生まれて初めて、ぼくは負けた


「あなたが、世界中の誰にも負けないと胸を張って言えるスキルを一つ教えてください」


 ぼくが面接に臨んだ企業の採用担当者は、笑顔でそう言った。

 実はぼくには、世界中の誰にも負けないと胸を張って言える一つのスキルがある。


 それは、目薬を百発百中で点眼できる、ということだ。


 「そんなのスキルのうちに入るか」などと侮ってもらっては困る。



 顔を上に向け、目薬を開いた目の上に持ってきて、100%確実に眼球の上に垂らせると自信を持って言える人間がこの世界にどれだけいるだろう。例えば片目に2滴ずつ、合計4滴垂らすとしよう。あなたは、この4滴を「確実に」眼球上に落とすことができると、自信を持って言えるか? 大概、4滴中1滴は目の下か瞼にでも落としてしまい、舌打ちしながらリトライするのではないのか?


 確かに、これは経験がものを言うだろう。


 目薬を使い慣れていれば、命中率はおのずと高くなるはずだ。



 だが、ぼくのスキルというのはそんなレベルではないのだ。



 ぼくは、生まれてから一度も目薬の点眼を仕損じたことが無い。文字通り、100%全弾命中させてきた。自分がどうしてこんな才能を持って生まれついてきたのか、説明することなどできない。天才は自分の天才の理由を説明できないということを、ぼくはこの一点からのみ理解できる。


 

 この才能が、何か実生活で役に立ったか。無論、役になど立つはずがない。丸めた紙を屑籠に放り投げても10発中2、3発しか入らない。ダーツとか射的でもそうだった。つまり、ぼくの才能はこの目薬を差すという行為においてのみ特化されたものだったのだ。



 この、目薬を差すこと以外は、ぼくは平凡極まりない人間だった。そして多くの凡人と同じように、自分だけ後れを取らないよう、必死で学校の勉強や就活に取り組んできた。そしてやっと、就職試験も面接まで漕ぎ着けられているというわけである。


 不思議なものだ。目薬を差すという一点に関して、ぼくは何の努力もせず天才の名をほしいままにしてきた。文字通り「完璧に」100発100中を達成し得てきた。目薬を外すなどということを、僕は想像すらできない。それはこの世界にあり得ることなんだろうか? どのような魔法によって、ぼくは目薬を差し損ずるということがあり得るのだろうか?



 ……そうなのだ。それは「あり得ない」ことなのだ。ぼくが生を受けた、この世界で唯一の。



 だから、採用担当者にぼくは胸を張って答えたのである。


「目薬を自分の目に差す、ということにおいて、私は仕損じるということがありません。この点に関して私は文字通り完璧であり、世界中の誰にも引けを取りません」


 採用担当者の男性は微笑んでいる。


「なるほど。ではここで、目薬を差していただけますか」

「はい。喜んで」

「座ったままで結構です。ご自身の両目に2滴ずつ、点眼してください」


 ぼくは勝利を確信した。完璧に目薬を差せるということがこの企業のどのようなニーズに応え得るのかぼくには分からなかったが、自分の流れに持って行けたのは確かだ。ぼくは懐のポケットから愛用の目薬を取り出し、顔を上に向けて容器をかざした。


 ……?


 いつもと様子が違う。天井の照明に幻惑されて目薬の容器の位置が定まらない。これはどうしたことだ。生涯を通じて、これほど不安定な気分に陥ったのは初めてだ。くそっ! ……いや、落ち着け。お前が、目薬を差し損ずるなどということが今まであったか? なかっただろう! いつもと同じだ。普段通りのことを、普通にやってのければよい。


 そうやって、ぼくは右目に2滴に差し終えた。次は左目だ。僕は大きく見開いた左目に、難なく1滴目を投じた。そしてラスト──と思ったその時、信じられぬことが起きた。



 指先がぼくに逆らい、容器を軽くひねってしまったのだ。最後の1滴、それは弾かれた勢いで左目を大きく逸れ、放物線を描いて面接会場の床の上へ落ちて行ったのである。



 なぜだ。



 今まで完璧に、目薬をぼくは差すことができていた。なのに、この勝負の場で、なぜ、生涯で最初の失態が起きねばならなかったのか。


 リトライはあり得ない。ぼくは敗北を認めざるを得なかった。


 敗者となったぼくに、面接担当者は笑顔で言った。


「ご苦労さまでした。あなたの今後のご健闘をお祈り申し上げます」



 おわり


(「小説家になろう」で2016年12月30日公開)

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