第9話 お姉さんに変な性癖を植え付けられる話
「というわけでルカっち、あたしの魅力で、キミに変な性癖を植え付けちゃうぞ!」
「馬鹿なことを言うのも、やるのも、考えるのもやめて下さーいっ!」
あられもない姿のネオンさんからビシッと指を突きつけられ、僕は全力で瞼を閉じた。
決して彼女の体を見るまい、と心に固く誓う。
「えー、なんでー? あたしの体じゃ満足できない?」
「そういうことじゃありません! 僕は神官なんです。それに……っ」
「ん? それに?」
勢いを失くし、ぽつりと言う。
「あ、あんまり女の人のおっぱい見てると、オリビアさんに……怒られちゃうから」
「ほほー?」
ネオンさんの声の質が変わった。
「なるほどなるほど、ここで王女様か。こりゃ意外。我が国の王女様はそういうツバの付け方をしてましたか」
「ネ、ネオンさん?」
「いやさ、一時期、酔っ払いのお客たちがよく騒いでたんだよね。『不貞の腹から王位継承の第一位に駆け登るなんて、とんでもない王女が現れた!』とか『あの王女がいれば、王国は変わるかもしれん!』とかね。そんな王女様と同じ舞台で競えるとしたら、踊り子冥利に尽きるってモンじゃん?」
妙に挑戦的な言葉だった。
僕のあごに添えられていた手が頬を通り、後頭部へ向かう。え、と思う間もなく、頭を抱えられていた。
そして感じたのは――はらり、と布が落ちる気配。
「ネオンさん、何を……っ!?」
「いつでも目を開けていいよ、ルカっち」
「いや開けませんけど……っ」
「いいのー? すぐ目の前に、大迫力の生おっぱいがあるんだぞー?」
「生っ!? え、ちょっと……っ。今、どんな格好してるんですか!?」
「それは見てからのお楽しみー」
ネオンさんがおどけた口調で体を揺らす。
もちろん見えていないので、後頭部の手の感触で伝わってくるだけだ。でも謎の風圧によって、顔の前でひどく柔らかいものが揺れているのを感じる。
ふにゅん、ふにゅん、ふにゅん、ふにゅん、ふにゅん、ふにゅん。
瞼の向こうで、柔らかい丘が二つ、互い違いにぶつかり合っている。頭がおかしくなりそうだ。
同じ年上のお姉さんでもオリビアさんは倫理的な一線を引いている。けれどネオンさんにはそれがない。この人は倫理観の壁なんて飛び越えている。
「こ、降参します……っ! もう働いてなんて言いませんから許して下さーい!」
「お? 負けを認める?」
「認めます! 認めますからぁ!」
「よしよし。じゃあルカっち、粛々とこう言いたまえ」
柔らかいものの揺れる気配が止まった。代わりにふっと香水の良い匂いがした。
ネオンさんが耳元に近寄ってきたのだ。まるで熟した林檎のようにねっとりと囁かかれる。
「――ネオンお姉ちゃん。おっぱい触らせて。って」
「言えるかーっ!」
とうとう敬語まで吹っ飛んだ。
もはや遠慮はここまでだ。僕は神聖術の発動呪文を高速で唱える。途端、閃光と共にぼんっと煙が舞った。
「おわっ、何これ!? 何したの、ルカっち!?」
煙でお互いの姿が見えなくなり、ネオンさんが戸惑った声を上げる。
一方、僕は遠慮なく勝ち誇った。
「神聖術を使わせてもらいました。もうネオンさんの好きにはさせません」
「し、神聖術!? って、神官の人たちが使う奇跡ってやつ?」
「そうです。僕たち神官は祈りと呪文によって、善神シルトの加護をこの世に顕現し、自然法則を越えた奇跡を起こせるんです。今回は僕の得意な
変化の奇跡。
これは神聖術のなかでも高度な御業の一つ。
術者は強い祈りによって、自分の姿を別のものに転じることができる。成功率は祈りの強さに比例する。つまり確実に成功させるには、自分の心の真ん中にあるものをイメージするのが手っ取り早い。
「僕の場合は鳥です。善神の神託で『雛鳥』と呼ばれたことから、僕の心の真ん中にはいつも鳥のイメージがあるんです。ネオンさんには悪いですけど、僕は変化した鳥の姿でここから逃げます!」
