アンドメイド

繭水ジジ

第1話 &メイド・1


 高校二年生になって両親から一人暮らしの許可が下りた。両親の都合で引っ越す際にハウスメーカーのキャンペーンで一戸建ての格安購入権が当たった。涼しい山手にある別荘地で遠景に海も望める。両親は老後をここで暮らそうと喜んでいて、将来的に資産にもなるとのことで奮発した家だ。

 おかげで俺は転校せずに済み、おまけに揃って新築に住めるという幸運を手に入れた。通っていた四つ葉高校も近いので、学業も生活の管理もきっちりやるという条件で一人には広いこの家で生活を始めたのだ。




 桜の並木を通って門扉を開く。芝を横目に通りぬけ、まだ慣れない鍵の玄関を開けてしばらく分の食料品を置いた。お湯や電子レンジを使わない、冷蔵もいらない食べ物を探すのは思ったよりも苦労した。ひとまず尻をついた一階のフロアは真新しいフローリングが琥珀色に広がっていて、玄関側一面の吐き出し窓からは歩いてきた玄関から家の門までも見える。ふっくらとした芝の緑が太陽の光を差し込ませて開放的なのだが、逆に外からも丸見えだ。面倒だけどカーテンを取り付けないといけない。ついでに買ってくればよかった。

 重い腰を上げて、段ボールを跨ぎながら奥の階段を目指す。我ながらの気だるさを拒むような真新しい床板に足の裏が落ち着かない。二階は三部屋あるが正直これも面倒な数だ。開けっ放しの、ベッドと机だけを置いた一室を抜けてベランダへ出る。

 お嬢様なんかがいたらここでティータイムを過ごすんだろうか、と思いながら柵に手を遣ると真下に庭が見える。家族で暮らせば休日はバーベキューでもしそうな雰囲気がある。

 そのまま目を上げると街が見え、海が広がる。真昼の太陽にきらめきが散らばっていた。

「はあ」

 何度目かの溜め息が出る。家までの上り坂の疲れは取れたが気分まではなかなか晴れない。一人暮らしと意気込んだものの、すでに二つの条件を守れそうもないからだ。


 まず学業。今やどの家電にも搭載される超高度人工知能の開発分野に進みたい。と両親に断言してしまった。社会的身分の高い人気の職業なので進路表にも書いてしまっている。

 もちろん本心ではなく、特に将来を決めていなかったので両親をうまく丸め込むのに丁度よかっただけの方便が、何とかなると思っているうちに在学中に資格を一つでも取らなければならない流れになってしまっていた。

 そう、一からの勉強だ。


 もう一つが生活の管理。ここに引っ越してから段ボールを開けて必要な生活品を取り出す程度しかしていない。自炊はまあ出来るのだが、この山手の別荘地に建つ広い家を管理できる自信がない。自慢じゃないが俺は実家の自室すらろくに掃除をしたことがない。


 もう一度、溜め息をついてパソコンの画面をつける。ページは家事用アンドメイドメーカーのホーム画面のままだ。

「大きい買い物だけど、でも一人暮らしのためにバイトで貯金してたんだし」

 ざっとスクロールしてみる。何度も見た画面だが、ただこれ以上進むことを躊躇していた。

 超高度人工知能、とくにハイパーAIと呼ばれるアンドロイドは幾つかの労働にも派遣され人間の代わりかそれ以上の能力を発揮して労働者の負担を減らしている。まあそれはそれで問題もあるのだが、日常的に普及が進むと逆に人間臭さを求める心理も流行り出す。それで現在は便利すぎるハイパーAIはそこまで浸透せずにいる。世の中は技術の進歩ほど変わらないものなんだろう。

 ともあれ仮にこのハイパーAI搭載家事代行アンドロイド通称アンドメイドを買ったと予想してみる。バイト代をはたいてアンドメイドが家に来る。もちろん家事をしてくれるわけだ。料理も掃除も洗濯も買い物まで代わりにしてくれる。なんて楽なんだ。両手を枕に窓の海に足を向けようか。

 いやいや、楽にはなるだろうが自堕落にもなるんじゃないか。第一に両親が突然家にきてアンドメイドが代わりに掃除をしていたら一人暮らしが破棄されるんじゃないか。というか育て方を間違ったと嘆かれるんじゃないだろうか。

