第23話 小さな悪魔と怪物の正体
「おおおおん!」
ミルチが突進すると、怪物はかま首をもたげて雄叫びを上げた。怪物が大口を開けた瞬間、ミルチは尻尾を床に打ちつけて高く跳びあがった。
「覚悟しろ!」
ミルチが槍を振りかざした瞬間、怪物の口から吐かれた茶色い唾液がミルチの槍を持った手を直撃した。
「……うわっ!」
空中でバランスを失ったミルチはくるんと身体を丸めると、怪物の足元に降り立った。
「やったなあっ」
固くこびりついた唾液を片手ではがそうとするミルチを、今度は怪物の長い舌が襲った。舌は逃げるミルチを一瞬早くとらえると、高々と空中に持ち上げた。
「ミルチ……負けないで!」
わたしが思わず声を上げた、その時だった。先の尖ったミルチの尻尾がナイフの刃のように「ぐん」と伸びたかと思うと、怪物の舌を切断した。
「ぐおおおっ」
怪物のうめき声が響き、空中に放りだされたミルチを風のような早さでクロバトロスが受け止めた。
「いいぞ、クロバトロス。今度はこっちのチャンスだっ」
ミルチを背に乗せた黒い鳥がふわりと舞い上がり、怪物の頭と同じ高さになった。
「ぐああ……あ」
ミルチが立ちあがり、怪物をにらみ付けたその時だった。怪物がくるりと向きを変え、鱗だらけの背中を見せた。
「逃がすかっ」
ミルチが槍を構えて叫んだ瞬間、怪物の頭がぱっくりと裂け、人間に似たもう一つの顔が現れた。「顔」はミルチに向かって口を開け、とてつもなく低い声で吠えた。
「ご――――っ」
「声」はまるで強風のようにミルチを後ろに押しやり、クロバトロスごとホールの壁にたたきつけた。「声」の圧力はわたしたちの動きも封じ込め、ようやくやんだ時には、あらゆる物が台風の後のように壁際に押しやられていた。
「……あっ、お嬢様!」
マーサの悲鳴に顔を上げると、ちぎれた舌でドロシーを捕らえた怪物が、壁の中に逃げ込もうとしているのが見えた。
「逃がすもんか!クロバトロス、ドアを開けろ!」
ドロシーと怪物がたちまち壁の中に消え、黒い鳥が大広間に続くドアの取っ手に飛びついた。ドアが開け放たれると、クロバトロスとミルチが相次いで飛び込んでいった。
「そんな……ドロシーを人質に取るなんて」
「追いかけよう。大広間の方だ」
そう言いながらドアを目で示したのは、ヘンリ―だった。
わたしたちは怪物とミルチの後を追う形で玄関ホールを出た。大広間には怪物の姿はなく、ミルチが厨房の方に駆けていく後ろ姿が見えた。
「地下だな。ドロシーを盾に居座る気かも知れない」
道彦が強張った表情で言い、わたしはドロシーの無事を祈りながら大広間を駆け抜けた。
ヘンリーを先頭に地下への階段を降りてゆくと、暗いポンプ室の片隅で車いすにもたれて目を閉じている人影が見えた。
「おばさま!大丈夫ですか」
ヘンリ―が駆け寄るとドロシーの祖母はうっすらと目を開け、部屋の一点を見やった。目線の先には開け放たれた「隠し扉」があり、そこから淡い光が漏れていた。
「やっぱり、そういうことだったのか」
ヘンリ―は意味不明の言葉を口にすると、扉の向こうの「礼拝堂」へと姿を消しだ。
後を追って飛び込んだわたしたちが目にしたのは、ドロシーを捕らえた舌で高々とかかげている怪物と、その前で攻めあぐねているミルチの姿だった。
「ドロシー!」
わたしが叫ぶと、怪物が頭の後ろから「があっ」と、ぞっとするような声を上げた。
「ちくしょう、卑怯な手をつかいやがって!」
ミルチが悔しそうに吠えた、その時だった。背後からぼん、ぼんと何か重いものがはずむような音が聞こえた。思わずふりかえったわたしの目に、信じられない光景が映った。
隠し扉の向こうからはずみをつけて飛び込んできたのは、ミルチのリュックサックだった。リュックサックはミルチの頭を飛び越えると、床の上を転がって怪物の後ろに消えた。
「……とと!」
ミルチが叫ぶと、怪物が突然「ぐおおっ」と呻いて身体をひねった。こちらを向いた怪物の背中を見て、わたしたちは思わず息を呑んだ。頭の後ろの「顔」に噛みついているのは身体から離れた男性の頭――ガモラだった。
「ミルチ、今だ!」
ガモラがそう叫んで怪物から離れた瞬間、ドロシーを捕えていた舌がだらりと緩んだ。
「ようし!……人は人に、影は影に、元いた場所に帰れ!」
ミルチは高くジャンプすると、手にした槍を怪物の喉元めがけて投げつけた。
「ぎゃああああっ」
ミルチの槍が怪物の身体に突き刺さると、凄まじい叫び声が部屋中に響き渡った。
怪物はしばらく苦しそうにもがいていたが、頭の方からもやっとした黒い塊が飛び出すと、草木がしおれるように小さくしぼんでいった。溶けるように形を失った怪物の身体はやがて、白く輝く球体となって床の上に残った。
「よし、結晶になった。もう大丈夫だ」
ミルチはそう言うと、白い球体を拾いあげて袋の中に放りこんだ。
「あっ……」
怪物の身体を離れた黒いもやは空中でとまどうような動きを見せた後、意外な場所に吸い込まれていった。もやが帰っていったのは、ドロシーの身体だった。
「ドロシー……どうして?」
「やはりそうか。「邪気」の持ち主はおばさまではなく、ドロシーだったんだ」
ヘンリ―の呟きに、わたしたちは一瞬、耳を疑った。
「どういうことです?」
ヘンリ―はドロシーの身体を抱き起こすと、近くの長椅子に横たえた。
「屋敷に対して愛着と憎しみの両方を抱えていたのは、彼女だったんだ。ドロシーの複雑な気持ちに取り付いた「影」が、おばさまの呪いがみんなを縛っているというドロシーの思いこみをそのまま形にしてしまったんだろう。つまり「影」の力を借りたドロシーの「邪気」がさらにおばさまを操ってポンプを動かしたという二重のしかけになっていたんだ」
「でも、ドロシーは本気で怪物を怖がっていた。とてもお芝居には見えなかったわ」
「そうだね。おばさまを操っていたのは「邪気」、つまりドロシーの無意識だから、本人も自分が「邪気」の宿主であることにたぶん、気がついていなかったんだろう」
ヘンリ―はそう言うと、気づかぬうちに影を背負っていた姪をいたわるように見つめた。
「さあ、これでこの屋敷の怪物は退治した。帰るぞ、クロバトロス!」
ミルチがそう叫ぶと、黒い鳥がふわりと側に舞い降りた。ミルチはリュックに戻った「頭」を背負うと、わたしたちの方を見た。
「おまえたちのおかげで怪物をやっつけられた。感謝するぞ、ガクシャのみんな!」
ミルチはほうきのようにつき出した赤い髪をなびかせると、扉の向こうへと歩み去っていった。
〈最終回に続く〉
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