カール・ムントの悪夢劇場
カール・ムント
八甲田山
俺は「八甲田山」を探していた。
青森県にある山を、埼玉県在住の俺が探して何になる。俺が探していたのは「八甲田山」のDVDだ。
そう、1977年公開の東宝映画。1902年1月の八甲田山を陸軍第八師団の将兵が雪中行軍する物語だ。
青森第五連隊の雪中行軍隊が暴風雪の中で遭難し、200名近い犠牲者を出した実話に基づいている。観た人はご存じであろうが、その遭難シーンが凄まじい。日本映画の往年の活力を感じさせる名作と言っていいだろう。今は気温が摂氏37度にも達する8月の猛暑のさなかである。「八甲田山」の納涼効果は抜群であろうと思い付き、DVDをレンタルすることにしたのだ。
家の近くのTSUTAYAに行った。そして日本映画のコーナーへ。
「八甲田山」のケースに、DVD本体は無かった。
おのれ。
俺と同じことを考えている奴は、やはりいたのだ。極寒の山中に逃避し雪の地蔵になってもいいから、この酷暑を逃れたいと思っていた奴が。そやつに俺は先を越されてしまった。
だが俺は、「八甲田山」を観たい。往時の兵隊さんには申し訳ないが、俺はあの極寒の中を彷徨いたい。そういう、いささか不謹慎で切実な思いだけが募る。
もう一軒のTSUTAYAは遠い。そこまで行くか。しかも歩いて。
歩くのだ。兵隊さんのことを思え。泣き言を言うな。俺は自分自身に号令を発した。
目標、3キロ先のTSUTAYA○○店! しゅっぱぁーつ!
暑い……。だらだらと汗が流れる。自販機のジュースが飲みたい。だが家の冷蔵庫には、買ったばかりのジャスミンティー1.5リットル入りペットボトルがある。首尾よく「八甲田山」をレンタルすれば、部屋であれを飲みながら、猛吹雪の中を彷徨えるのだ。兵隊さんには申し訳ないが、それまでの辛抱だ。
そうして俺は、TSUTAYA○○店にたどり着いた……が!
TSUTAYA○○店が無い!
看板が取り外されドアの内側はもぬけの殻になっている! しばらく来ないうちに閉店していたのだ! おのれっ!
俺は天を仰いだ。雲一つない熱帯夜の星空が、無情に俺を見下ろしている。
上官に指揮権を奪われた中隊長の心境で「天は我々を見放した!」と、俺は叫んだだろうか。
いや、叫ばなかった。
これは俺に課せられた任務なのだ。暴風雪の中に倒れていった兵隊さんたちが、俺を見守っている。どうあっても「八甲田山」を探し出せと、俺の背中を押しているのだ。俺は往かねばならぬ。
まだ、歩いて20分ほど先にもう一軒、TSUTAYAはある……。これだけ歩いたのだ。20分の行軍など、何ほどのことやある。
目標、TSUTAYA△△店! しゅっぱぁーつ!
軍歌雪の進軍、はじめぇーっ!
雪の進軍 氷を踏んで
何処が河やら 道さえ知れず
馬は斃れる 捨ててもおけず
ここは何処ぞ 皆敵の国
熱帯夜の下を俺は、声高く歌いつつ行軍する。見れば、沿道の人々が俺に向かって日の丸の小旗を振っているではないか。勝利は間近だ。間違いない、今度こそ俺は「八甲田山」を確保できる。「断じて行えば鬼神もこれを避く」とはよく言ったものだ!
だが、行けども行けども、△△店にたどり着けない。
おかしい……もう40分は歩いているはずなのに、△△店が見えてこないとは、どうしたことだ。
それに、このあたりの風景に心当たりがない。さては道に迷ったか。
俺は酷暑の中、どことも知れぬ住宅街を彷徨していた。喉が渇き眩暈がする。熱中症の初期症状。あたりを見回すと、こういう時に限って自販機もコンビニもない。おのれ、何としてでも△△店にたどり着かねば、兵隊さんたちに申し訳が……
気が遠くなった。目標の店とは正反対の方角へ2キロ半進出したところで俺は倒れ、救急車で運ばれたのだった。
結局「八甲田山」を借りるという任務は達成できず、ぶざまな敗残兵の俺は病院のベッドでひたすら恥じた。そして、1902年の兵隊さんたちに詫びた。
申し訳ありませんでした。皆さんの思いに応えられなかった不甲斐ない私を、どうかお許しください。
おわり
(「小説家になろう」で2016年8月9日公開)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます