トロツキー教授の講義
校舎の入り口には学生が溢れかえっていた。みんな、中を覗こうとして背伸びをしたり、前の人間の背中にのし掛ったりしている。
誰の目にも明らかな、日常からの逸脱と興奮。当然だ。きょうから、レフ・ダヴィドヴィチ博士の講座がスタートするのだ。
この、世界でその名を知らぬ者のない著名な革命家を一目見ようと、大学中から様々な国籍の物見高い若者たちが押し掛けている。しかし、彼ら全員が博士の講義を受けられるわけではない。何を隠そうぼくは、受講有資格者という限られた栄誉を与えられた一人だった。ぼくは大日本帝國の期待を担う留学生として、はるばるこのメキシコへやってきた。そして、彼の教えを受けるという願ってもない機会を得たのだ。
大日本帝國を代表する若者──そんな気概に胸を膨らませつつ人混みを掻き分け、羨望の眼差しを痛いほど背中に感じながらぼくは教場に入った。
しかし階段教室を一目見渡して、少々油断したなと悟った。教場内は既に気の早い学生たちで満席に近かったからだ。そして誰もが皆、興奮に目を血走らせていた。ただ、不思議と教壇正面の席はそこだけ空洞になったように空いていた。
それでも、適当な位置の空席を血眼で探した結果、ぼくは幸いにも前から五列目に空いている席を見付けることができた。こうして、偉人の真正面に座るなどという針のむしろは回避できた。
(寄席に行ったってそうだ。噺家の真ん前に座るのはどうも居心地が悪い)
いかんいかん、寄席と大学の講義を混同しては。
ノートとペンを取り出しているうちに、教場の外が静かになった。警備上の都合を理由に、大学が警官を構内に導入していることは聞いていた。おそらく警官が野次馬たちを排除して、あのトロツキー教授の通り道を拵えたに相違ない。警官が、革命家のために道を空けてやるとは。皮肉なこともあるものだな、とぼくは心付いて、束の間自分の機知に対して悦に入っていた。
教壇横の扉が開いて、教授が入ってきた。思ったよりも背が低く、少し背中が丸い。とても世界を一変させた人物には見えなかった。髪がすっかり白くなっているのは、長年の亡命生活が強いた苦難のせいだろうか。しかし教壇に立って、鼻眼鏡の奥から稲妻のような視線で教場内を睥睨した瞬間、ぼくはまさに、革命家と同じ場所にいるのだと理解した。
眼鏡を中指で軽く押さえてから、教授はロシア語で語り始めた。
「初めまして。私の名前は皆さんご存じと思うので自己紹介は省略します。本学で週1回の授業を受け持つわけですが、私の専門分野たる社会思想の基礎的事項については、図書館に行って適当なテキストを探せば済む話なので、この場に来てまで時間を浪費しようとは考えておりません。講座名を『弁証法から社会主義思想に至るまでの連続性』としたのは、あまりにも基礎的分野であるにもかかわらず今日まで研究がなおざりにされてきたと認識しているためです。
ただ、誤解のないように。研究の蓄積が乏しいといっても、認識作業としては基本中の基本にすぎない。秋まで、そう……10回ほどになりますかな。皆さんがこうした認識作業を進める上での、技術的基盤を提供したいというのが講義の狙いといえば狙いです」
ぼくはロシア語が苦手だった。教授が何を話しているのかほとんど理解できていなかったが、知っている単語をまばらに聞き取りながら、不明な部分を空想で補っていくと、おおむね以上のように語っていたのではないかと思う。
教授はチョークで黒板に何か書いた。ドイツ語だ。ぼくはドイツ語など習ったことがなかった。にもかかわらず教授はロシア語の中に、明らかにドイツ語と思われる発音の単語を、そう、三割から四割くらい交えて話している。何を言っているのか、もうさっぱり理解できない。周りを見渡すと、若者たちは皆、ノートさえ取らずに真剣そのものの表情で聞き入っている。当たり前だ。レフ・ダヴィドヴィチが講義をしているのだ。スパイじゃあるまいし、メモを取っている暇などあろう筈がない!
