偽の恋人 1

 領地に戻り二ヶ月が過ぎた。リベルト国は比較的暖かく、冬でも滅多に雪が降らない。でも万一ということもあるから、そろそろ赤大根の収穫をしよう。


 老後に備えて王都で多くの買い物をした。縁側で読みたい本や座布団に似た平たいクッション、孫の手にそっくりな木の棒など。王城からの呼び出しを待つ間にメイドの恰好をして探し回り、街で揃えたものだ。

 残念ながら緑茶は見当たらなかったけれど、よく似た味の紅茶をクラウス王子から大量にもらった。


「彼は元気でいるかしら? 王都はここより寒く……」


 関係ないわね。ええっと、何だっけ?

 そうそう、大根の種も見つけたので、領地に帰って早速いてみた。西洋赤大根はすくすくと育ち、ちょうどいい大きさに。

 これを干して塩と砂糖、乾燥させたりんごの皮や麦のふすまで作ったぬか床を加えて漬ければ、たくあんに似た物ができそうだ……ただし、外側は黄色ではなく赤。料理人だった記憶もあるので、そこそこいけると思う。


 のんびりした環境だし、老後に向けての準備は着々と整っている。伯爵となった兄のおかげで生活には困らず、王城との取引により商売も順調だ。ハンナとリーゼも来てくれたし、最近は私も一緒に村の女性達の集まりに顔を出すようにしている。

 並んでレースを編みながら、広く意見を聞き積極的に取り入れた。診療所や学校、ホールも兼ねた集会所などを新しく建設中で、ベルツ領内はますます活気づいている。

 それなのになぜ、心にぽっかり穴が開いたような気がするのだろう?


 物思いにふける私が、屋敷近くの畑(ちなみに兄が、男性のみ立入禁止にしている)で赤大根を引き抜いていると、こちらに近づく軽い足音が聞こえてきた。


「お嬢! じゃなかった、ミレディア様。収穫は後回しにして、すぐに戻ってって。お客だってさ」

「あらリーゼ。お客様って? ヨルクはどうしたの?」

「あれ、聞いてなかった? 今朝から仕事で出掛けているよ。貴族の集まりだとか何だとか」

「そうか、すっかり忘れていたわ。どなた?」

「知らない。呼んで来るように言われただけだから」

「ありがとう。リーゼは足が速いものね」

「ハンナには、もっとおしとやかにしろって怒られる」

「ふふ、ハンナはすっかりリーゼのお姉さんね?」

「どっちかっていうと、オ……私の方がしっかりしてると思う」

「それは……内緒にしておきましょうか」


 笑みを交わしリーゼと二人で並んで歩く。憧れていた生活そのものなのに、ふとした時に物足りなさを感じてしまうのはなぜ? 王都を離れてたった二ヶ月なのに、どうして寂しい気持ちになるの?


 屋敷に戻り、玄関ホールに入ると家令が慌てていた。いえ、家令だけでなくハンナまで興奮している。


「お、お、お嬢様、お、おお、おおじー様が」

「お祖父様? とっくに亡くなっていらっしゃるわよ?」


 焦るハンナを横目で見ながら、家令が言葉を引き継いだ。


「いえ、王子様がお見えです。先触れもなく突然いらしたので、どうしたものかと」


 王子様? 

 王子って……まさか! 

 私は黒髪の彼を思い浮かべた。

 泥だらけの手でスカートを摘まみ走り出す。


「待ってお嬢! 汚れがまだ……」


 リーゼの声も気にならない。そのままの手でドアを開けた私は、応接室に飛び込む。見れば、窓から漏れる光を背に男の人が立っていた。


「あれ? ディア、そんなに急いで来てくれたの? 光栄だね」


 ――……違った。

 私は立ち止まり、肩を落とす。

 不意に気づく……自分が誰に会いたかったのかを。近づけば我が身が危うくなると知りながら、私は何を期待していたの? 


 目を閉じて深呼吸をする。気持ちを落ち着かせると、私は目の前の人物に意識を戻した。


「ご無沙汰しております、アウロス殿下。こんな恰好で申し訳ありません」


 畑に入るため、簡単な服装だった。前掛けにも泥が付着しているし、手足も汚れている。まあ普段から地味なので、服は王城を訪問した時と大して差はないような。


「いや、いいよ。外にいると聞いて安心したけど、相変わらず前髪を下ろしているんだ」

「見苦しくてすみません」

「別に。どんな君でも綺麗だからね」


 アウロス王子こそ相変わらずのようだ。農作業後の姿が綺麗なはずはないけれど、とっさに褒めるところはすごいと思う。


「兄は不在ですが、本日はどのようなご用件で? 長くなるようなら、着替えて参ります」


 短ければこのまま話して下さいと、暗に伝えた。両親は兄に家督を譲って安心したのか、仲良く旅行中だ。


「ああ、だから来たんだ。待っているから着替えておいで? 僕のために着飾ってくれると嬉しいな」


 それはない……

 でも、さすがにこの恰好だと失礼に当たる。私は礼をし、一旦自分の部屋に戻ることにした。




 野暮ったく見えるよう、地味な緑のドレスを選ぶ。コルセットは一人で締められないため、侍女の手伝いが必要だ。


「何の用件なのかしら? 王子は何か言っていて?」

「い、いえ。まだ何も」

「ところでハンナ。私の仕度は他の者に頼むから、アウロス王子のお世話をしてもいいのよ?」

「む、むむ、無理です。こ、神々しくて、とてもとても……」


 光が当たっていたからかしら? 

 さっき階下では、王子にお茶を出す順番でめていた。だから放っておいても大丈夫ね。それにしても、王子自らここへ来るって……商品に不満があったのでなければいいけれど。

 応接室に戻った私は、早速王子に聞いてみた。


「アウロス殿下、大変お待たせ致しました。もしかして、先日お届けしたクラバットか付け袖に、至らぬ点がございましたか?」

「いや? すごく気に入っているけど……。ああ、今日来たのはそれとは関係ない。君には関係あるけれど」

「どういうことでしょう?」

「長くなるから座って聞いて。実は今、大変なんだ」


 私はアウロス王子の正面に腰を下ろした。彼は主にエルゼのことを私に語る。彼女のおかしな行動は今に始まったわけでなく、以前にも同じようなことがあったらしい。彼女はいつも城にいて、王子達に付きまとうばかりか、近づく女性を片っ端から排除していくようだ。

 それってつまりストーカーなのでは? そう思ったけれど、もちろん口にしないでおく。第一印象は優しくて、すごくいい人だったのに……


「ここからが本題で、重要な話だ。他に漏れるといけないな」


 呟いたアウロス王子が、私の隣に移動する。深刻な表情なので「離れて下さい」とも言えない。そのままの姿勢で、話を聞くことにした。


「……そんなわけで、公爵は僕の方が御しやすいと思っているらしく、娘のエルゼをあてがって来た。さらに王太子として、強くしている」

「国王陛下がどちらかに決められるのでは?」

「父の一存では決まらない。王制とはいえ、議会の意見も取り入れるんだ。現在、クラウスと僕と二つの派閥に分かれている」

「お二人とも優秀ですし、どちらが王位を継いでもよろしいかと」


 王子達が揃って独身のため、待てないと判断した国王が「王太子を決める」と言い出したそうだ。個人的な意見としては、どちらでも構わない。安心の老後がおくれる、より良い国になればいいと思う。


「正当な手段ならね? でも、僕は後を継ぐ気はないし、人望と政治手腕はクラウスの方が上だ。だけど、このままだと彼は……」

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