第12話 &ウィン太・3

 グラウンドを眺めているベンチがあった。ぽつんと仲間から外れたように、きっと長く置かれてあって少しばかり色あせていて、無理矢理に木目に塗りたくられているべったりとした光沢をしぶしぶと零しているように見えた。

 その背もたれから頭だけを出して、ベンチにすら遠慮をするように隅に座る女子の姿をウィン太が指差す。

「いたいた、あそこだ」

 ウィン太が女子と待ち合わせ。男女問わず友人の多いウィン太だから変ではないけど、女子一人のために会いに行くのはしっくりこないものがあった。まあ俺に対しても一人の時に声を掛けられることが多いからどうとも言えないことではあるけども、大人数が苦手な俺なんかに気を遣っているのか。それも特別、なのだろうか。俺はたまにこのあらゆる季節の日差しとも友人になれる男子のことが無性に理解できない時がある。

「今日は、オレの彼女が弁当を作ってくれたんだよ」

 やはり彼女か。まあ、もてるだろうから当然か。それにしても羨ましい。彼女の手作り弁当とは。

「俺はお前を親友だと思っていたぞ」

 よく考えたら俺もサクラに作って貰っている。それを隠すようについ憎まれ口を飛ばしてしまった。サクラのこともいつか、ウィン太には紹介しておきたい。

「おいおい、親友じゃないか」

 ウィン太の腕が俺の首に巻き付き、その大きな声に気づいたベンチの小さな女子が一瞬だけ振り向くがすぐに顔を背けた。

「嘘だよ。妹の、千冬だ。」


 ウィン太は俺を真ん中に押し付けるように座らせて自分でもベンチに座る。ウィン太の妹は俺と少し距離を置いてスカートの跡を残した。

「えっと、ちふゆ、ちゃん?初めまして」

 千冬ちゃんは背けるように顔を伏せている。緊張しているのか、兄との待ち合わせに現れた見知らぬ男子を警戒しているのか。腿の上に広げたお弁当に、玩具のような小さい箸を握った手が軽く震えている。後ろ姿でも思ったけど改めて、制服の真新しい照りと小柄な体付きから一年生だとすぐに分かる。ドングリを頬張っている最中に現れた二匹の熊に怯えるリスにも見えて申し訳なく感じた。それに兄妹の間に俺が邪魔する形になったけどいいのだろうか。

「千冬、俺にも弁当」

 目の前を水玉柄の弁当袋が震えながら通る。針金に包帯を巻きつけたような手がウィン太の望むものを渡すと素早く腕を引っ込めた。

「まあ、こういう奴だ。気にしないでくれ」

 こういう奴。引っ込み思案というのか、妹に構うことなくウィン太は兄妹お揃いの白い弁当箱を広げだす。

「ああ、レンも料理が得意なんだぜ。プロだからな」

「バイトと弁当のおかずは違うよ」

 遠慮も屈託もないウィン太に促されて、俺も空色の弁当箱を広げる。ちらっと視界の片隅でドングリみたいな瞳がそれを捉えている気がして目線を向けると、リスは素早くドングリを隠した。俺が箸を手に遣り、再び同じ所からの視線を感じて素早く目を返すが、またも素早く視線を外された。この遣り取りが誰かのと似ているなと、やはり兄妹かと可笑しくなって、それ以上千冬ちゃんをからかうのは止めた。

「旨そうじゃないか。交換しようぜ」

「あっ、おい」

 隣りのウィン太の手が伸び、あっという間に弁当箱が入れ替わられた。

「稲荷ずしか。好きなんだよな」

 容赦も虚構もない奴は、何だこれ、と頬張りながら目を丸くしてまた頬張る。

「もちもちしててジューシー。歯ごたえもある」

 稲荷ずしじゃねえ、と食べ終わった後で言いだして次にご飯をかき込みだした。

「鶏そぼろ、すげえ旨い!」

「玉子も褒めてくれ」

 俺の料理もだが、サクラの料理も褒めてくれて嬉しくてにやけてしまった。毎日この料理を食べられる生活を誇らしく感じた。互いの健闘を称えあうスポーツマンシップの真似ごとなのか、千冬の弁当も食ってくれ、とホウレンソウをがっつきながら勧められる。

 食べていいものかと、千冬ちゃんの顔を伺おうとしてもこちらを向いてもくれずに小さい箸をぽつりぽつりと動かしている。ままごとのように食は進んでいないようだ。こうなったら食べないのも逆に悪い。

 白い弁当箱には、俵型で海苔を巻かれたおむすびに幾つかのおかずが添えられ、ボリュームこそなかったがお手本のような色どりだった。しかしながら卵焼きは縁が崩れ、唐揚げも焦げ目がまばらで、おむすびも大きさがまちまちだった。几帳面なサクラだったら作り直しそうな見栄えだ。


「あ、おいしい」

 箸を遣って分かった。卵焼きはしっかりと混ぜられて滑らか。唐揚げもしっかりとタレが浸み込んでいる。味のアンバランスさで出来合いの調味料だけではないことも分かる。そこには努力の跡を見つけた。

