第8話 &サクラ・1

 日曜の晴天は人類の味方なのか、と思うくらい、降りた駅前の施設は買い物客で溢れていた。

 ここなら家具や家電製品、衣類や雑貨までなんでも揃う。道端では新しいファッションを見せ合うように、レストラン街では早くも行列の出来る店があり、公開初日の映画のパンフレットを片手にパンケーキを飾るホイップクリームと戯れる姿が見えたりと、娯楽のステンドグラスを散りばめているようだ。

 そんな風景にこの俺が、なんとも女の子と一緒に来るなどとは、妄想ですら中学生の頃が最後だ。捨てたはずの希望が輝かしく蘇る。ああ不死鳥よ、あなたは小鳥のような少女との歩みを俺に許すのか。

 隣りの三つ葉市。ここは俺がついこの前まで住んでいた街だけど、空に吸い込まれそうに伸びている街路樹も、雨上がりの道路の匂いも、街にうねる迷路のような施設もが帰ってきた俺の凱旋を称えている。


「どこから行きましょうか(レン君、迷子にならないか心配)」

「えっ、ああ、どうしようか」

「買い物リストは作っておいたので、決めてください(わたしがしっかりしないと)」

 肩を寄せ、手にあるメモを覗き込む。迷子にはならないと思うけど、視界には小さい肩をくすぐるようなツインテールが煌めいて、枝に積もった淡雪を割るように睫毛が伸びている。澄んだ小川の底に散りばめた宝石のような深い瞳はこの角度からは見えないが、今、もう少しでも振り向かれたらその目に吸い込まれるだろう。

 もうしばらく、指の細いこの少女を眺めていたい。

 薄いセーターに包まれて見えないが、軽く捲くったジーンズの裾とサンダルとの間には、ふくらはぎの接続フレームとくるぶしの円盤が露わになっている。いつも我が家に居るときはロングスカートのクラシックメイドの衣装なので見たことがなかったけど、改めてアンドロイドなんだと実感する。

 アンドロイドの所作は人間のそれとほとんど変わらないので、それとなく見分けがつくような特徴を出すようになっている。余計な混乱を避けるためらしいが、俺がサクラと暮らし始めて思うのは、アンドメイドも人格を持つ以上それが住み分けの理由にはならなくて、それは特に意味を持たない決まりごとだということだ。

 買い物リストを支える親指の付け根にも、その円盤状のフレームがある。そういった特徴がなければその辺にも歩いている普通の女子と同じ、いやそれよりずっと愛らしいのだけど。

 紋白蝶でもとまりそうに首筋が動き、ちらっと目が合いそうになってメモに視線を逃がした。

「決まりましたか?」

「うん。あ、いや、どうしようか」

 もっと堂々とした方がいいのか。ただでさえ頼りないと思われているのだから、ここは俺がリードしよう。せっかく女の子と出掛けているんだ。少なくても今日はサクラの不安な顔は見たくない。

「ああ、そうだ、まずは」

「大きいものから見ましょうか(わたしが引っ張っていくべきかな)」

「あ、はい、うん」


 明るい店内に入ると、真っ赤な半纏を着た店員の走り回る姿があり、よく聞いたことのある語呂の良い歌詞の曲が購買意欲を高めようとしている。今日はその戦略に乗ってやるつもりだ。

「見てください、土鍋の炊き心地ですって」

「ああ、本当だ」

「どう違うんでしょうか」

「美味しく炊けるのかな」


「オーブンは大切ですよ」

「温まれば同じじゃないの?」

「違うんですよ、パンもふっくら焼けるらしいです」

「ふっくらパンか、それはいいな」

「乾燥したパンともお別れですね」

「ああ、それは……嬉しいな」


「洗濯機、どれがいいんでしょう」

「これが最新みたいだね」

「ボタンが多いです」

「こことこれとこれで回るんじゃないのか?」

「なるほど、他のも見ましょうか(は?どれとどれ?)」


 選ぼうとすればするほど他の製品のスペックや値段に目が行って、一つに絞れない。主に使うのはサクラになるから、いっそサクラに全部選んで貰おうかと思うくらいだ。そのサクラの方も家主の俺を伺っているので一向に買えずにいた。


「結局、戻って来たね……」

「戻ってきましたね……」

 店内を物珍しく一周したところで、逆に何を買えばいいのか決められなくなった俺たちは『新生活応援セット』という最初に見たコーナーに心を落とした。

「とりあえずこれで様子を見て、買い足すなり買い替えたりしようか」

「そうですね、そうしましょう(あのオーブンは欲しかったな)」

 様子を伺っていた元気な店員が走って来て、一通りを揃った家電セットの説明を語り出した。熱心に半纏を揺らしながら、それとなく高価なグレードの方を勧めてきて押されそうになったけど、サクラが「安い方でいいです」ときっぱりと言ってくれたのが頼もしかった。と同時に、自分の押しの弱さに情けなくも感じ、タイミングを計って、丸まった背中に勇気のガソリンを注ぎ込んだ。

