第6話 我は退治する魔のイノシシ! ぜんぶ! 食べないけど!
僕とオリビアさんは調理台に並んで、一緒に夕飯の支度をしている。
跡目争いで兄弟姉妹をやっつけた件を語り終え、オリビアさんはにこやかに話を締めた。
「というわけで、こうして私はいつの間にか第一王位継承者になってたのよ」
「ぜんぜんいつの間にかじゃない気がします。順当に跡目争いを勝ち抜いた結果だと思います」
「やー、途中から兄弟姉妹を更生させることに躍起になっちゃってね。王位継承権のこととかすっかり忘れてたんだよね」
「あ、更生させたってことは兄弟姉妹の皆さん、ご存命なんですね……。良かったです」
「もちろん。みんな、王宮でしっかり働いてくれてるよ?」
「働いている? ……あ、今一瞬、嫌な予感が過ぎったんですが」
なんだか胃を押さえたくなってきた。
「オリビアさん、悪魔祓いのために神殿にきてくれたわけですけど、その間、王女様としてのお勤めとかは……?」
「もっちろん、全部、兄弟姉妹たちに丸投げしてきたよ?」
ジャガイモが景気よくぽーんっと調理皿へ放り投げられた。きっとこんなふうに仕事も丸投げしてきたのだろう。
胃がキリキリしてきた。僕は青ざめた顔でうずくまる。
「跡目争いを勝ち抜いた第一王位後継者がいきなり不在になるとか、ルドワール王国は大丈夫なんですようか……」
修道騎士を迎えにいかせたのは僕たち神殿勢力だけど、突然王女の抜けた王宮の混乱を思うと、胃が爆発しそうだった。
「そんなに気にしなくていいよ。現国王はまだ健在だし、王女の仕事なんて晩餐会とか有力諸侯への挨拶回りぐらいだもの」
「それ、結構大切な気がしますけど……」
「恣意的な見方をすれば、今だって仕事中みたいなものよ? 神殿勢力って大陸のなかでも特異な存在だしね。そこと交流が生まれるのはルドワール王国としても悪くはないってことで、国王も私が神殿にくるのを止めなかったもの」
だから気にしなくていいよ、とオリビアさんは肩を竦める。
国家同士が小競り合いを繰り返す大陸のなかで、神殿勢力と魔法同盟だけは国境を越えて各地に支部を置いている。
おかげで入ってくる情報は多く、それを欲しがる国家も少なくない。
だからこそルドワール王国も王女のオリビアさんを送り出したのだろう。
それは分かるけど……。
「……すみません、神殿としては国同士の争いに肩入れは出来ないです」
「ああ、それは別にいいの。王国の意図とか私にはどうでもいいし」
「どうでもいいんですか。王女様なのに……」
「昼間も言ったでしょう?」
ツン、とオリビアさんの肘が小突いてきた。親しさの込められた動きだった。
「私はキミに会いにきたんだよ」
肘と同時にブロンドの毛先が鼻先で揺れた。ほのかな香水の匂いが届き、鼓動が速くなる。
「ぼ、僕、ちょっと火を起こしますね」
誤魔化すように竈の方へ移動した。そこには神聖術を施した炭が置いてあり、呪文を唱えるとすぐに火が入った。
水を張った鍋を置きつつ、おずおずと訊ねる。
「昼間の時も思ったんですけど、僕に会いにきたというのは……えっと、どういう意味なんでしょうか?」
「そのままの意味だよ」
オリビアさんも手を止め、火の加減を見ようとこちらへやってくる。
「最初はね、実際、興味無かったのよ。神殿の布告書も大臣が持ってきてくれたけど、普通に読み流してたし」
「そこはちゃんと読んで頂きたいです……」
「で、どうやら私が聖女らしいってことになって、王宮付きの修道騎士が説得にきたの。その時、水晶球を見せてくれたんだ」
「ああ、それは……」
