第7話 &甘夏さん・2

 琥珀色に広がった床に、プラスチックパックのお惣菜が寂しく並んでいる。そしてサクラもその向かいに正座をしてメイド服で迎えている。まるで何かの儀式に見えた。


「おかえりなさい、レン君(その方は誰ですか?)」

「あ、ただいま。バイト先の店長さんで、甘夏さん」

 サクラはにこやかな笑顔を作っている。心の声のことは甘夏さんに先に伝えておくべきだろうか。

「こんばんは、サクラちゃん。突然お邪魔してごめんなさい」

「いえ、主人のお客さまですから。わたしのことはお気になさらずに」

 主人?何だかサクラの動作がアンドロイドっぽい。まあアンドロイドではあるんだけど、もっと滑らかな表情だった気がする。

「お食事はどうしましょう。一人分しか用意が……(その方は何ですか?)」

「ああ、それなら」

 何、と言われても。甘夏さんがお店で作った料理を見せる。これで分かるだろう。お店で手土産を作ってくれた。保存容器に入った唐揚げ、コロッケ、メンチカツがサクラの買ってきたお惣菜の横に並ぶ。

 

「ねえ、買ってきた方がよかったわね、ごめんなさい」

 甘夏さんは申し訳なさそうに耳打ちする。ああ、そうかとやっと気づいて悔やんだ。サクラにしたら、せっかく夕飯を買ってきたのに、作ってきた料理と並べられている。バイトの終わる時間も知らせずにいて、それでもずっと待っていてくれてもいたのに。なんだかサクラに悪いことをした。

「お茶を持ってきますね(何なんですかこの人)」

 サクラはにこやかな笑顔を崩さずにペットボトルのお茶をもう一本持ってきた。親指の関節フレームの円盤がきしきしと音を立ててボトルを歪ませている気がする。何だ。愛嬌のある顔と心の声のギャップが怖い。心の声どころか動作も妙だ。お客さまモードで緊張、みたいなものがあるのか。なるほど、家事は得意だけど、接客は苦手、みたいなものか。


「レン君は食パンが好きなんですよね」

「そうだったの?」

「いや、別に好きと言うほどでも……」

「でも栄養を考えて選びました(けっこう選んだんですよ?)」

 言われてみれば、サクラの買ってきたお惣菜は色とりどりだ。ホウレンソウのおひたしに炊き込みご飯、デザートに飴色の大学芋まである。唐揚げが甘夏さんの作ってくれた手料理と被っていて胸が痛むけど、確かに、お惣菜といってもこういった揃え方ならもう立派な食卓だ。床の上に直接ではあるけれど。

「お店の残り物だけど、よかったらどうぞ」

 甘夏さんはサクラにも手料理を勧める。なぜだか、残り物、の部分のアクセントが強い。

「わたしは食べれませんので、ごゆっくりしていってくださいね」

 立ち上がるサクラを止めて一緒に促す。

「こういうのは気分だから、ね」

「レン君が仰るなら、そうします(よかった引き留められた)」

「あ、アンドメイドのサクラちゃんもお料理ができるのよね!」

 明るく手を叩いた甘夏さんの声が、煎餅を袋の上から割るようにフロアに響いた。

 サクラも笑顔のまま、謙遜した風に少しだけですが、と言う。

「どれもおいしそうです、甘夏さんのお料理(茶色ばっかりだけど)」

 甘夏さんも叩いた手のまま笑顔が固まる。

「残り物、だけどね」


 三人で正座をして床のおかずを囲む。何だこの居心地の悪さは。

 琥珀色の暖色の冷たい床の足が宙に浮いたように落ち着かない。かといって床に押し付けられた足の甲は異様に重くて痛い。俺が言うのもなんだけど複数人の食事ってもっと楽しいものだと思うけど。

 サクラの買ってきたお惣菜も甘夏さんの手料理も、満遍なく箸を巡らせなければと気を遣い、ホウレンソウのおひたしのゴマ粒ととコロッケの衣が一緒に器官に詰まって慌ててペットボトルのお茶で流し込むとそのまま咽てしまった。

