第5話 王女様の気ままな最強レシピ

 オリビアさんたちが到着した、その日の夕方。

 僕はグランドール小神殿の調理場で「よし」と気合いを入れた。


「頑張るぞ。大神官様仕込みの神殿料理でオリビアさんたちをおもてなしするんだ」


 今日からここで皆さんと生活する。

 正直、経緯には色々思うところがあるものの、決まってしまったものは仕方がない。

 気を取り直して、今日は盛大におもてなしするのだ。

 神殿の敷地には畑や飼育小屋があって、必要なものはすでに取ってきている。


「食材はふんだんに。今日は豪勢に鶏肉も使っちゃおう」


 紐でローブの裾を縛り、包丁を手にする。

 神殿での肉食はとくに禁じられていない。

 調理台には絞め終えた鶏や野菜、香草が盛りだくさんで並べてある。

 また調理場には大きな竈があり、鍋や蒸し器など、一通りの調理器具も揃っている。なかには神聖術を施した道具もあり、特製の冷蔵箱では食材を冷やすことも可能だ。


「エルフはお肉をあまり食べないって本に書いてあったから、セシルさんには野菜と果物中心がいいよね。ネオンさんは酒場で働いてるからやっぱりお酒を出した方がいいかな。お客さん用の果実酒にルッツベリーの実を添えてみよう。王女様のオリビアさんにはこの鶏を豪勢に切り分けて……」


 と、思案していて、はたと止まった。羽根をむしった鶏肉を改めて見つめる。


「……待って。王女様に出すのに、本当にこの鶏でいいのかな?」


 神官からすれば豪華な食材ではあるものの、あくまで節制の下に育てられた鶏なので肉付きがそれほどいいわけではない。

 なんだか不安になってきた。いても立ってもいられず、包丁を置くと、僕は調理台に立てかけてあった杖を手に取る。


「裏山へいこう! 去年、畑を荒らしたイノシシが魔獣になりかけてたはず……っ」

「はいはい、ちょーっと待った」

「ふえっ!?」


 駆け出しかけたところで誰かに襟を掴まれた。軽く仰け反り、反転した視界で目を見開く。


「オリビアさんっ!?」

「そ、私♪」


 襟を掴んでいたのはオリビアさんだった。簡素な調理場に立つ、豪奢なドレス姿。なんとも妙な光景だった。


「どこにいくつもりなのかな、ルカ君?」

「あ、えっと……」


 襟から手が離され、着崩れたローブを直す。


「ちょっと山へイノシシ退治に」

「なんでまた突然。お夕飯の支度してたんだよね?」

「イノシシをオリビアさんへのメインディッシュにしようと思って……」


「魔獣がどうとか言ってなかった?」

「去年、イノシシを退治しようとして逃げられたことがあったんです。その時、闇をまとい始めてたので、そろそろ魔獣化してお肉が三倍ぐらいになってるかなって」

「はい、ここでお姉さんから根本的な質問。魔獣って食べられるの?」

「…………食べたら魔素で壊死します」


 話しているうちに冷静になってきた。血の気が引いて青ざめる。

 一方、オリビアさんは気軽に肩を竦めた。


「んー、珍味の類には興味あるけど、死んじゃうのはまだ嫌かな」

「す、すみません! 僕、思い余ってとんでもないことをしようと……っ」

「まあまあ、落ち着いて。私ね、王族って言ってもわりとなんでも食べられる方だから大丈夫だよ。もともとのメインディッシュ候補はこの鶏肉ね?」


 オリビアさんはドレスの袖をまくると、鶏肉をひょいとまな板に載せた。まだあちこち血がついているが、気にする様子はなかった。驚くほど慣れた手つきで胸肉を薄くスライスしていく。


「オ、オリビアさん……?」

「窯の準備がしてあるところを見ると、ローストしようとしてたのかな? でもこのサイズの鶏肉ならスープの具にした方が味が引き立つよ?」


 ドレス姿の王女が手際よく調理していく様はなんとも不思議な感じだった。しばらく呆けて見ていて、はっと我に返る。


「あ、お客様に調理してもらうわけには……っ」

「いいからいいから。元々、ルカ君の手伝いをしようと思って調理場にきたんだよ、私」

「え、オリビアさんがですか……?」

「そうだよ。キミたちが用意してくれた部屋に荷物を移して、ネオンとセシルと軽くおしゃべりしてたら、畑か何かに向かうルカ君の背中が窓から見えたの。あー、お夕飯の支度だなって思って。こうしてきたわけだ」


 ブロンドの髪を揺らし、にこっと笑みを向けられる。

 お皿取って、と言われたので、慌てて調理用の皿を差し出した。

 スライスされた鶏肉が一旦、皿に移される。


「それにほら、私たち、まだ挨拶した程度でしょう? これから一緒に住むんだし、お夕飯の支度をしながらお喋りしたらちょうどいいじゃない? 自己紹介がてら仲を深めましょうってこと」