神聖術を施した水晶球だ。聖女と思われる人物が見つかった際、聖シルト大神殿がどんな場所か伝えるために、僕たちが用意したのだ。
「でね、その水晶球に――」
ちょいちょいと鍋が指差された。
何だろうと思ったが、ここを覗けという意味だとすぐに気づき、僕は身を乗り出す。
「この顔が映ったわけだ」
鍋の水面にはやや幼い顔立ちの少年が映っている。
オリビアさんが水晶球で見たのと同じ、僕の顔だ。
「私が気になったのは、キミの目」
「僕の……? ふえっ!?」
突然、背後から抱き締められた。
ドレスの両腕に包まれ、首筋にブロンドの髪が触れる。背中には柔らかくて弾力のある何かの感触。反射的に身動ぎしそうになったが、
「静かに」
耳元で囁かれ、体が強張った。
「見て」
しなやかな命令形。
逆らえず、水面に目を移す。いつの間にか鍋が沸騰を始め、水面が揺れていた。
覗き込んだ二人の顔は波紋によって揺れている。
「キミの目は昔の私によく似てる」
「昔のオリビアさんに……?」
「そ。養護院で暮らしてた頃の私。決して裕福ではないけれど、世界の醜さなど知らず、娯楽本にわくわくして、この世に光が溢れていると信じられた頃の私。もしもあの頃の私と似たような子がそばにいたら……」
声は小さく響いた。
「……私は守ってあげたい」
どこか切ない響きを感じ、自然に振り向きかける。
しかしそれを阻むように、さらに抱き締められた。
「ひゃ……っ!?」
密着度が高まり、女の子みたいな声が出てしまった。
ふふ、とオリビアさんは楽しそうに微笑む。
「ルカ君は昔の私にとても似てる。そんなキミを私は守ってあげたい。安心して。たとえどんなにこの世界が醜くても、お姉さんがキミのこと守ってあげる♪」
「いえ守ってません! ぜんぜん守ってません! むしろ現在進行形でイヤらしい冥府魔導に引き摺り込んでます!」
「えー、なに? イヤらしいってどういうこと? 私は親愛の意味で抱き締めてるだけなのに、ルカ君は私にどんな気持ちを抱いちゃってるのかなぁ?」
「や、それは……っ」
にやにや笑いでからかわれ、恥ずかしさで死にそうになった。
ダメだ、このままじゃ僕はダメな人間になる……っ。
神官としての倫理をかき集め、全力抵抗。
「は、離して下さーい!」
身を捩りながらオリビアさんの両手を振りほどく。しかし、体勢が悪かった。振り向いたせいで、鼻先が触れ合うほど間近に――オリビアさんの胸が。
「……っ」
豊かな双丘が波を起こすようにふるんっと揺れた。
顔が熱い。僕は真っ赤になったまま動けない。
一方、オリビアさんはさすがに照れた顔で小首を傾げた。
「んー、そんなに熱烈におっぱいだけ見つめられると……ちょっと恥ずかしいかな?」
「ご、ごめんなさい――っ!」
「あ、ほら、お鍋があるから危ない」
反射的に仰け反りかけ、危うく火のついた鍋に触れそうになった。
でもオリビアさんが腰を抱いて止めてくれる。そして、
「えいっ」
額をツンッと突かれた。
「エッチな子にはおしおき。これで許したげる」
柔らかい笑顔。
ぜんぜん痛くなかった。
むしろ、照れながらもお姉さんらしく振る舞ってくれたオリビアさんの態度が鼓動を加速させた。
「あ、あのえっと……」
「ルカ君?」
「僕、イノシシ退治してきますーっ!」
「いや魔獣は食べないよ!?」
とうとう調理場から逃げ出した。
背後でオリビアさんが「あらら」と苦笑する声を聞きつつ、僕は廊下をひた走る。
……結局、この日の夕飯はオリビアさんが作ってくれて、後で僕は平謝りしたのだった。
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