破滅の足音 1

 *****


 城の一室で悪びれないデリウス公爵と対峙しながら、俺、クラウスはイライラが頂点に達していた。


「ほう? 自分で指示を出しながら、公爵はここに書かれた全てに覚えがないと言うのか」

「はて、いったい何のことですか? 指示なんてとんでもない! 下の者が勝手にやったことでしょう。私のせいにされても、困るだけですな」


 親子揃ってよく似ている。自分より弱い者に罪をなすりつけ、自分は知らん顔をするつもりなのか。


「よくもまあ、見え透いた嘘をく。文書には貴公のサインもあり、関わった者の言質げんちも取っている。それでもまだ、シラを切ると?」

「そ、それは……」

「言い逃れはできない。もちろん気づかなかった弟にも責任を取らせよう。取り調べは以上だ、牢に連れて行け」


 これ以上顔を見るのも嫌だと、俺は席を立つ。足を踏み出しかけたその時に、デリウス公爵が大声を上げた。


「待ってください、クラウス殿下! 実は今日、野良猫を捕まえる予定でして」

「……猫?」


 俺は顔をしかめた。公爵はこの期に及んで、何を言い出すつもりだ? まさか先日の話の続きでもあるまいし。猫の話といえば……時々つらそうな視線を俺に向けるミレディアは、今日もアウロスと会っているのだろうか? 気にしたって仕方がない。彼女の心は、とっくに弟のものなのだ。


「ええ。高貴な二人に可愛がられて、大きな顔をしている猫です。生意気なので、しつけ直そうかと思いまして」


 公爵の言葉に気がつき、足を止める。目を合わせると、ふてぶてしい丸顔の中の小さな目が嬉しそうに輝いた。


「なあに、大事にしますよ。でも今は、少しだけ遠くにおりますがね」


 俺は大股で近づくと、公爵の胸倉を掴んで激しく揺さぶる。


「貴様! まさか、白昼堂々人をさらったのか?」

「い、いえ、とんでもない。私は猫の話をしておりまして」


 ものすごく嫌な予感がする。

 俺は周りに指示を飛ばした。


「ミレディア嬢は今、どこにいる? 至急アウロスを呼べ。ベルツ家にも遣いを出せ!」

「それでしたら今朝、こちらが届きました。業務に支障が出るので、後からお見せしようかと考えておりまして」


 走り去る護衛をよそに、秘書官が持っていた手紙を渡す。ひったくるように手にしたそこには、『今日これから、依頼された一角獣の刺繍入り手巾と、総レースの女性用長手袋をお届けに上がります』と、ミレディア自身の筆跡で書かれてあった。


「今朝……と言ったな? 今は昼過ぎだが、まだ来ていないのか?」

「ええ、いらしてないようです」

「その後連絡は?」

「何も」


 何かがおかしい。予定が変わるのであれば、真面目なディアなら連絡を入れてくるはずだ。

 焦る俺を見て、公爵が声を立てて笑う。


「はっはっはー。猫は気まぐれですから今頃どこにいるのやら。もしそちらで飼われるのでしたら、お譲りしましょうか? まずは条件の話し合いですな」


 俺は公爵を睨みつけた。挑発には乗らず、事実確認が先だ。間もなく走って来た弟が、青ざめた顔で俺に告げる。


「僕の所には来てないよ。今日ディアが来るという話も聞いていなかった。公爵……まだ観念していなかったのか」

「アウロス様! 私は貴方様のためを思えばこそ……く、苦しい。クラウス様、放して下さいっ」


 俺は公爵の胸倉を再び掴むと、そのまま持ち上げた。もし猫がディアを指すのなら、早く助けないと大変なことになる。公爵だけならまだしも、彼の娘が関わっているとなると恐ろしい。


「どこにいるのか白状しろっ。お前の娘、エルゼはこのことを知っているのか!」


 掴む手に力がこもる。公爵の太い首が服に絞めつけられて、顔が赤黒く変わっていく。


「ぐ……ぎ……」

「待て、クラウス。それ以上はさすがにマズいだろ。喋れなければ、居場所もわからない」


 アウロスに止められ、俺は手を放した。床に落ちた公爵が、這うように両手をついて必死に空気を取り込んでいる。


「ぐへっごへっへっはっ」

「公爵も早く話した方がいい。僕もクラウスも、許せる気分じゃないから」


 許す、だと? 罪を重ねたばかりかディアにまで手を出したのに?