「それは色々ありがたいですけど……」


 オリビアさんは羽の肉を削ぎ落とす作業に取り掛かっている。手つきにはまったくよどみがない。


「オリビアさんって……本当に王女様なんですよね?」

「あら、王女が料理上手だとおかしい?」

「身の回りのことはお城の人たちがするものだと思ってました。ちょっと不思議です」

「ふふん、これは自慢だけど、私は自分の世話は自分で出来るよ。炊事、洗濯、お掃除、お裁縫、なんでもござれ。ほら、ルカ君も見てないで手伝う。お野菜の皮向いて。早く早く」

「あ、はい。やりますっ」


 足元の戸棚から新しい包丁を出し、ジャガイモやニンジンの皮剥きを始める。

 いつの間にか、こっちが手伝う側になっていた。


「私ね、現国王の愛人の子なの」

「あいじん? ……って、なんですか?」

「あー、ルカ君は分からないか。キミってずっとこの神殿にいるんだっけ?」

「はい。外の世界の知識は、ほとんど本で読んだものばかりです」

「分かりやすくいうと、私はルドワール王が王妃以外の女の人に産ませちゃった子供ってこと」


 一瞬、意味が分からなかった。

 たっぷり十秒ほど考え、驚愕する。


「ええっ!? そんなことあるんですか!?」

「んー、わりとあるねえ。神殿の外では」

「冒涜的です!」

「冒涜的だねえ」


 思わず叫んでから、とても失礼なことを言ってしまったことに気づいた。

 しかしオリビアさん本人はからからと笑っている。


「私の母親は地方貴族の次女だったの。一応、生んではくれたんだけど、当然のように私は存在しない子供扱いでね。自分の出生の秘密も知らないまま、親のいない子たちの養護院で平民として育てられたんだ」

「あ、もしかしてそれで……」

「そ。おかげで家事はばっちり」


 得意げなオリビアさん。そこには確かに王族の高貴さより、地に足の着いた人間の親しみやすさがあった。

 あ、でも……、と僕の頭に疑問が浮かぶ。


「オリビアさんは第一王位継承者ですよね? つまりは……次の王様候補。本で読んだ知識ですけど、王位の継承権は正室の子から順番だったと思うんですが」

「お、詳しいね」


 オリビアさんは香草を切ると調理皿に載せ、僕が皮を剥いた野菜を切り始める。


「あれは……ちょうど今のキミと同じぐらいの歳の頃だったわ」

 野菜を一口サイズにしながら、オリビアさんは世間話をするように語った。



 ある日、養護院に王宮からの使いがきた。明かされたのは、出生の真実と自分の運命。オリビアさんは地方の養護院からいきなり王宮へ連れてこられた。

 老いた現国王が何を思ったか、過去の不貞まで自ら暴露し、自分の血を受け継ぐ子供を全員王宮に集めたのだ。

 否が応にも始まるのは、権謀術数渦巻く跡目争い。

 オリビアさんは王位継承権を懸けて、兄弟姉妹と争うことになった。


「なんて哀しい話……」

 当時のオリビアさんの気持ちを思うと、胸が痛くなった。僕は包丁を置き、ローブの胸に手を当てる。


「自分の血縁が見つかって、普通なら幸せな日々が始まると思うところなのに。まさかその血縁の兄弟姉妹と争うことになるなんて……」

 さぞ辛い思いをしたのだろう、と彼女を見上げる。


「それで当時のオリビアさんは……」

「ええ……」

 オリビアさんは一瞬、切なげに目を伏せたかと思うと、直後――熱く拳を握り締めた。



「ぶっちゃけ、すっごく燃えたわ!」



「えっ」

「私、町の貸本屋が持ってくる娯楽本が大好きなのよ。実は王家の血筋で、兄弟姉妹と王位を争うとか、もう英雄譚まんまじゃない? しかもおあつらえ向きに兄弟姉妹たちは全員、圧制者予備軍みたいな根性の捻じ曲がった連中ばっかりだったの。もう私、楽しくなっちゃって!」

「ええー……、それでどうしたんですか?」

「みーんな、ぶっ飛ばしたわ♪」


 ターンッと包丁を下ろし、跳ねたジャガイモをキャッチして良い笑顔。


「決闘を申し込んできた兄弟には正面から決闘で、搦め手を使ってきた姉妹には裏からもっとえげつない搦め手で、全員が『ごめんなさい』するまで徹底的にコテンパンにしてやったの」

「うわぁ……。もう言葉も出ません」


 最初は悲劇のヒロインのような人だと思ったのに、その実、物語の主人公のような人だった。

 オリビア・レイズ・ルドワールは最強の王女様である。

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