第10話 襲来、エルフのお姉さん

「ふぁ……今日も大変だったなぁ」


 共同生活が始まってから一週間。

 夜になり、僕は欠伸交じりで自分の部屋に戻ってきた。


 家具は少なくて、ベッドと書き物机、あとは特別な書物を収めておくための本棚がある。

 聖女用の部屋にはもっと色々あるんだけど、僕はまだ修行中だから質素な部屋になっている。

 でも灯かりだけはしっかりした物が必要なので、神霊術を施したランタンが置いてある。


「灯かり……点け」


 呪文代わりの指示を出すと、ランタンがぱっと点いて部屋が明るくなった。

 ランタンにはロウソクの代わりに加護を込めた霊石が入れてあり、『点け』や『消えろ』という簡易呪文で光を調節する仕組みだ。

 調理場の冷蔵箱もそうだけど、これらは一般人でも善神の加護を享受できるようにするための道具で、神殿では昔からこういう研究を続けている。


「明日こそ、オリビアさんたちにちゃんと悪魔の怖さを分かってもらわなきゃ……」


 一週間経ったけど、悪魔祓いにはいまだに進展がない。今日もネオンさんに迫られたり、そのせいでオリビアさんに誤解されたり、必死に誤解を解いたりしていて、気づけば一日が終わっていた。


「なんか最近はちょっと楽しくなってきたかも……。いや僕が楽しんでたらダメなんだけど……」


 杖は壁際の杖置きに立てかけ、ローブを畳み、羊毛のパジャマに着替えた。

 ランタンに「ちょっとだけ消えろ」と命じて、部屋を薄暗くし、ベッドへ入っていく。

 オリビアさんたちに知られたら子供扱いされそうだから秘密だけど、僕は部屋が真っ暗だと眠れない。ちょっと薄暗いぐらいがちょうどいい。

 そうして毛布にくるまろうとした、矢先だ。


「……ルルーカ、遅い。このわたしを待たせるなんて、とても生意気」



 毛布のなかにエルフのお姉さんがいた。



「セシルさん!? 何やってるんですか、僕のベッドで……っ!?」

 思わず転げ落ちそうになった。

 一方、しー、とまるで叱るように注意してくるのは言わずと知れた、セシル・エルフズさん。


「……もう陽が落ちてるのだから、あまり騒ぐのはよくない。夜は静かに過ごすのが『森の民』の嗜み」


 セシルさんは顔立ちが芸術品のように整っていて、表情はあまり動かない。代わりに長いエルフ耳が折に触れて動く。

 おそらく『森の民』の寝巻きなのだろう、今は体にぴったり吸い付くような薄い布をまとっていた。


 一週間、共に生活しているけど、セシルさんはオリビアさんやネオンさんのように僕をからかってくることはない。

 代わりに僕のことを『ルルーカ』と呼んで子犬扱いしている。

 いつも何かにつけて『……よしよし』と頭を撫でたり、お菓子を持ってきて『食べる?』と餌付けめいたことをしようとしてきて、なんだかんだで距離が近い。

 それでもベッドにいたのはさすがに初めてだ。


「きょ、今日はどういったご用件で……?」


 夜は静かにすべきという指摘は正しい気がするので、一応、声のトーンを押さえて尋ねた。

 セシルさんは厳かに答える。……ベッドに寝転がった、リラックスした姿で。


「……今日はこの神殿の生活について文句を言いにきた」

「え、文句……ですか?」

「そう。……あ、クッキー食べる? お座りしたらあげる」

「あ、大丈夫です。もう歯を磨いちゃったので」

「……残念」


 しゅん、と耳が垂れ下がった。動物のしっぽみたいで、どちらかと言うとセシルさんの方が犬っぽい。


「それよりこの生活への文句っていうのは……」

「そうだった。これはエルフとしての苦言。だから……ルールカは心してわたしの話を聞くべき」


 一気に緊張し、僕はベッドの端で息をのむ。

 神殿生活への文句。それもエルフとして。

 エルフは寿命が長く、見た目では年齢が計れない。存在が精霊に近いので善神の加護も受けやすく、高度な神聖術を操れる。

 かつて世界が誕生した際、善神シルトは自然の調律者としてまず精霊を生み出し、次に大陸の住人としてエルフを生み出した。

 しかしエルフは種族としての完成度が高かったため、繁殖の必要が低く、大陸を席巻するほどには繁栄しなかった。


 そこで生み出されたのが人間だ。寿命が短く、技術にも乏しい人間は必死に開拓を進め、現在は大陸の様々な地域に進出している。

 結果として繁栄したのは人間だけど、エルフは種族として先達に当たる。そのセシルさんから文句があると言われれば、僕も極度に緊張してしまう。


「セシルさん、不勉強な僕に教えて下さい。僕ら神殿の神官たちにどんな至らないことがあったんでしょうか……?」

「その殊勝な態度は評価できる。教えてあげるからもっとこっちに」


 毛布を上げ、ちょいちょいと手招きされた。

 一瞬、躊躇したけど、セシルさんはネオンさんとは違う。やましいことがあるはずない、きっとエルフとしての深淵な考えがあるんだ。

 そう考えて、おずおずと彼女の隣で体を横たえる。


「……ん、素直で良い子。よっと」


 毛布が被せられ、二人でベッドに寝ている体勢になった。目の前には人間を超越した、美しい顔。曇りのない瞳で見つめられて、落ち着かなくなってくる。


「セ、セシルさん、こんな体勢で一体どんな説明を……?」

「分からない?」


 毛布の下でぽんぽんっとベッドが叩かれた。


「ここのベッドはわりと固い。エルフは普段、神聖術を施した星屑草のふかふかなベッドで寝ている。こんなベッドではとても眠れない」

「そ、そうだったんですか!? じゃあ、セシルさんはこの一週間ずっと……っ」

「一日、九時間ぐらいしか眠れてない」

「結構、寝てますね!?」


 セシルさんはいつも朝が遅い。朝食の時間に間に合わず、僕とオリビアさんで軽食を作っておいてあげることもちょこちょこあった。きっと何かエルフ特有の事情などがあるのだろうと思ってたんだけど、どうやら普通に朝寝坊していただけらしい。


「……愚かな人間よ。エルフのわたしからこの言葉を授けよう。――睡眠は、とても大事」

「知ってます! 分かってます! エルフから学ぶことじゃないです!」

「……安心するといい。エルフはとても慈悲深い。星屑草は『森』のなかでしか手に入らない。そんなものを用意しろなんて無茶は言わない。わたしは代わりのものがあればいい」

「え、代わりって?」

「ルルーカの抱き枕。これがあればわたしは安眠できる」

「へっ!?」


 いきなり微塵の遠慮もなく抱きつかれた。安らかな顔で頬擦りまでされてしまう。

 額の辺りにセシルさんの頬の感触がきた。柔らかくてとても温かい。


「おやすみ、ルルーカ……」

「ほ、本当にこのまま寝ちゃうつもりですか……っ」


 セシルさんはスヤスヤと寝息を立て始める。

 なんだかとんでもないことになってきた。

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