それも違いますよ!? なんていうか……」


 跳ねるように上半身を起こし、自分の気持ちを確かめるようにゆっくりと呟く。


「……心臓の鼓動を聞くと、エルフの人も僕たちと同じなんだな、って。……仲間なんだって気がしてきて、それで嬉しかったんです」

「ふむ」


 寝転がったままの頷きには、どこか理解を示すような響きがあった。

 枕の上で少し体勢を変え、いつも無表情な唇に少しだけ笑むが浮かぶ。


「……エルフも人間も共に善神から生まれたもの。この大陸に生きる家族であるとわたしたちは考えている。出来の悪い弟分か妹分ではあるけれど、ね」

「セシルさん……」


 人間と滅多に顔を合わせることのない、エルフという種族。それでも彼らは人間を家族だと思ってくれているという。神官である僕にとって、とても嬉しいことだった。

 同時に聞いてみたいと思った。


「もう一つ、教えてもらってもいいですか?」

「なに?」

「エルフは……悪魔という存在をどんなふうに捉えているんでしょうか?」


 悪魔――闇より出でて物理よりも現象に近づいた、悪しき魂。

 善神シルトの対極に悪神バーシュという神がいる。善神が加護を与えているように、悪神は大陸中に『魔素』という邪悪な瘴気を振り撒いている。

 魔素はあらゆるものに禍いをもたらす。魔獣は獣が魔素に当てられて誕生することが多く、また魔素が充満したことで疫病が発生し、町一つが滅んだという事例もある。


 じゃあ、その魔素がたとえばひとりの人間に集中したらどうなるか。

 初期段階では情緒が不安定になり、自傷行為が頻発したり、幻覚幻聴に悩まされる。さらに次の段階に進むと、まるで人が変わったかのように攻撃的になり、周囲のあらゆるものを敵だと思い込んで暴れ始める。多くの場合はこの時点で街の騎士団などに捕らえられ、罪人として処罰されてしまう。

 もしも街に神殿勢力や魔法同盟があれば、魔素の浸食に気づき、治癒を施してもらえるかもしれない。でも騎士団に捕らえられず、適切な治癒も受けることがなかった場合、さらに先の段階へと進んでしまう。


 魔素の浸食の最終段階――そこに行き着いてしまうと、『人が変わったように』という比喩ではなく、実際にまったく別の新しい人格が現れる。


 神殿の記録によれば、大陸歴1265年、ロニア王国の花売りの少女ジーナがこの状況に陥った。

 ジーナは自分を『傲慢の悪魔ルキフェル』と名乗り、神聖術の対極に位置する、魔素による奇跡――魔術を使ってみせた。

 ジーナは魔術によって町を火の海に変え、三日三晩に渡って、殺戮を繰り返した。やがてジーナ自身の体が魔術に耐え切れなくなり、四日目の朝に衰弱死したのだが、それまでに実に五百人以上の民が焼き殺されたという。


 これが悪魔。

 魔獣のように物理的な体を持つわけでもなく、何かの作用で魔素が集中した際、一個人の人格として浮かび上がるモノ――つまりは現象。それは旱魃や嵐のような天災と同じで善神の神託でもなければ、到来を予期することは不可能に近い。

 またジーナの『傲慢の悪魔』ほど強大ではないにしろ、小さな事件を起こす低級な悪魔は日々出現する。そうしたモノは各地の神殿が騎士団や戦士ギルドと連携して祓っているけど、悪魔に関する知識が平民たちにまだまだ浸透しておらず、後手後手に回っているのが現状だった。


 オリビアさんやネオンさんが悪魔に対して危機感がないのも不思議ではない。

 でもセシルさんはエルフだから……。

 悪魔祓いに乗り気じゃないのはセシルさんも同じだけど、ひょっとするとそれは悪魔についての見解が人間とは違うからかもしれない。もしもエルフ独自の知恵や技術があって、悪魔に危機感がないのだとすれば、ぜひ詳しく聞きたかった。


 僕の話を聞き、

「ふむ」

 と、セシルさんを頷いた。


「……陽の光はいかなるものにも降り注ぐ。求めるものには与えてやるのが『森の民』の嗜み。ルルーカがそこまで言うのなら教えてあげよう」

 毛布を持ち上げ、セシルさんは上半身を起こす。


「実際のところ、わたしたちエルフから見ると、人間たちは怯えすぎ。やり方を間違えなければ、悪魔なんて恐ろしいものじゃない」

「それが……七大悪魔でもですか?」


 七大悪魔とは、今まさにセシルさんたちに取り憑いているモノのことだ。

 傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰――七つの大罪を冠する、七つの悪魔。

 神殿の古い記録によれば、この七大悪魔こそ他のすべての悪魔を従える、最恐最悪の存在なのだという。

 約百年前、前述のジーナに取り憑いていた『強欲の悪魔ルキフェル』も七大悪魔の一角である。

 その凶悪さはもはや語るまでもない。でもセシルさんは平然と言う。


「例外はない。見ているといい」

 細い手がすっとかざされた。

「……わっ」


 そして次の瞬間、僕は驚きに目を見開いた。

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