「くっ、そんなに堂々と逃げる発言する奴なんて、財布を忘れた酔っ払いにもいなかったよ。やるね、ルカっち……っ」
「おさらばです、ネオンさん!」
変化が完了し、颯爽と逃げようとしたのだけど……なぜか飛べなかった。鳥になったはずなのに、まったく体が浮かない。いつもは颯爽と舞い上がれるのに、どんなに羽ばたいても浮く感覚がなかった。
「な、なんで……っ!?」
戸惑っているうちに煙が晴れてしまった。
ネオンさんが負けを悟って胸の布を巻き直している。その途中でこちらに気づき、不思議そうな顔になった。
「んん!? え、ルカっち……だよね?」
「え? あ、はい……僕ですけど。……あれ?」
自分の声に違和感があった。僕の声じゃない。女の人の声だ。鳥の姿になっても声は自分のものを出せるはずなのに、何かが違う。
ネオンさんが指を差してくる。
「ルカっち、王女様になってるよ?」
「へっ!?」
慌てて自分の体を見下ろす。
豪奢なドレスに長い手足、額に触れるとティアラがあった。髪を梳くと、見事なブロンド。
鳥になるつもりが、オリビアさんに変化していた。
「ど、どうして僕、オリビアさんに……!?」
「あー……」
ネオンさんがぼそっと呟いた。若干、悔しそうな顔で。
「……なるほどにゃー。心の真ん中にあるもの、ね」
その時、ふいに書庫の扉が開いた。
キイと金具の音を響かせ、顔を出したのは本物のオリビアさん。
「ルカ君、いる? 畑にお昼ご飯の食材を取りにいきたいんだけど、一緒に……あ、ネオンもここにいたのね。ちょうど良かった。お昼は何がいい?」
「あっ、王女様。今はちょっと入ってこない方がいいかにゃー……主にルカっちの心の平穏のために」
「? どういうこと? ……って、え!? わ、私?」
オリビアさんが目を丸くする。真っ青になるのは、もちろんオリビアさんの姿をした僕。
「ち、ちちちち違うんです、オリビアさん! こ、これは何かの間違いで……っ」
「えっ、ルカ君なの?」
「あーあ、自分で正体バラしちゃったよ。……しょうがない、ここはあたしがフォローしてあげちゃおう」
胸布の端を背中側でキュッと結び直し、ネオンさんはオリビアさんのそばへ歩み寄ると、気軽な調子で肩に手を置いた。
「神聖術ってやつだよ。ルカっちね、あの格好でエッロいことしたくて、王女様に変化したんだって」
「はいっ!? 何言ってやがるんですか、ネオンさん――っ!?」
「……ふーん、そうなんだ」
「オリビアさん!? ちが、違いま……っ」
慌てて誤解を解こうとしたけど、僕の声はオリビアさんの「ルカ君?」という静かな声に遮られた。
オリビアさんの姿のまま、「はい!」と背筋が伸びる。
ブロンドをかき上げ、つかつかと歩み寄ると、彼女は言った。子供を叱る顔で。
「こらっ。女の人の尊厳を傷つけるようなことをしたら駄目。お姉さん、そういうのは感心しないぞ?」
「……あう」
怒られた。ストレートに怒られた。じわっと涙が浮かぶ。
「ほ、本当に違うのにーっ!」
「あっ、ルカ君!?」
ぼんっと煙が舞い、元の姿に戻ると、僕は泣きながら書庫から逃げる。
オリビアさんは呆気に取られ、その後ろではネオンさんがグッと親指を立てていた。
「……ルカっち、心の真ん中の件はちゃんとあたしがフォローしてやったからね。今は分からなくていい。でもいつの日か感謝するといいぜ?」
そんなふうにネオンさんがひとりで満足顔をしているが、当然、僕は知ったこっちゃない。
結局、追いかけてきたオリビアさんが大人の対応で慰めてくれるまで、畑の横でしくしく泣き続けた。
……本当、ネオンさんには真っ当な大人になってほしい。
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