 買うべきか買わざるべきか。時刻を見るとそろそろの時間だった。


 店は夕方まで客は少ない。遅い昼食を終えた唯一の客の会計を済ませ、座敷の掃き掃除と雑巾がけをしていた。

「これを家でできればいいんだけどな」

 独り言を漏らしながら床の方も掃いてしまおうとしていると、カウンターの奥からこの店の主の声が届いた。

「十七時の後に二十時からの団体予約も入ったの。遅くなるけどいい?」

「あ、はい。春休みなので大丈夫です」


 厨房を覗いてみると、店主の甘夏さんのエプロンが小刻みに揺れている。『小料理屋・魔王』の文字と、胸も一緒に揺れるのについ目がいってしまって目の置き所に困った。

「引っ越して家も近くなったものね」

 作業の手を止めた甘夏さんは、魔王というよりも小悪魔のように微笑んでくるときがある。

「これからも、頑張ります」

 意気込みすぎてちょっと変な咳が出てしまった。

「頼もしいな。ちょっとこれ代わってくれる?」

 甘夏さんはすり鉢を片手に額の汗をぬぐった。狭い厨房で入れ替わってゴマを擂る。

 すれ違う時に手が触れかけて息が止まりそうだった。ガラスの器にすらりと盛られたかき氷を崩さないように、触れたら溶けてしまいそうな甘夏さんの身体に俺なんかが触っていいわけがない。せっかく女の人との会話ができるようになったのに、下手してここで嫌われでもしたら再び自信を無くしてしまう。ただひたすら心を無にしてゴマを擂った。


「だいぶ慣れたわね」

「もう一年ですから。おかみさんの真似をしてみてるだけですよ」

 甘夏さんは腕を組んで前かがみになる。猫が玩具に興味を示す時の眼だ。

「おかみさんは止めてくれる?六つか七つしか違わないんだから」

 甘夏さんはエプロンを解きながら微笑むと前髪を整えた。光を和らげる旅館の障子のような生地のシャツが似合っている。大切に立てられたワインボトルのような物腰の、六つか七つ年上の女性、それは近くにも遠くにも感じる。もちろん名前で呼ぶのは照れ臭いからとは言えない。

「常連さんはみんなそう呼んでますよ」

 ふう、と甘夏さんは諦めるように軽く溜め息を漏らした。

「買い出しに行ってくるから、レン君はお店をお願いね」

 細い指先を残し、後ろを結った長い髪がしなやかに流れていく。

「それと、呼ぶならお姉さんでいいわよ」

 閉まっていく裏口から小悪魔っぽい微笑みを投げられた。


 その日のバイトは激務だった。夕方に団体予約の壮行会が終わると次に相撲部の祝勝会と続いた。学校のある日はすでに上がっている時間も追加の注文が続く。二十二時丁度で帰されたがこれを一人で切り盛りしている甘夏さんは凄いと心から尊敬した。


 貰ったまかないを床に置き、やっと家に着いた安堵に浸る。山手へ向かう坂道がさらに足を重くしていた。段ボールを跨ぐと足がもつれて倒してしまう。片付ける気力もなくよろよろと老人のように椅子に座った。

 なぜかこの家にはピアノが置かれている。真っ白なグランドピアノでハウスメーカーからのプレゼントだそうだ。広々としたフロアは映えるのだが、俺は全く引けないのでこのままインテリアにするか売ってしまおうかとも考える。

 そのピアノ椅子に座ってまかないを胃に収める。バイトを始めて料理をするようになったけれど甘夏さんの料理には一生かなわないと思う。その菜の花とゴマの炒飯を平らげた。シャキシャキしてほろ苦い風味と丸い香りがいつまでも食べていたくなる。

 腹いっぱいになって動くのも億劫になってきた。大きな窓ガラスに自分の姿と片付かない部屋が映る。外からもきっと全く同じ姿が見えるのだろう。いや、別荘地に潜り込んだこそ泥の姿だと思われるか。お風呂は明日にしようと二階へ向かおうとしてまた段ボールにつまづいた。腹で踏んづけた炒飯の皿がシャツに染みを残す。

