破滅の足音 2

 嬉しいが、喜んでいる暇はない。

 アウロスのことが好きなのか否か。

 彼女自身の口から真実を聞き出すためにも、森へ急ごう。


「ディアの今日の服装は?」

「ラ、ラベンダー色のドレスです。えりすそがベルツのレースで、同色の帽子を被っているかと」


 もう一人の侍女が答えた。ハンナと呼ばれた彼女も、城で何度も見かけたことがある。


「わかった、ありがとう。それからヨルク、この男を貸してくれ。どの道を通ったのか案内を頼みたい」

「使い物になりませんが、よろしいのですか? まさか、クラウス王子が自ら助けに?」

「ああ、すぐに向かう」


 東屋でも会った大柄な男は、マルクというらしい。妹を案じるヨルクも付いて来ようとしたが、足手まといになるので断った。

『深い森』に向けて全速力で馬を駆る。途中、馬を休ませている間に俺はマルクに疑問をぶつけた。


「動きを見て気になったが、もしかして護衛の経験がないのではないか?」

「ど、どうしてそれを!」


 やはりそうか。彼は東屋でディアを守り切れず、貴族の子弟を傷つけることをためらった。また、仲間を優先し、主人をあっさり引き渡す。本物の護衛なら、そんなことはしない。


「なぜ伯爵家に潜り込めた? 公爵家の者か?」

「いえ、あの……酒場でたまたま話を聞いて」

「酒場?」


 マルクの話によると、「女性に興味のない護衛が見つからない~」と大騒ぎしていたヨルクを見て、思いついたそうだ。護衛の経験はないが、互いにしか興味のない自分達なら雇われるのではないか、と。


「つまり、ヨルクはその条件を優先した。君達もギルドに登録しているわけではないと、そういうわけか」

「ええ、まあ」


 ヨルクももう少し考えれば良かったものを。歴戦の猛者もさが、たとえそうであっても「女性に興味がない」と自ら名乗りを上げるわけないだろう? 妹好きもここまでくると恐ろしい。そのせいで彼女は今、危険な目に遭っているのだ。


「だが、仲間を助けるだけならディアを引き渡した後、そのまま逃げることもできたはずだな。裏切った家にわざわざ戻って来たのはなぜだ?」

「それは……お嬢様が逃がしてくれたからです。その身を投げ出し、私達を庇って下さったので」


 髪をかき上げため息をつく。

 ディア、君はなぜ――もっと自分を大事にしないんだ? 




 日が沈む前に、マルクがディアと別れたという森の入り口に到着した。ここから入った狩猟用の小屋にでも、彼女は捕らえられているのだろう。よく見れば所々に馬のひづめの跡があるから、俺の推測は間違っていないはずだ。


「ここからは二手に別れよう。ミレディアを発見したら、笛で合図をしてくれ」

「かしこまりました。お気をつけて」


 三人ずつに分かれた。笛は鳥の鳴き声にも似ているため、たぶん相手に警戒されない。ディアを早く助けようと、俺は木立の中でもぎりぎりの速度を保った。夜には真っ暗で何も見えなくなるから、救出に向かうすべがない。それまでが勝負だ。

 進むにつれ、日が急速に傾く。気が付けば、オレンジ色の夕日が沈もうとしていた。


「クラウス様、そろそろ戻った方がよろしいかと」

「まだだ、もう少し先に……待て、この匂いは何だ?」


 そう遠くないところから、焦げたような匂いがした。俺は嫌がる馬をなだめ、そちらに進む。急激に不安が募る。少し開けた場所に黒焦げの塊が見えるが……あれは、建物の残骸か? 

 馬を飛び降り、慌てて近づく。触れた地面は温かく、所々から煙も立ち上っているようだ。見つかることを恐れてここを焼き払い、他に移動したのか? いや、公爵の身柄は城で拘束していたため、連絡する手段は断たれていた。それなら誰が? エルゼの仕業だとしたら、いったい何のために――?


 じわじわと恐怖がせり上がる。

 捕らえたディアを置き去りにして、ここを離れたわけではないだろうな?


「クラウス様、こちらをご覧下さい! ちょうど崩れたまきの下にあって……」


 優秀な兵が焼け残ったわずかな物を見つけたようだ。受け取った瞬間、思考が停止する。

 目にしたものが信じられない。いや、信じたくないと言えばいいのか。焦げ付いたラベンダー色の生地には、わずかにレースが付いていた。特徴的なベルツのレースだ!

