明日の黒板

ゆうすけ

明日の黒板

「夏男くんさ」

「……ん?」

「まあ、元気出しなよ」



 卒業式の午後、私は夏男君と教室の自分の席に座って話をしていた。

 卒業に伴う一連の行事もすべて終わり、後は帰るだけ。

 教室に残っているのは私と彼の二人だけだった。

 教室の一番窓際の最後列が私の席。その隣が夏男君の席。


 うちの学校は高校3年生の2学期の始めに席替えをして、それ以降は卒業まで席が固定になる。私はその席替えで夏男君の隣に座ることになった。言わば、高校最後の隣人。それが夏男君だった。



「アキ、傷口に塩塗る気?」

「めっそーもない。しょうがないよ。これでも食べて元気出しなって」



 私が制服のポケットから出したのは、彼の好きなビスコだった。


 彼は授業中、居眠りはしないけど、よくつまみ食いをしていた。フリスク的なものとかトローチ的なものとか。それに気が付いた私は、ある日の休み時間に ” これもおいしいよ ” と言って、たまたま持っていたビスコを彼にあげた。次の古文の時間、彼はポケットに手を入れて、片手で器用にビニールを破り、先生から見えないようにビスコを頬張った。

 そして、手元の紙に何かを書いて丸めると、私の机にぽいっと投げて、私にだけ分かるように微笑んできた。 ” すげー、いいな、これ。もっとちょーだい!” と書いてあった。


 それ以来、私と彼は授業中につまみ食いのネタを融通し合う仲になった。

 それだけ。

 それだけの仲のはずだった。


 彼は私からビスコを受け取ると、机に無造作に置いた。そのまま両手を机に投げ出して突っ伏す。



「なんかさ、海外に行くんだってさ。最短で10年だぜ?そんなの聞いてねーよな」

「……私、知ってた。春子から聞いてたんだ。1月ぐらいに」

「なんだよ。知らねーの俺だけかよ。ちぇっ」



 彼はずっと私の親友、春子のことが好きだった。もうバレバレなぐらい。春子も彼のことをかなり意識しているのが会話の端々に顔を出していた。


 だから、私は彼とお菓子をあげたりもらったりするだけ。それだけの関係であるべきだった。

 しかし、なんだかんだで席が隣の彼と接する機会は増えていってしまった。冬には休日に一緒に参考書を買いに行ったりするようになっていた。



「ま、遠距離はしょうがないんじゃない?超遠距離になっちゃうけど」

「……いや、付き合えないってさ。がっつりフラれたよ」

「え?え?まじで?」



 私は彼に少しずつ惹かれていく自分をどうしたらいいか分からなかった。

 卒業式の1週間前、彼は ” 俺さ、卒業式の朝に春子に告白するつもりなんだ ” と、こっそり私に告げた。


” 良かったね――” 私は、彼にそう言った。

” 頑張ってね――”、ではなくて ” 良かったね―― ”。

 

 間違いなく春子はOKする、と思っていたから。

 これでやっと自分の気持ちにケリが付けられる、と思ったから……。



「えー、春子が断るとか信じられない。だって……」

「……いいよ、アキ。つまりさ、そういうことなんだよ」



 彼は立ち上がって黒板に行く。

 チョークを持つと黒板を目一杯使って、癖のある丸っこい字で想いをぶつけるように書いた。



「ずっと、春子が好きだった」



 しばし、書き終えた殴り書きを見つめて、彼はため息を一つ。

 そして振返って自分の席の荷物を持った。


「アキ、帰るか」


 私はそんな彼を見て思ってしまった。

 それは、私がずっと今まで禁忌にしていた考えだった。



 もしかしたら、これが最初で最後のチャンス――。



「ねえ、夏男くん、明日さ、ひま?」

「そりゃ、ひまだよ」



 親友がくれた最後のチャンス――。



「私の買い物付き合ってくれない?」

「ああ、いいよ。どうせひまだし。俺も一人暮らし用品の買い出ししなきゃいけない」

「じゃあ、10時に待ち合わせようよ」

「いいよ。どこにする?」



 おそらく、勝ち目のないチャンス――。



「じゃあこの教室にしよっか」



*************



 翌日、私は待ち合わせの1時間前には教室に来ていた。

 それでもまだ決心は付いていない。


 彼のことを好きになってしまったこの想い。

 どうしよう。

 ねえ、春子。私、どうしたらいい?


 私は自分の席だった椅子に腰かけて黒板を見る。黒板には昨日、彼が書いた言葉が一面に踊っていた。


 知ってる。

 知ってるよ。

 彼の想いの大きさは黒板には書ききれないぐらいなんだよね。


 その時。

 黒板の隅の方に書き加えられた一文が目に入った。



「私も好き。これからもずっと」



 春子の字だった。



*************



 私は屋上の手すりに頬杖を付いて青空を見上げている。

 待ち合わせの時間はもう過ぎている。

 彼の机の上にはビスコと ” 黒板見てみな。良かったね ” と書いたメモを置いておいた。



「やっぱり、春子には勝てないよね」



 彼に渡すつもりで昨日の夜書いた手紙。

 それを細かくちぎって空に向かって放り投げる。



「えーい!こんなのどっかに飛んでいけー!」



 ひらひらと紙吹雪が舞う。

 

 目に染みるような青空には、一筋の飛行機雲がなびいていた。


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明日の黒板 ゆうすけ @Hasahina214

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