全然ついていけてない、という恐怖がぼくの内側でどんどん膨れ上がっていく。失地を回復しなければ、という焦りに取り憑かれた時、必ずと言っていいほど自分がどんな行動を取ってしまうか、不運にもぼくは失念していた。
ぼくは突然、勢いよく右手を上げた。周囲の視線がぼくの顔と、自由の女神のように掲げられた右手に集まった。後悔がガソリンをかけた紙っぺらのようにぼくの脳内で燃え上がったが、もはや止めようがない。教授は怪訝そうな顔でぼくを見ていた。
「何かね」
いや、これは自由だ! 学生が教師に対して質問する、これはアリストテレスの昔から認められてきた若者の権利!
「質問があります。弁証法のメカニズムの中において、人間はその限界性をいかに克服すべきなのでしょうか」
ぼくは、日本語でこう質問したのである。もし質問が教授に理解されたと分かったら、ぼくは自分の遺伝子に刻まれた軽率さを呪うあまり、その後百回は飛び降り自殺を試みたに違いない。
教授はただ、その豊富な政治経験を以てしても理解不可能な現実に直面したかのように、微かに眉を顰めてぼくを見ていた。そして、ロシア語で何か言った。
「は?」
教場内に、わずかにそれと分かる程度の失笑のさざ波が広がっていくのを、ぼくは皮膚で感じた。二列前に座っている日本人学生が振り返り、軽蔑を露わにした口調で言った。
「教授はこう言っておられる。私はこれまで東洋の言語を学ぶ機会を持たなかった。質問はロシア語でするように」
鼻眼鏡の奥から明らかにそれと分かる敵意を一瞬ぼくに投げ付けて、教授は背中を向け、黒板にドイツ語で何か書き始めた。
気が付くと、ぼくは席に座ってぼんやりと教授の背中を眺めていた。いつ座ったのかも憶えていない。まるで神経伝達の遅い草食恐竜みたいに、ようやくわれに返った瞬間、体中の血が脳に逆流した。
ぼくは何て事をしてしまったのだろう。古今並び無き偉人に不作法な質問を投げ付け、愚かな学生として呆れられるどころか、怒りさえ買ってしまうとは。十分、歴史に名が残るに値する愚か者だ! きっと、どこかの歴史書に「こんな愚かな日本の学生がいた」と書かれるだろう、万事休す!
いや、待てよ。
窮地に立たされたぼくは、そこから脱するための手段に思いを巡らした。そうだ。よく考えてみろ……。教授はぼくに対して、「ロシア語で質問せよ」と諭しただけじゃないか。これは教師が学生に対して行う、ごく一般的な指導だ。名誉挽回もそう難しくはない! それにはまず質問の趣旨が伝わるよう、ロシア語だ、ロシア語だ……。
そう考えると、先程の質問が、社会主義思想の真髄に迫る意味を持っていたかのような輝きさえ帯びてくる。もはや、目の前で教授がドイツ語やフランス語を交えて話している内容など、もう
教授は、教卓に両手のひらを着いてぼくを睨み付けていた。5秒ほどの沈黙があって、鋭い声が耳に突き刺さった。今度は通訳なしでも理解できた。
「出て行け」
学生たちの嘲りを全身に感じながら、ぼくは荷物をまとめて、教室を出た。
手に持っているのは、ノートと、マルクス主義概要云々とかいうハードカバーのテキストに、ロシア語の辞書。移り気な野次馬は既に去ったらしく、廊下にはだれもいない。
こうして外に出てみると、一連の出来事はすべて避けようがなかった気がする。講義が終わるまでおとなしくしているなど、最初から無理だったと思う。しかし太平洋の向こうから、はるばるこのメキシコにまで留学してきたのに、何という恥辱を味わわねばならないのだろうか。外国に来れば、大日本帝國を代表する人間の一人だというのに。今回の愚行はすぐに知れ渡って、ぼくは学校中の笑い者になるに違いない。
もう、生きているのも嫌になった、死んでしまおうかなどと考えながら、ぼくは門の外へとぼとぼ歩いていくのだった。
おわり
(「小説家になろう」で2016年9月3日公開)
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