第19話 私設図書館は秘密の香り
「希人町郷土資料館」は、学校や「雨迷人」とは逆の方角にある「
古めかしい建物はかつては何かの店だったらしく、熊倉先生の祖父にあたる人物が買い取って私費で改装したという話だった。
「お母さんは郷土史の研究家なんですか?」
わたしが問うと、先生は「ただの元教師だよ」とあっさりと返した。
「定年退職後、僕の祖父がやっていた資料館の管理を引き継いだだけで、もともと郷土史に詳しいわけでもなんでもないんだ。……ただ、以前から興味はあったようだけどね」
年季の入った木製の扉を押し開けて中に足を踏み入れると、「去来堂」とはまた違った古い書物の匂いがわたしたちを包んだ。
小さなホールには、古いモノクロ写真の収められたガラスケースが並び、受付カウンターには品のよさそうな銀髪の老婦人が収まっていた。
「あら、珍しいわね。調べもの?」
老婦人は先生に気づくと、眼鏡の奥の目を細めた。
「まあね。……僕の教え子たちを連れてきたよ」
「そうなの、それはそれは。……あんまりおかしな研究に引っ張りこんじゃ、駄目よ。怪物の研究とか」
いきなり怪物という単語が飛びだし、わたしと道彦は顔を見合わせた。
「あの、わたしたちその怪物について調べに来たんです」
わたしが先生の背中越しに顔を出すと、老婦人は目を見開いた。
「あら、可愛らしい。お名前は?」
「古森瞳子です」
「あ、えっと、僕は細野道彦です」
私が自己紹介をすると、道彦が後に続いた。
「はじめまして、私は
老婦人はそう言うと柔らかく微笑んだ。
「母さん、今日は「希人ブリタニカ」を探しに来たんだ。たしか奥のコーナーに置いてあったよね?」
「ええ、ちょうど良かったわ。少し前までずっと貸し出されていたけど、さっきやっと戻ってきたから」
「えっ、さっき?」
熊倉先生は意外そうな表情を浮かべた。
「あんな本を借りる人が、僕の他にもいたのか……」
わたしたちは民世さんの案内で、奥のコーナーへと足を踏み入れた。
「ここにお探しの「希人ブリタニカ」があるはずよ。ゆっくり見ていってね」
民世さんが立ち去ると、背の低い書棚が並ぶコーナーはわたしたちだけになった。
「よし、持ってくるとするか」
熊倉先生はほとんど迷うことなく棚の一つに歩み寄ると、やけに分厚く古めかしいつくりの本を手に戻ってきた。
「これが「希人ブリタニカ」さ」
テーブルの上にうやうやしく置かれたその本は、どこか手作りのような素朴さにあふれていた。先生が適当なページを開くと、いきなり手描きの怪物の絵が目の前に現れた。
「うわっ、すごい迫力」
「いった、誰がまとめた本なのか、いまだにわからないんだ。この中のどれが実際にこの町で悪さをしたのか、どれが想像上のものなのかもわからない。僕にこの本の存在を教えてくれた祖父によると、この本の作者は実際にこれらの怪物を見たと言われているそうだ」
「実際に……」
道彦は興奮した口調でそう言いつつ、食いいるように手描きの図版に見入った。
「この中に君たちが見たっていう怪物があればいいんだが」
熊倉先生はそう言うと、わたしたちに本を明け渡した。わたしたちは次から次へと現れる個性的な怪物の絵に目を奪われつつ、ページをめくっていった。
「……あっ、これだっ」
本の真ん中あたりのページを開いたところで道彦が叫び、手を止めた。わたしは開かれたページに載っていた絵を見て思わず声を上げた。そこにはドロシーの部屋で見た、蛇に似た怪物と全く同じ生き物が描かれていた。
「……
「地下水龍……」
「説明を読んでみるよ。「地下水の周囲に発生する磁界に引き寄せられて集まって来た「影」が、水流の波動をエネルギーに、近くにいる人物の「邪気」を吸い寄せ一つになった怪物。あらゆる周波数の声で吠え、家具や食器を浮かせたり飛ばしたりする。うろこで攻撃するなど凶暴な一面もあり、活動時間が短いにもかかわらず、退治することは困難」だって」
「……あ、でも弱点というのも書いてあるわ」
わたしが指で示したのは、記事の終わりの方に書かれている短い補足だった。