 

「バカな!」


 頭が理解を拒み、苦しくて息もできない。


「違う……何かの間違いだ。これは、ディアのものじゃない!」


 彼女が俺を残して、先に逝くはずがないだろう? 俺は切れ端を握り締めて、ただひたすら彼女の無事を祈った。



 *****



 クラウスが慌ただしく去った後、僕――アウロスも兵を引き連れてデリウス公爵家に向かった。といってもエルゼが森にいるのなら、ここはもぬけの殻のはずだ。

 ところが、屋敷の正面近くで公爵家の馬車に行き会った。馬車は急停止し、窓からエルゼが顔を出す。


「まああ。アウロス様、どうなされたの? わざわざいらして下さるなんて、嬉しい驚きですわ」


 エルゼは相変わらずだった。父親が捕まったというのに、着飾って出掛けていたのか? それともディアが中にいる?


「エルゼ嬢、緊急事態だ。中を改めさせてもらう」

「緊急事態? いったいどういうことですの?」


 不思議そうな顔は、演技にはとても見えない。けれど僕もクラウスも、この女の本性をよく知っている。

 

「人が一人攫われた。公爵が指示したらしい」


 エルゼは初めて聞いたように、身を震わせた。


「お父様が? まさか、そんな恐ろしいことを!」


 扉を開けさせ、中に乗り込む。エルゼと目の細い侍女……だけ? だったらエルゼは、父親の件とは無関係なのだろうか?


「ディアを……僕のディアを知らないか?」


 あえて口にする。

 けれどエルゼは、一瞬強張った表情を見事な笑みで覆い隠した。


「さあ、何のことかしら。どうしてわたくしが知っていて?」


 森には行っていないのか。

 諦めて馬車を降りようとしたところ、侍女の顔色が悪いことに気が付いた。侍女は両手を顔の前で組んでかすかに震えている。待てよ、さっき公爵は何と言った?

 

『よく知らん。娘の側にいた女だ』


 ――まさか!

 僕は侍女を見て、次いでエルゼとその足元を見た。ドレスの裾を一気にまくり上げる。


「きゃあっ、アウロス様ったら。こんな所で大胆ですわ!」


 喜ぶエルゼを無視し、彼女の足に手を伸ばす。足首を持ち、履いていた銀色の靴を脱がせた。その裏には……


「なぜ腐葉土ふようどが? それにこの葉っぱは?」


 特徴的で小さな葉は、この近辺にはないものだ。エルゼはやはり、森へ行ったのか。

 馬車の中の温度が、一気に下がった気がした。連れ去ったはずのディアだけが、ここにはいない。


「さ、さあ?」

「申し訳ありません、すみませんすみません……」

「お前! よくもっ」


 侍女が震えながら謝罪する。

 そんな侍女をエルゼが叱り飛ばした途端、外では騒ぎが持ち上がる。


「なっ、いきなりなんだ?」

「抵抗するな! 取り押さえろ」

「エルゼ様ーーっ!」


 外に目を向ける。絶叫した男が、刃物を振り回しているようだ。従僕の出で立ちだが、刺客なのか? だが、鍛えられた兵士を相手にかなうはずがない。男はあっさり捕らえられた。


「何なの、これ。わたくしは知らないわ。彼が勝手にしたことよ!」


 他人に罪をなすりつけるとは、どこまで性根が腐っているのか。それよりディアは、どこにいる?


「ディアは……ミレディア嬢はどこだ?」


 歯を食いしばり、声を出す。エルゼと侍女をかわるがわる見つめると、侍女が先に口を開いた。


「ドゥンケルヴァルトです。でも、もしかしたらもう……」

「何なのよ! わたくしは知らないわ。ねえアウロス様、信じ……きゃあっ」


 僕の腕にすがりつこうとするエルゼを、思いっきり振り払う。勢いで、手が彼女の頬をかすったようだ。エルゼが邪魔なせいで、侍女の話がよく聞こえない。


「痛いっ。わたくしに対してこの扱いはどういうこと! 貴方は女性に優しいはずで……ふぐっ」


 エルゼの顔ごと片手で掴むと、背もたれに彼女の頭を押し付けた。騒ぐだけなら斬り付けたいが、立場上それはマズい。


「うるさいな、黙っていられないのか? 優しいのはクラウスだ。手を上げてしまわないよう、わざと君を遠ざけた。僕は、害虫には優しくできない」


 エルゼを睨みつけた僕は、侍女の話に耳を傾ける。侍女は観念したのかエルゼを庇おうともしなかった。詳しい話を聞くにつれ、目の前が絶望に染まる――お願いだ、誰か嘘だと言ってくれ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る