「大丈夫ですか!」

「大丈夫?」

「そうだ、お皿とかをもらってさ」

 ちぐはぐな返しだけど、この雰囲気を続けるよりは良い、咳き込みながら続ける。

「これでちょっとは、買い出しが楽になるんじゃないかな」

 言い終わると、そうそう、と甘夏さんがキャンバス生地のバッグから新聞紙に包まれた皿を取り出してサクラに見せる。

「よかったら使って、お古だけどね」

「ありがとうございます、助かります(貰っていいのかな)」

「いいのよ、遠慮しないで」

「素敵な柄、こういうの好きです(何を盛ろうかな)」

 サクラに手渡すと、ふふっと、久し振りに見たような甘夏さんの微笑みが姿を現した。

「その買い出しって、二人で?」

「はい。明後日レン君と一緒に行くんです(悪い人じゃないのかな)」

「新生活の買い出しって楽しいわよね」

「はい、楽しみです(楽しみです)」

 サクラの自然な笑顔も戻った気がする。なるほど読めた。皿と買い物が好き、と記憶に刻んだ。アンドメイドにも趣味や好みがあるんだな。これといって趣味のない俺のほうが、人間らしさが欠けている気もするけど。

 そのあとも二人の会話は続いて、俺は中に入れないくらいだったけど、それはそれで聞いていて楽しかった。


「聞かれたくないこと聞かれるって、大変でしょう?」

「はい、恥ずかしいです(本当に恥ずかしいです)」

 話の流れでサクラの心の声のことになったけど、甘夏さんは途中から気づいていたみたいで笑っている。小料理屋はこの時間だと居酒屋みたいになるから、酔っぱらった客に機嫌よく相手をする甘夏さんは、人の本音というものに慣れているのかもしれない。甘夏さんからすればサクラは妹みたいな年頃だし、サクラも姉のように感じているんだろうか。ともあれ二人が仲良くしているのは良い光景だ。

「楽しかった。そろそろ帰るわね」

「またいらしてください(わたしも楽しかった)」

「また明日ね、レン君」

 小悪魔っぽい笑顔を挨拶に甘夏さんは帰っていった。


「レン君」

 静かになったフロアにサクラの澄んだ声が響いた。

「こういうときは女子を送っていくものだと思います(気がつかないなあ)」

 そういうものなのか。甘夏さんは自立しているし大丈夫だと思うけど。

「行ってください」

 サクラに促されて後を追い掛けて行った。


 普段通りの会話をしながら特に何もない夜空を歩く。甘夏さんを『魔王』まで送って再び我が家に帰ると、手をかけようとした玄関の扉越しにサクラの声が聞こえた。


「(大人っぽい人だったなあ)」

「(わたし酷い態度だったかな)」

「(レン君に嫌われちゃうかな)」


 口に出しているのか心の声なのかは分からないけど、聞いてはいけない気がしたので早足で戻ってきた呼吸を整えて、少し待ってから扉を開けた。

 何にしても聞こえるわけなので特に意味もない気遣いかもしれないけど、サクラの出迎えが温かいものに感じる。ただ最後に、あの人は何なんだろう、と聞こえたのが不思議だった。バイト先の店長だと言わなかったかな。


「わたしがやっておきますよ(たまに頑固になりますよね)」

 甘夏さんに貰った皿を片付けようとすると、サクラは自分がやると言って聞かない。やっぱり皿が好きなのか。コレクションにでもするつもりか。

 そういえば、買い物を一緒にって言ったら喜んでたな。

「じゃあ一緒に片付けようよ」

「いえ、レン君にさせるわけにはいきません(甘夏さんに貰った皿だから?)」

 頑固なのはお互い様じゃないか。まあ、俺が片付けるって言っても信用されないのは仕方ないか。そんなに頼りないのか俺は。

「わたしはここに来てから大したことをやっていません(やることが無さすぎます)」

「まあ、そうかも。でもそれって困ることなの?」

 サクラは無言で皿を片付け始めた。

「頼られると嬉しいときもあるんですよ?」


 その言葉が胸に響いた。確かにその通りだ。ひとに任されていて安心することだってある。俺がお店の厨房にこもって落ち着くように。

 サクラは居場所を作ろうとしている。それはアンドメイドでも人間でも同じだ。じゃあ俺はもっとこの家のことを任せていいのかもしれない。心の声が聞こえるからって、サクラの気持ちまでも分かるわけじゃないんだな。

 とりあえず今日のサクラについて分かったことは、俺が頼りないと思われているのと、本当に皿が好きなんだなということ。

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