第2話 &メイド・2
そのまま寝ていたのか。枕にしていた手の甲が痺れて目が覚めた。
どういう夢だったか、女の子と仲良くなって会う約束をしたような。
いま何時なのかとパソコンの画面を見ると、決済完了の表示だった。
「そうか、家事用アンドロイドを注文して……」
明細を見ていくうちに顔が青ざめて目が覚めていく。ローン払いを組んでいた。バイトの貯金はすべて頭金に消えている。ハイパーAIが安くなったとはいえこの金額は高校生にはきつい。
「まあ、そのつもりでもあった……わけだし」
しかし残りの支払いに高校卒業までのバイト代を全てつぎ込まなくてはならない。それでも足りるかどうか。自分で摘んだ花が枯れても文句は言えない。
アンドメイドに家事を任せれば勉強に集中できる。いざとなったら両親にこう伝えよう。
何とかなるさ。ハイパーAI『サクラ』が優秀なことを期待しよう。
その期待も忘れかけていた一週間後、呼び鈴が琥珀色の空間を進む。せっかくの柔らかい日差しを妨げている、相変わらず片付いていない段ボールを跨ぎながら進む。生活を送るにつれて物を引っ張り出すため日に日に散乱を増していっているのは気のせいではない。
明日から新学期が始まるので『魔王』のバイトは休み必要な物を捜していた。
再び呼び鈴が響き、誰だろうと思って大きな窓から門までを見る。慣れとは羞恥心のためにあるのか、まだカーテンは買っていない。
門前の姿はこちらに気付くことなく背をしゃんとして一人で佇んでいる。刈り取った草原に残った雪割草みたいにまっすぐ姿勢正しくしていた。しばらくしてそよ風に負けたように首を傾げると、傍らに待てを躾けられたようなトランクを立て、手を前に組みながら今度はただ前後に退屈そうに揺れ始めた。
「ツインテール……」
もちろん見に覚えがあった。一週間前に注文した家事用アンドメイド。その本人が家に来たのだ。
どうしよう、こんな格好で出迎えていいのだろうか。しかしもう着替える服はない。洗濯機も買っていないのでコインランドリーに行く予定を今、思い出した。そうだ制服を着よう、と閃くが、今それを捜していたんだ。それとこのフロアの散らかりようをどうにかしないといけない。まるでごみ箱だ。
もう一度呼び鈴が鳴る。よくよく考えるとこれから家事をしてもらうんだから片付ける必要はないんじゃないか。それに、と続いて思ったことに目を閉じた。
「これは絶対に言ってはいけない。考えてもいけない」
アンドメイド、つまりハイパーAIといえども一つ一つ人格を持っているのだ。人間と同じ程度の関わりではなくても無人格の扱いは決して思う事ではない。現実的な問題として心無い人間によるアンドロイドへの過重労働や加害事件も時折発覚している。機械だからと、仕事をさせる以外に無関心なことがそうさせるんじゃないだろうか。
ハイパーAIは、人間のパートナーなのだ。自分に確認するために何度も首を縦に振る。
窓からは困っている風に首を傾げる『サクラ』が見えた。これ以上待たせるのは悪いと思い、深呼吸をしながら玄関を開ける。挿し込んだ陽光が二人を繋げた。『サクラ』は胸ほどの高さの門扉から、歩いてくるこちらに気付き、緊張したようにもう一度しっかりと背を伸ばすと深くお辞儀をした。何か言っているみたいだがこの距離だとよく聞こえない。「この度は数ある中からご購入いただき……」という練習を重ねた決まり文句を述べた風だった。
門扉を引くのがまるで合図のようにツインテールの頭がさらりと上がる。
童話の少女のように、木漏れ日よりも明るい、満面の笑みが目に映った。
「あなたのアンドメイド、サクラです!」
遅咲きの桜が風に舞った。
とりあえず、と中へと招くとサクラは子犬のように後を付いて来る。
少しだが間を置いて動き出すのがアンドロイドっぽいと思った。もしかすると緊張なのかも知れないが、動きそのものはなめらかで姿形も遠目には人間と変わらない。こちらから目を合わすと和やかに微笑んでくれるアンドメイドとしての振る舞いに、例えばこのシャツを買った店のパートの店員にすら愛想よく接されると目の置き場がなくなる自分の、顔が火照っていくのが予想できた。耳まで赤くならないだろうか。玄関までのアプローチを歩きながら汗が出てきた。
俺は生まれてこの方女の子を部屋に招いたことがない。アンドロイド、いやアンドメイドを女の子としてカウントするかは分からないがこれが初めてのことである。
「えっと、ここが庭です」
見ればわかることを言い出してしまう。相撲取りになぜ裸なのかを聞くだろうか。
「素敵なおうちです、マスター」
沸々と言い知れぬ緊張が襲う。嫌われるんじゃないか。悪い印象を与えたんじゃないか。見るからしてぎこちなくなっているのはこっちのほうじゃないか。
「こ、ここが我が家です」
焦って玄関を開けてから、しまったと悔やむ。崩れた段ボール、散らばった皺くちゃな洗濯物、惣菜のプラスチックパックや使ってしばらくの割り箸が床に投げ出された我が家。彼女からしたらこれから働く職場の第一印象は最悪だ。
待たせてでも少しは片付ければよかった。
サクラは惨状を目にして驚いたのか少しばかり目を見開いた。しかし気まずくしているこちらと目が合うと、瞳がこぼれるように笑った。あまりに自然な頬をくすぐるような笑顔にこちらも釣られてしまった。
「さっそくお仕事ですね!(うわ、凄いなあ)」
そう言って両手で持ってきたトランクを前に出す。
「あの、空いているお部屋ありますか?(これは頑張らないと)」
「ああ、こっちに」
二階へ案内するが、ここでまた気付いてしまう。なんで考えなかったのか。アンドメイドを雇うということは一緒に住むということじゃないか。どうやって持て成せばいいのかがまったく分からない。果物屋がバナナをおまけするように小洒落た気を利かせることが出来ない。なんかお腹が痛くなってきた。これが父親の悩んでいた胃痛なのか。階段を上がる二人分の足音よりも俺の心拍がのほうが大きい。
「えっと、この部屋は好きに使っていいから……」
「はい、ありがとうございます。マスター!」
「あの、マスターはちょっと……」
そう言うと無表情になったサクラに、なにか失敗したかとこめかみのうるさい脈が警告を鳴らして汗の線を引いていく。玄関を開けたら立っていた大統領に印鑑を持ってくるような洒落の利いたことができないものか。
「では、ご主人様とお呼びしますね」
うぐっ、と声が漏れてしまった。落ち着け俺。
「それもちょっと困るというか……」
「なら、御屋形様、旦那様、レン様……」
「様はいらないから、レンでお願いします……」
「では……レン君(レン君)」
サクラの瞳が大きく開いた気がした。
「よろしくお願いします、レン君」
「こ、こちらこそ、よろしく」
花びらが頬に浮かぶような少女の微笑みに少しばかり心がほぐれたが、無表情のときは何かしでかしてしまったのかと緊張のピークだった。正直アンドロイドの思考は分からない。クラスの女子の考えも分からずにからかわれたりするのだから。
聞かれないようにため息をついて一階で待っていると、少女は着替えを済ませて戻って来た。白いエプロンに黒いロングスカートのワンピース。フリルは控えめのクラシックメイドの衣装だった。正直に言えば、同じ歳かもっと幼く見えるのであまり似合ってはいない。その衣装に慣れていないのか下りる階段で少しつまずきかけたりもした。最後のステップはふわりとスカートが膨れて着地した。気まぐれなそよ風に動かされるように、でもしっかりとサクラは歩く。
「ではさっそく」
言葉の通りてきぱきと動き出すサクラは膝を付き段ボールを起こしだす。しかしすぐにその辺のものに手を遣って止まった。
「あの、レン君。どうまとめればいいんでしょうか」
「あ、片付けは苦手かな」
「ごめんなさい、訓練はしているのですが(でもこの量は初めて見るので……)」
ああ、と呆れられた声に俺もこんな量の散らかりをどうすればいいか分らない。自分でも他人事のようにフロアを見回した。
「まずは、箱の中から出ている物をまとめてもらえたら……」
はい、とサクラは元気よく返事をして立ち上がり散らばった衣類を集め出した。ピアノに覆いかぶさるシャツやズボンを手に取って、風がやんだのかまた手が止まる。。
動きを止めるたびに何を考えているのかと気になる。初日で嫌になったんだろうか。この散らかりようじゃ仕方ないか。
「あの、洗濯機はどちらでしょうか」
「えっと、まだ買っていないんだ。引っ越したばかりで」
両親からの援助はあるけど、洗濯機はおろか冷蔵庫や電子レンジすら買っていない。食事に関しては甘夏さんのお店のまかないに甘えてしまってこのざまだ。
「近くにコインランドリーがあるから後で持って行くよ」
「いえ、わたしに任せてください(後でって絶対行かないでしょう)」
……ん?