「本来の頭の後ろにある「もう一つの顔」が弱点とも言われているが、ここへの攻撃は「邪気」の宿主にもダメージを与えるという説があるので、扱いには注意が必要、か。……ね、これどうにかしてミルチに教えてあげられないかな?」
わたしが言うと、道彦は目を丸くした。
「ミルチに?」
「このページをコピーして、手紙みたいな形でなんとか「小鳥の家」まで届けられればミルチもこの「地下水龍」を退治しやすくなると思うの」
「うーん、たしかにそうかもしれないけど……」
「お前たち「小さな悪魔」会いに行くつもりなのか?」
「だめですか、先生?」
わたしが挑むように問いかけると、先生は「うーむ」とうなって腕組みをしたあと、何かを決断したようにうなずいてみせた。
「僕も行こう。どうやって伝える気かは知らないが、ここに連れてきた以上、僕にも責任があるからね。それに久しぶりに「小鳥の家」も見てみたいし」
「本当ですか、先生」
「――ただし、昼間だぞ。夜はだめだ」
「わかりました」
わたしたちが勢いよく返事をした、その時だった。
「あれっ、君たち、珍しいところで会うね」
聞き覚えのある声にわたしたちが思わず振り返ると、驚いたことにすぐ近くに見知った顔――ヘンリーが立っていた。
「ヘンリーさん」
「……見たところ、そいつは「希人ブリタニカ」だね?なるほど、君たちも怪物の正体を調べていたというわけか」
「ヘンリーさん、ブリタニカのことを知っているんですか?」
「まあね。いみじくも幽霊屋敷の住人だぜ?霊や怪物に関して多少は知識がないとね」
ヘンリーは謎めいた笑みを浮かべると、くるりと身をひるがえして別のコーナーの方に姿を消した。
「まさかヘンリーさんがこの施設の常連だったなんて」
「待てよ……もしかしたら「ブリタニカ」をずっと借りていた人っていうのは?」
「ヘンリーさんってこと?信じられないわ」
「ああ、なんだかまたややこしくなってきたな。とりあえずこのページをコピーしていったん、引きあげようぜ」
道彦はそう言うと本にしおりを挟み、パタンと閉じた。
※
「トーコ、ちょっと」
わたしが本のコピー作業を終えて、コピー機からおつりを取りだそうとしているとふいに道彦が脇腹を小突いてきた。
「なに?」
「みろよ、まずい奴が来てる」
道彦が目で示した方を見たわたしは、思わずはっと息を呑んだ。黒いタキシードに身を包んだ、うさんくさい顔つきの男性が奥の書棚のあたりをうろうろしているのが見えた。
「マエストロ……」
「あいつ、きっとこの本が目当てだぜ。怪物の情報を手に入れて、ミルチと取引をしようって考えてるんじゃないかな」
「どうしよう……このまま書棚に戻せば、借りられちゃうわ」
「そうだ、カウンターに預かってもらおう。先生のお母さんなら、事情を話せば協力してくれるんじゃないかな」
「どうかしら……でも、それしかなさそうね」
わたしは本をコピー機から持ち上げると、両腕で抱きしめた。
「そっと、気づかれないようにカウンターまで移動しよう」
道彦がわたしに、小声でそう囁いたその時だった。私のポケットで携帯が鳴った。
「もしもし?」
「――あ、トーコ?私、ドロシー。……実は地下室のことでちょっと新しいことがわかったの。まだ確かめてはいないんだけど、明日、これる?一緒に確かめたいの」
「……わかったわ。すぐそばに道彦君もいるから、伝えておくね」
わたしは短い通話を終えると、道彦にドロシーとの会話の中身を伝えた。
「ふうん……新しいことって、一体なんだろうな」
「さあ……でも怪物の正体はわかったし、あとは「邪気」の持ち主をつきとめるだけね」
「そうだな。……よし、本をカウンターに預けたら「雨迷人」で作戦会議だ」
わたしたちは遠くでうろうろしているマエストロに気づかれぬよう、先生と館長が親子水入らずで談笑している受付カウンターの方へと、そっと忍び足で近づいていった。
〈第二十話に続く〉
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