「はあ」

 この家に来て一番大きな溜め息だ。シャツを脱いで放った先には同じように衣類が散らばっている。どこの段ボールだったかとシャツを探して引っ張り出すとその段ボールがひっくり返る。袋から出したシャツも初めての持ち主の気だるさを吸いきれずに俺の色に馴染んでいく。シャツですら可哀想だ。またつまづいてよろよろと二階へ上がった。

 ベッドへ体を投げ出して脱力感に襲われる。自分が情けなくなってきた。静かな家にキーンと耳鳴りが始まる。なんだか泣きそうにもなってきた。


 長年連れ添っているベッドも俺を拒むように寝心地が悪い。崩れるようにベッドから落ち、ふらふらと立ち上がりパソコンの画面をつける。虚ろな目で家事用アンドロイドを眺め、個人情報を登録した。折り返しに辿り着かない振り子みたいに時間が過ぎていく。

 次に出てきた選択画面には何百種類ものアンドロイドの型番が並びそれぞれの機能が紹介されている。容姿やら性格やら声やら専門分野やらを組み合わせて注文するシステムだ。『あなただけのアンドメイド』と売り文句が強調されている。

 『最大一億通りを越える!』との軽快なポップにすでに萎えてきて、おまかせ設定とやらをクリックした。自分の性格や好みを入力していくと候補数が絞られていく。しかし幾つかを答えていっても一億が一万になるだけだった。最初はよく考えながら入力していたが一向に数が減らないので途中からやっつけるように直感で好みを入力する。

「俺の……好みのタイプって何だっけ……」

 まだ五百から減らない。頭が回らなくなり眠くなってきたところで三十まで減った。うとうとし始めながら延々と続け、はっと気がついたときに、四タイプのアンドメイドが残っていた。帰宅した玄関に知らない靴が並んでいるような目で見据える。

 まどろみに淀んだ目を擦ってよく見るとそのうちの一体は誰かに似ていた。甘夏さんだ。詳細を見ていくたびに、見た目も声も性格も料理が得意なところまでそっくりで驚いた。

 甘夏さんが家に来て家事をしてくれて一緒に住む。


「いやいやいや、何を馬鹿な」

 勝手な妄想を膨らませた頭を勢いよく振った。アンドロイドとはいえそれはまずい。知らない靴から初恋の人が裸で出迎えてくるような衝撃だ。メイドならなおさらだ。指示もしなければならない。出来るだろうか、してみたいけど。いや妄想は止めよう。

 本人から引っ越し祝いに来るとも言われているので、甘夏メイドが家に居るのはかなり気まずい。絶対に気持ち悪がられる。バイトも終わりだ。

 深呼吸をしながら手汗をズボンで拭って、他の三つアンドメイドの詳細を見ていく。勝ち気で姉御肌、内気で努力家、どの候補も得手不得手があるがどれも可愛らしい。


 そのうちの『サクラ』というアンドロイドが気になった。詳細が記されていないのだ。

 性格も他のハイパーAIに対していまいちはっきりとしない書き方で、最後に『と思います。』と記される。得意な家事は書かれていない。家事ができないのか。だったら家事用ではないじゃないか。備考欄には「これから頑張ります」と書いてある。


「これから?これから学習するってことか?」

 いくらハイパーAIの学習能力でも実社会で学ばせるのは時間がかかるし、結果どういう思考を持つようになるかが予測できない。純粋なこどもがある日非行に走るようなこともある。ゆっくりかもしれないし突然かもしれない。なので人格を持つアンドロイドは完成された、つまりある程度の成熟がなされた状態で働かせる。そう参考書にはあった。わざわざ一から仕事を覚えるアンドロイドを買う客がいるんだろうか。手塩にかけて育てた部下がある日突然ナメクジになりたいと言ってきたらどこで教育を間違えたか悩むだろう。

 容姿を眺め、サンプルの声を何度も再生してみる。

 ランダムで挨拶の台詞が流れる。見た目と同じく幼さの残る声だ。


「あなたに会えますように」

 他のアンドロイドとは違う人間ぽい声質の台詞の中で、それが耳に残った。


 何度となく候補を巡り見ても、まだその声が耳に残っている。

 もう一度その台詞が聞きたくて、何度も再生するがその声にはたどり着けなかった。

 閉め切った窓から春風が吹いてきたので指を押した。俺は『サクラ』を選んだ。

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