「卵焼き、おいしい。優しい味で食べやすい」

「だろ?千冬、料理頑張ったもんな」

「うん、そんな感じがする」

 お世辞ではなく箸が止まらない。多少は不格好でも、一生懸命に作った人の、千冬ちゃんのお弁当は温もりを感じた。

「あ、おむすび、鮭が入ってる」

 その千冬ちゃんは、こちらをちらちらと伺っているのが横目に分かる。でもあえて見ないことにした。

「こっちは、おかかだ。色々入ってると嬉しいよな」

「そうか?オレは好きなものがガツンとある方が好みだ」

「ウィン太らしいな」

「ああ、旨かった。また作ってくれ」

 ウィン太は空色の弁当箱を平らげると満足そうな遠い目で溜め息を吐いた。

「全部食いやがった。なら俺も」

 最後のおむすびと、パセリまで口に収めると程良い量に腹が喜んで波を打つ。千冬ちゃんの弁当は俺の胃にしっくりときた。ふう、と二人の溜め息が遠くを見詰める。本当にうまいものを取り込んだ後にはしばらく動きたくないものだ。グラウンドではサッカー部がシュートの練習を始めていた。


 キーパーがボールを弾く音が響く。見ているとほとんどのシュートはゴールネットを揺らすがキーパーもめげることなく次のシュートに備える。次に弾いたボールがこちらに転がってきた。

「ありがとう、千冬ちゃん」

 ウィン太への弁当なのに全部俺が食べちゃったけどと、冗談を言っても目を合わせてくれない。さらさらと流れるような髪で視線を隠し、俯いたまま手早く弁当箱を閉じるとそのまま立ち去ってしまった。

「座敷童みたいだろ?」

 その兄のウィン太は笑っているけど、俺の何かが気を悪くさせたのではという思いが拭えない。何か特別なことはしてもいないけど、生理的に嫌、っていうこともあるかも知れないなと自己嫌悪が襲ってきた。

「お前が気にすることでもないからな!」

 ウィン太は俺の内側の表情に気づいてか、そう言うと立ち上がってサッカーボールを蹴った。どっと音を立ててエースの貫禄がありそうな生徒の元まで飛ばすと、互いに手を挙げて示した。

「あいつ一年の頃からエースだぜ、すげえよな」

 ウィン太の口ぶりが、遠回りに話を繋げようとしていることだと分かった。両手を枕にベンチの背にもたれ掛かると、しばらくぶりのそよ風が頭を冷やした。エースは額の汗を拭いながら練習に戻る。


「千冬さ、中学は殆ど行ってなかったんだよ」

 キーパーの弾いたボールがゴールポストに当たり弧を描く。バウンドが止まるのを待ったようにウィン太の次の口が開いた。

「小学校でさ、いじめが流行って巻き込まれて、休みがちになってさ。ある時に、溜まってたんだろうな。ぷっつりと閉じこもるようになってさ」

 登校拒否というものか。気持ちは分からなくもない。ならさっきの千冬ちゃんの様子からすると、俺みたいな男子が突然現れて驚いただろうな。

 ああ、そうかと、俺がその一年生の作る距離に、ぴったりと腰を下ろしていたことが喉を通って納得していった。離れそうな距離でも離れず、かといって近づきもせずにただ佇んでいて、運よく風が吹くチャンスを伺っている。思ったことを上手く口に出来ずにいる。

 千冬ちゃんはもしかしたら俺の姿なんだ。

 俺だって、いままでに何かが少しでも狂えば引き籠っていたいたかもしれない。例えばサクラと出会わなければ、新学年でウィン太に出会わなければ、バイト先で甘夏さんに出会わなければ、今こうして作った弁当を取り換えて胸中を語ってくる相手がいただろうか。


「昔は、小学校でかな、千冬に姉のように仲良くしてくれた人がいたけど、居なくなってからはまた元に戻ってしまってさ」

 ウィン太の話、千冬ちゃんの気持ちが痛いほど分かった。誰かが居なくなることは、自分の中の何かも無くなってしまうんだ。

 心臓がばくんと鳴った。失った心臓の部分を呼ぶように、それは俺の身体の中に響いた。

 何か思い出しそうな気がする。忘れていた何かを。

「オレが高校で友達を多くしていたらさ」

 ウィン太は目を閉じて、遠い物を雲を見ていた。

「そうすれば、千冬も学校が楽しく感じると思った。もしいじめられてもオレが周りを連れて懲らしめでもすれば解決できると思った」

 空にはトンビが翼を広げていた。風のない空気を気だるく滑るようにグラウンドを見下ろしている。

「俺はさ……」

 率直に思ったことだ。いつもの癖の、考えを巡り巡らせて本筋を失った台本ではない。

「千冬ちゃんの嫌なところなんて見えなかったぞ」

 ウィン太が俺の視界の隅、さっきの千冬ちゃんの反対側から目を遣るのが分かった。

「いじめられてたのは、きっと千冬ちゃんのせいじゃない。運が悪かっただけだよ」

 ただの本心だ。自分の目で見て思った事実だった。

 左肩がばしん、と鳴る。キーパーが横っ飛びでエースのシュートを止めた。

「レン、お前やっぱり良い奴だな!」

 肩に巻き付くウィン太の腕を振り払うと、また絡みついてくる。それを振り払うとまた腕を巻き付けてくる。

「懲らしめに行くときは、俺もいれてくれな」

「ああ、いや、まあその前にいじめる奴とも仲良くなってみる」

 そうか、ウィン太はこういう奴なんだと、俺もベンチに思いっきり背を預けた。

 心の声なんかが聞けなくても、十分に分かることだってあるじゃないか。


「それでよ、レン」

 ウィン太の視線が俺からずれる。

「秋津先輩と、知り合いなのか?」

「え、誰?」

 その目線を辿って振り返るとしばらく先には、猛獣が獲物に定めたこちらを狙っていた。

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