「レン君はゆっくりしていてください(あんまり見られているとやりにくいから)」
なんかさっきから、気になる。
サクラは俺の服をかき集める。琥珀色のフロアにスカートを浮かべ花畑で四つ葉のクローバーを探すようにしゃがんでいるが、手にしているのは俺の洗っていない抜け殻だ。申し訳なくなっていたたまれない。
「全部洗っちゃいますね(カゴとかないかな)」
「ああ、カゴならこれを代わりに」
大きい荷物も入るボストンバックを渡した。サクラは細い指でしっかりと受け取る。親指の付け根の円盤状の関節フレームが音もなく回る。田舎のおばあちゃんが山菜を摘み取っていくように手際よく詰めていく。抜け殻はボストンバッグだけに収まりきれなかったので母親に貰った買い物用のトートバッグも持ってきたが、どちらもかなりの重さに膨れてしまった。
「やっぱり俺が代わりに行こうか?」
「平気です、お仕事ですから。行ってきますね(重いなあ、大丈夫かな)」
玄関から出るときに、どうせなら一緒にって言えばいいのに。と聞こえた気がした。
ふらふらと二つの大荷物に歩かされて茎が折れそうに門扉を出る後ろ姿が窓から見えた。
「心配ではあるけど、平気って言ってるんだから任せようかな」
それにしても何だろう。サクラが喋るときたまに尾ひれが付いてくる。それは腹話術みたいに口が動いていないときに声を出している。人間ぽく見えてもアンドロイドだから、喉からでも直接発声しているのか。まあ逆に工学的には唇を人間のように滑舌良く動かす技術のほうが後みたいだから不自然ではないのか。俺みたいに滑舌の悪い人間もいるのだけど。
二十分ほどしただろうか。サクラが帰ってきた。
「えっと、早かったね?」
「あの、実は……(お金がなくて……)」
結構うっかりしているな、と財布を捜した。バイト代は飛んだが仕送りが入ったのでゆとりはある。まあ何か浪費する趣味もないんだけど。
お金を渡すのと同時だった。
「実は、お金が要るのを忘れていて……(ああ、どうしよう恥ずかしい)」
「うん、これを使って」
「あ、ありがとうございます(うう、ダメなメイドって思われたかな)」
「そんなことないよ、俺だってこんなダメな奴だし」
あれ。尾ひれと会話が成立している。
「それでは改めて行ってきます(確かに。そうですね)」
「あ、あの……」
サクラはちょこんとお辞儀をした小さい顔を上げて、子猫が母猫を見るように俺を見詰める。どのアクセサリーにしても勿体無い宝石のような色の瞳の中の自分と目が合った。粉の吹きそうな柔らかい肌はほんのりと春の色を帯びている。こんな間近で女の人と顔を合わせるのは甘夏さん意外にない。それでもいまだに緊張して目を反らせてしまうのに。
気になったことを尋ねていいんだろうか。あえて聞かない方がいいのか。
「やっぱり一緒に行くよ」
サクラは軽くかしげた首を戻すと、一度微笑んでもう一度重ねて目を細めた。
「ではご一緒します」
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