「かはっ、王子が、手荒なことをして、た、ただで済むと?」

「犯罪者に言われたくない」

「なっ、そんな言い方で、私が話すとお思いですか? ここは一つ、冷静に取引を……」

「話さないなら、話したくなるように仕向けるまでだ。最初はどこがいい?」

「は? いったい何を……痛、いたたた」


 公爵の手首を握り、ギリギリと力を込めた。優秀な部下達は、見て見ぬ振りをつらぬいている。早くしないとディアが危ない。


「そ、そんなことで私が屈すると、お、思うのか」

「ほう? 公爵は腕が要らないようだな」

「クラウスは軍隊上がりだから、加減を知らないよ?」


 アウロスが横から口を挟む。のん気なことだ。元々はお前のせいで……


「お、王太子が……次期王太子がこんなことをしていいと、思っているのか!」

「王太子の地位などアウロスにくれてやる。それより、ディアに何かあればお前を生かしてはおかない!」

「ぐあっ、ま、待て待て待て。わかった、言うから離せ、離してくれ!」


 公爵の悲鳴に近い声に、俺は腕を緩めた。睨みつけたまま先を促す。


「まったくもう、こんな男にエルゼは……痛いっ」

「時間がない。俺は答えを待っている」


 さすがに我慢の限界だ。答えないなら次こそこいつを、思いっきり蹴飛ばそう。


「森だ! 東の『暗い森――ドゥンケルヴァルト』。なるべく遠くへ連れて行くよう命じた」

「誰に?」

「よく知らん。娘の側にいた女だ」


 思わず舌打ちした。それなら、ディアの行方はエルゼの耳にも届いているだろう。しかも『深い森』は広大で、迷えば見つけるまでに時間がかかる。まあ公爵家の者と一緒なら、迷う心配はないのだが。


「公爵を牢に繋いでおけ。ミレディア嬢が見つかるまで、何も与えるな」

「な……食事抜きだと?」

「黙って。クラウスの邪魔をして、ぶっ飛ばされたいの?」

「アウロス、後を頼む。俺に何かあれば、お前が代わりを務めてくれ」

「クラウス、僕が行くよ。ディアは僕の恋人だ」


 刺すような痛みは無視することにする。ディアがアウロスのことを好きでも、俺はまだ自分の気持ちを彼女に告げていない。


「森なら俺の方が慣れている。ベルツ家に寄り、そのまま向かう。お前は兵を連れて公爵家へ」

「……わかった。その代わり、見つけたらすぐに連絡をくれ」

「ああ、約束しよう」


 信頼できる護衛を連れて、俺は城を飛び出した。速駆けなら得意だ。




 王都にあるベルツの屋敷に到着したところ、大騒ぎになっていた。


「信じられない! ミレディアを引き渡すなんてどういうことだ!」

「お嬢を残して帰って来たって……。お前、それでも護衛か?」

「貴方は要りません。お嬢様を連れて帰って下さいっ」


 玄関ホールの大声が、外にまで聞こえている。構わず中に入った俺は、ひざまずいて泣く大きな男の姿を見た。ディアの兄によると、この護衛が自分の仲間と引き換えに、彼女を公爵の手の者に差し出したらしい。怒りが湧き起こるが、かろうじて抑えた。今は一刻も早くディアを助け出す必要がある。

 

「ああもう、だからアウロス王子に協力するのは反対だったんだ!」


 ヨルクの言葉が引っかかり、俺はすかさず尋ねた。


「協力? どういうことだ?」

「あれ、クラウス王子は聞いてませんか? アウロス王子が王太子の座とエルゼを回避するため、ミレディアに恋人のフリを頼んだのですが」

「恋人の……フリ?」


 聞き間違いだろうか。ディアは、アウロスのことが好きではないのか? 戸惑う俺にヨルクが続けた。

 

「はい。クラウス様が王太子になれば、安心できる世の中になると言って」

「オ……私も聞いた。ついでに何かいろいろ約束したんだって」


 リーゼという名のディアの侍女も答えた。思わず顔を片手で覆う。それなら俺は……彼女を諦めなくてもいいのか? 

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