第11話 &ウィン太・2

 新生活から一か月、経ったはず。やっとそれっぽくなった。


 ただ一つだけ、大きな心配ごとがあった。

 サクラがこの所たびたび動きを止めることだ。

 何かの作業中にふと考えるように、あるいは慣れないことにたどたどしく手が止まるときはあったけど、それとは違う。完全に動作がなくなるのだ。

 もしかするとこのままずっと目を覚まさないんじゃないかと、胴体にぽっかりと空洞ができた気分になる。恐怖にも似た動揺が脈を打ったりもする。そのたびに杞憂で済んだことにほっと胸を撫でおろし、すり減っていく薄い心中に、大丈夫です。の声がなおさら響いて、正直どう配慮したらいいのかも分からずに困ってもいた。

 一度メーカーに問い合わせるかとも考えたけどそれには躊躇があった。もしも欠陥として捉えられたらどうなるだろう。修理か回収かと、少しでも離れたくない気持ちが膨らむ。どうしてだか分からないけど、きっと俺がダメ人間だから完璧でない家事用アンドメイドでも十分すぎるくらい自分の生活に必要なんだろう。

 それにサクラのアンドメイドらしからぬ部分を、欠陥、としてしまうことにこれ程もなく大きな抵抗があった。心の声が本音すぎる、たまに家事の失敗もある、張り切り過ぎて料理を焦がす、そして動きが止まる。それでいいじゃないか。花も眠る。それで困るのは俺だけだ。俺の気持ちが不安と安心とで振り子みたいに動くだけだ。またサクラが、せっせと蜜を集める蝶のようにこの家の片づけをして、自分は決して食べられない料理を嬉しそうに皿に盛って、働き者だと褒められた近所の商店街から笑顔で帰って来て、それを少し自慢げに報告してくれる。ここがサクラの居場所で、それでいいじゃないか。


 フライパンに蓋をしてホウレンソウを蒸す。溶き卵を加えてひたすら菜箸でかき混ぜる。醤油と鶏ガラの粉末を絡めて香ばしく一品。再び、溶き卵にみりんとお酢を垂らしてさっきよりも混ぜながら炒る。これとサクラの作り置きの鶏そぼろを足して色よく三品目。豚肉のこま切れとアスパラに火を通し、魚肉ソーセージを薄く切って稲荷揚げに一緒に詰める。この四品目はオリジナルの俺稲荷だ。もやしを刻んで入れてもいい。今朝の炊き立てのご飯と良く合いそうだ。それらお昼の友を弁当箱に収めていく。

 上手くできたじゃないか。サクラより、とはいかなくてもまあまあ見た目は映えている。毎日のお弁当でもサクラは健康を気遣って薄味にしてくるけど、今日くらいは俺好みでいいだろう。

 あの日、サクラが最初に止まった日に一緒に買った空色の弁当箱を袋に包んでカバンに入れた。空色を選んだのはサクラで、可愛いからとカートに入れられた。それだったらと俺は桜色の弁当箱も買った。サクラは、二つ分もお弁当食べるんですか?と首を傾げていた。今その弁当箱は食器棚に、使うことのない相手は二階で、それぞれ眠っている。

 サクラを起こさないように、いや起きてきてほしいんだけど、静かに玄関の扉を閉めた。

 アンドメイド、つまりハイパーAIにも睡眠という状態は必要であると参考書で知った。その項目を他の資料も漁って食い入るように必死で調べもした。一日に数時間ほど、起動中に取り入れた情報を整理したり自己メンテナンスをしているらしい。要するに人間が夢を見るのと同じだ。ではサクラはどんな夢を見て眠っているのだろうか。


 新緑は育ち、坂道は地平の輪郭を捕えて緩やかに下っている。暖かさを受け止めて広がる枝葉の木漏れ日とその隙間風が、息が動く身体にひんやりと心地よい。春に浮かれた新調のブーツがやっと馴染んだように、街は五月を迎えていた。

 あの海はまだ冷たいだろうか。きらきらと波の音を聞いている木々の重なりをくぐり抜けて四つ葉高校の門を通り抜ける。


 教室では、どこだったか地方出身のクラスメイトが、訛りが強いのでみんなと話すときはニュース番組のアナウンサーの抑揚を思い描きながら喋っている、と言って周りを笑わせている。遠耳にしながらなるほどと感心した。

 俺に置き換えれば拠り所というか、お手本になりえるべき人物との関係は希薄だった。ふとした時にそれが試される。他人に自分を伝える手段、興味がなかったとしても、仲間に入っていくような人物像が浮かばなかった。いきなりにでも積極的に人の渦を作れるウィン太の真似はできないにしても、会話に詰まったときはサクラなら何て言うかと考えて学校では言葉を繋いでいた。

 おかげでなのか、丁寧な口調で本音をぶっちゃける奴、と思われていた。からかいの種にもされるし気軽に誘われたりもする。去年よりもはるかに忙しい人間関係を整頓しきれずに、それが楽しくも煩わしくもあった。


 隣りの席のウィン太は連日人に囲まれているが疲れないのだろうか。俺は今日の弁当を取り出して、そのいつもと違う量感にふと思い立った。

 サクラの作ってくれる弁当は、朝に目覚めるときの香りも、カステラみたいなキッチンで機嫌よく作っている時も、手渡された時も、そして開ける昼休みも、どれも感情に花が咲くみたいに心がステップを踏んだ。枯れることなく次々と一日が過ぎていく。それを独り占めしたい気持ちと、可愛らしいおかずを見られることの恥ずかしさとがあって人目のない校庭の隙間や分厚い参考書で隠して教室で一人、空色の箱を平らげていた。

 でも今日はサクラの休日、そう居直ることにして手前弁当を手にする。俺がサクラに頼り切ってばかりだとアンドメイドとはいえ気が詰まるんじゃないかと、もしも彼女に負担を掛けているのなら軽くしてあげたいと思った。何と言うか、サクラにはいつも羽根の生えた靴を履いているようにふわふわしていて欲しいと思う。

「ウィン太」

「お?」

「昼食、一緒に行くか?」

 おお、とウィン太が驚いて開いた口を突き出す。目を見開いて、額に横皺のあるアヒルか何かの真似か。黄色いアヒルは羽を広げて俺の肩に纏わりつく。その様子を他のクラスメイトも見ていて、何か何かとアヒルに餌を撒かれて寄ってくる。

「いや、オレが誘われたからな。レンはオレの物だ」

 そう言って俺の肩を浚う。それを振り払うとまた纏わりついてくる。それを払って、と繰り返して二人で笑い合った。教室からの階段を騒がしく下ると、ウィン太は俺が思っていた方向と反対側に進む。

「ああ、弁当を取ってくる」

「取ってくる?それに弁当?」

 俺の記憶ではウィン太はいつも学食で花を咲かせている。三人だったり五人だったり、もっと多くを引き連れて教室を出ていくときもあり、そうなることを予想していたんだけど。

 そのウィン太は歩きを止めると、珍しく両頬を掴むようにして何かを考えている。

「今日は特別なんだよ。うん、レンも一緒に食おう」

 もちろんそのつもりなんだけど、特別とは何かを尋ねる前に、せっかく珍しくレンが誘ってくれたからなと腰に手を当てて眩しさの中に身を投げた。

 ウィン太の周りには色がある。教室に居てもクラスの外でも。明るい色を引き寄せて、いっぱいに集って混ぜ合わせられて、今それを一度洗い流すかのように陽光を浴びて歩いている。やはりウィン太にも、ウィン太だからこそ、俺が気づかないだけの心の内を持っているのかもしれない。

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