第5話 &ウィン太・1
思った通りだ。
前のクラスから半分くらいが入れ替ってさっそく新旧のグループができている。
特に親友がいるともいえない俺には、この窓際の席よりも室内の方が明るく見えてしまう。一応は話しかけらりもしたが今まで通り会話が続かずに挨拶程度になってしまい気にも掛けられない存在になってしまった。
予想はしていたが、まさか初日で孤独を感じるとは。かといって席を立ってまで打ち解けに行く勇気もない。陽よ早く登れと、じっとりと眺めてくる太陽を疎ましくも感じる。
こうも早く読書の出番がくるとは、と友人である参考書を取り出そうとカバンに手を掛けた瞬間、急に話しかけられた。
「レン君、だっけ。去年いっしょに飯食ったよね」
突然すぎる。この男子が誰かも覚えていない。隣の席がきしりと鳴る音を構おうともせずに次の言葉が飛んでくる。
「前はあんまり話せなかったからさ、今度また学食行こうぜ」
投げ掛けられた言葉は両耳を突き抜けて校庭まで歩いて行ったんじゃないかというくらいに、この話の意味が読めない。俺が話しかけられるようなことしたか。人違いじゃないのか。
「ウィン太さあ、お前部活入んないの?」
後ろの席に座った男子が前のめりにやってくる。顔はそのウィン太、の方を向いているが、ウィン太。名前を覚える習慣をいつの間にかなくしている俺には記憶から出てこない。
「二年になって勉強に専念するのかよ」
今度は斜め前の男子も混じってくる。見知らぬ三人は笑いあっているが、ああ、この感じで思い出した。たまたま学食で隣りに座ってきたグループに話しを振られたことがある。いつもは一人でさっさと食事を手仕舞いしていたが、もしかしてこの仲に自分も入れるんじゃないかと、最初は笑い声を同調させていたけど結局は盛り上がりについて行けずにこっそり席を立ったんだ。首の後ろに響く黄色い楽し気な笑い声を、何ごともないように背中で振り切って。
今も、隣のウィン太の席の周りには、カラフルに男子も女子も集まっている。それが俺の席までをも囲むまでに膨らんでいて、あの時みたいに抜け出そうにも抜け出せない。一対一ならまだしも、それぞれがいきなり話し出すので会話にもついて行けない。
いやまあ、会話って急に始まるものだろうが、その中心にいるウィン太はそれぞれの色とりどりの話題を拾っては周りに投げている。考えを巡らせているうちにきっかけを逃してしまう俺とは大違いだ。
去年学食で一緒になった、それだけで名前を覚えて仲良くしようと思うものなのか。俺はそのことすら忘れていた上に、名前を覚えようともせずに背を向けた。きっとこの差が友達が多いかの差なんだろうな。
そのあともウィン太は俺にも話を振ってくる。だが決して、暗闇に懐中電灯を突き当てるような弄りかたではなくて、答えを持ち上げるように、生きた魚を底引き網でごっそりとすくうように尋ねてくる。捕まった側からすると釣られていながらもひたすら気持ちがいい。
それは俺にだけじゃなく、周りそれぞれにも答えやすい世間の明かりを飛ばして、それに感嘆の言葉を返したり相槌を打ちながら話題を深くしたり、自分のことを話した次に聞き役に転じたり、とにかく器用だ。自虐ネタも多い。
それで話の内容が脱線しても、誰かが食いついてきて面白いほどに話が進む。ふと周りにできた輪をみると、俺みたいに喋りが苦手な感じの奴も会話に入っている。グループの外にも冗談を飛ばしていて、気づいたらクラス全員がウィン太で繋がっていた。
このクラスに孤独な奴はいないんじゃないかと思う驚く光景だった。
このウィン太って奴、凄い。
結局その日は参考書の出番はなかった。そのきっかけであるウィン太は、先生の説明中に合いの手を入れるなどお調子者でもあったが、決して悪い印象は持たなかった。
バイトの時間まで少しある。久しぶりに居心地、という匂いのする教室で時間を潰すことにして分厚い参考書を広げる。両親を説得するために言いだしてしまった超高度人工知能の分厚い参考書だ。
転校したくない理由があった。別の学校で人間関係を築ける自信がないからだ。
もちろん今でも自信はないけど、今日のこのクラスの雰囲気は好きだ。
たぶん初めて、この学校にいて楽しいと感じた。
「何の本?勉強?」
一瞬、またもや自分に話しかけられたとは思わず二度見してしまった。
「いやあ、部活勧誘から逃げて来たよ」
ウィン太は額から髪をかき上げて汗を拭うと、身を乗り出して勝手に表紙を覗いてくる。
「うん?超高度人工知能……」
からかわれるのか、それとも笑いの種として振り撒くのかと気を構えてしまった。それも経験上、覚悟はしていたけどさっきまで仲良くしていた男子にこちらの新学年の意気込みまでつつき回されるとしたらやはり悲しくは感じる。
「すげえじゃん」
「……え?」
ウィン太は自分の席に座る。周りに人を囲っていた時とは少し違い、少しばかりボリュームを落としている。さっきまでがギラギラとした昼間の太陽なら今は夜部屋を灯すランプだ。
「勉強できるのな、羨ましい」
「いや、まだ少ししか分からないけど、すごいかな」
「すごいよ、オレには全然わからん。レンはすげえ」
屈託なく褒めちぎられた。このランプは自分よりも、相手を灯そうとしてくれている。
「ああ、それでオレみたいに部活入らずに勉強してるのか。オレは勉強もしていないけど」
「自慢気に言うことではないと思うよ?」
なんとなく、ウィン太は言質に気を遣わなくてもいい相手だと察した。俺は自分自身が誰かに好かれる理由なんて持っていないけど、この男子はわざわざ他人を嫌うこともしない。というか、そういったことを気にも留めていないのか。本当に、他人の陰にも怯える俺とは気持ちのいいくらい違う。
「レン。オレの代わりに勉強がんばってくれよ」
「いや、なら俺にページを進ませてくれよ」
ふざけるように笑いあって気持ちよく会話が弾む。話の中で今から遊びにいくという誘いを断ったのが残念だった。いつもの癖で反射的に断ってしまったけど、それでバイトの話になったので、またこいつの網に掛ったわけだ。
「おかみさんが一人でか?」
「まあ、おかみさんっていう歳でもないけど」
「微妙な歳なのか。そういうのは……」
何だかウィン太は、甘夏さんを母親くらいの人物だと想像している気がする。ああいう母親なら大歓迎だけど。妄想の中で小料理屋のエプロンが家庭用のエプロンに変わってひらりと波打った。
「色気を褒めるんだ」
間を置いて、は?と声が出た。
「年齢差は気にしない!とはっきり言って、あとちゃんと言葉にして愛情表現するんだぞ」
ウィン太は真剣な眼差しから遠い目に表情を変える。
「そうか、レンは年上が好みなのか」
そして笑いながら教室を出て行った。色々と勘違いされたまま意外とあっさりと帰っていった。
何で俺なんかと話そうとするのか。俺と仲良くしても得があるわけでもないのに。ウィン太の心の考えも聞けたらと思った。いや、たぶん彼は言葉と考えが同じなんだ。心に正直な分、それも聞こえるとなるとうるさいだろうな。口が先か心が先か分からないけどきっとエコーが掛かったようになるんだろうか。
しばらく読んでいた参考書をぱたりと閉じた。なかなかと理解できない持ち主の手に、分厚いページは溜め息を漏らす。
教室を出るときに、今までろくに話すことのなかったクラスメイトたちにも帰りの挨拶を交わされたのがこれまでになく新鮮だった。
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