「オ、オーブンはセットのと取り換えって出来ますか?」


 言ってみるものだ。すんなりと家電セットの中には、ふっくらパンのオーブンが加えられた。

「まとめ買いってお得ですね(レン君、嬉しい)」

「うん、最初からセットだけ回ればよかったね」

 配送も早いんだなと、受け取った伝票の写しやチラシをカバンに入れた。頭の中で、両親からの新生活の仕送りから買い物分の金額を減らしていく。この調子だとうまいこと我が家で数週間遅れの文明生活ができそうだ。サクラは何か言ったのか、俺と人波の景色を両目に映している。

「よし、この調子で家具も揃えよう」

「はい!」


 ベッドは必須だな、家からの布団を床に敷いているだけだし。あと机に椅子、ああ鏡なんかも要るんだろうかと、脇目も振らずに家具屋を突っ切って進んだ。実家の母親の部屋を思い浮かべていた。

「あの、レン君」

「あ、ごめん、気が先に行っちゃって」

 寝具コーナーは棺桶が並んだように静かに、たっぷりの生クリームを塗り垂らしたみたいなマットレスが視界のしばらくに広がっている。

「あ、いえ、ベッドはありましたよね。新調ですか?」

「いや、俺のはいいんだけど、サクラの部屋に」

 何もない、はずだ。二階の俺の隣りの部屋、空っぽのキャラメル箱を与えてしまったのだから。実家から持ってきた冬用の寝具だけを渡したままで、今日はなによりそれを優先しなければと思っていた。

「おお、ふかふかだ。寝て確かめるといいよ」

 程良い跳ね返りのマットの滑らかに身が引き寄せられ、我ながらこどものように転がってしまう。多少の恥ずかしさも、その気持ちよさに負けてしまった。

「レン君、わたしは……」

「サクラも転がってみなよ、気持ちいいよ」

 こうなれば恥に引き込んでしまおう。ああ、目を閉じると眠ってしまいそうな心地よさだ。

「俺も新しいベッドを買おうかな……」

「わたしは、あのままでいいんですよ?(布団も嬉しかったんです)」

 サクラに、アンドロイドだから、とは言わせたくない。それは事実なんだけど、同じようにしても構わない事柄なら人間と同じように、自分と同じように、例えばこういうベッドに体を沈める心地よさを感じてほしいと思った。欲を言えば、サクラのそういう人間らしい気持ちを、もっと見たいと思った。

「何だったら床でも休めますよ?(すごいでしょう?)」

「すごくないよ」

「……そうでしょうか(アンドロイドのこと嫌いなのかな)」

「サクラが気に入ったものを買ってほしいんだよ」

「家主よりも良いベッドだったら申し訳ないです(わたしの気持ちも考えて下さい)」

「俺は構わないけど」

「わたしは……お仕事ですし。一番安い物でもいいんです」

「一番安い物か……」

 身体を起こさずに目線で店内を巡る。この中から好きな物を買ってもらえるなんて俺だったら喜ぶけどな。

「ないな……」

 家主が使っているものよりも安価なベッド。見ずとも分かる。俺の相棒よりも粗末なベッドなんて、休息に全力を掲げているようなこの家具屋にはない。簡易のパイプベッドに薄いマットとシーツを足しただけの俺の巣箱よりも劣った寝具がそうそうあってたまるものか。

「なら、俺がこのベッド買おうかな……」

 運命の巡り合い、といべきか。この白く分厚いマットレスは、アニメで見た少女が飛び込む藁草のように俺の身体を包んでいる。ポップに手を伸ばすと『誰でもフィット!』とあるのが売りらしいが、そんなはずはない。これは俺のためだけに作られたベッドだ。

「これを買おう」

 甘夏さんの性格がうつったのか、思い付きでの行動が出来るようになってしまった。サクラには申し訳ないが、この堕落の白城は俺が使わせてもらう。これこそ新生活の喜びじゃないか。俺は今まで何をしていたんだ。

「サクラも自堕落になりなよ」

「わたしはどれでもいいです(うわ、不精に拍車が掛かった)」

「それじゃあ、今の俺のベッドをサクラのにするっていうのは」

「わた、わたしはどれでもいいです」

 会計で届け住所を書いている時に、なに考えてるのか分からない。と聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る