第26話 &コハル・4

「夏休みだからって、バイトばっかりじゃないですか」

「あ、うん」

「いい成績だったからって、油断しちゃダメですよ」

「うん、分かってるよ」

「秋からは、わたしにも勉強を教えないといけないんですよ?」

「うん、そうだね……うん?」

 コハルは窓を拭きながら、だらしなくソファーに寝そべった俺を叱る。枕にしていたパステルカラーのクッションから跳ね起きた。

「俺が教える?」

「はい。後輩になりますから」

 コハルはピアノ椅子に座った。まだ長い時間を立ち続けるのは苦があるので、しばしば休みながら動いている。

「わたしも四つ葉高校に通うことになりました!」

「ちょっと待って、大丈夫なのか?」

「そのためにここで体を慣らしているんですよ?坂道ももう何とかなります」

 サクラが引き取られたあとも、コハルは前と同じように、とはいかないけど、我が家で俺の面倒を見てくれている。相も変わらず掃除すらろくにしない俺にしたら大変ありがたいことなんだけど、体力的なことが気がかりだった。

「千冬ちゃんと同じクラスならいいなあ」

 コハルはピアノの蓋を開けた。この家に最初からある真っ白なグランドピアノだ。

 小鳥が枝から飛び立つような手つきでゆっくりとした曲を奏で始めた。

「弾けたんだ」

「母に教えて貰っていたので。アンドロイドの感応だと上手く弾けなかったんです」

 どっちの、母親かは聞かないけど、どちらもコハルを大切に思っているに違いない。

 まあ、娘をよろしく、と気楽に任せてきたのが今のご両親だけど。

「ピアノ、捨てられちゃうんじゃないかと思っていつも心配していました」

「サクラが大事そうに見ていたからね」

「今のわたしの心の声……」

「うん?」

「……とても嬉しいです」

 てきぱきと動くサクラの姿が懐かしくもあるけど、今ここに居るコハルの同じようでいて少しだけ違う姿に、心臓が優しく波打っていた。


「この体だから出来ることもあるんですよ?」

「そうだね、体温を感じるって言うか……」

 コハルにたまらなく触れたいと思って立ち上がった。手にしていたクッションが滑り落ちる。

「それにお姉ちゃんもいるから大丈夫ですよ」

「秋津先輩、頼りになるよね」

「呼んだか」

「ひっ」

 コハルに伸ばそうとしていた手が引っ込んだ。いつの間にそこに居たか、秋津先輩が腕を組んで俺の背後に立っていた。曲に聞き入っているように見えても目つきは俺に向けた瞳は肉食獣のものだ。

「その手は何だ。何をしようと企てていた」

「いえ、何もしていません」

「親がああ言ったからな」

「はい?」

 秋津先輩はいつも言葉に説明がない。代わりにコハルがくすっと笑って言った。

「娘をよろしく、って言ったんですよ?」

「よろしくな。少年」

「……は?」

 秋津先輩の傍らには、いくつかの荷物があった。庭から門の向こうの通りまでも見渡せる大きな掃き出し窓を見遣った声が聞こえた。

「いい坂道だ……」


 最初にこの家に来た時、二階の三部屋は余るものだと思っていた。俺の部屋と、あとは空き部屋か倉庫代わりにでもしようと。

 それが見事に埋まることになった。

「まさか、三人暮らしとは……」

 しかも相手は姉妹だ。夢見心地なメリーゴーランドと、先の見えないジェットコースターに同時に乗っている気分だ。

「違うぞ?」

「違いますよ?」

「え?」

「あ、引っ越し屋さんかな」

 呆気に取られている俺をよそに、コハルは楽しそうに玄関へ向かった。

 秋津先輩はさっきまで俺が座っていた所に長い脚を組んでくつろいでいる。

「オルタメイド」

「はい?」

「コハルが、サクラを操っていた」

「はい」

「そうやって、アンドメイドは人格を作るらしい」

「はい?」

 ハイパーAIについては勉強中だけど、人格の作成なんて企業秘密でだからいくら調べても曖昧な情報しか出てこない。オルタメイドという言葉もコハルの、この件がなければ知らなかったことだ。俺までそんなことを知っていいのか?


 コハルが俺を呼んで手招きをする。

 玄関から覗くのは、その少女と似ている、でもどこか違う見慣れていた姿だった。

 二人で並ぶツインテール。その片方はクラシックメイド服の控えめなフリルが揺れている。

「レン君、紹介します」

 くすくすとコハルが笑う。

 そしてもう一つの満面の笑みが飛び込んできた。

「あなたのアンドメイド、サクラです!(また会えましたね!)」

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