第18話 お嬢様の地底探検 


 厨房を抜けた先の貯蔵室は、巨大な冷蔵庫が三つもある文字通りの貯蔵部屋だった。


「この部屋の奥に、地下室へ降りる扉があるの」


 ドロシーはそう言って、奥の冷蔵庫に隠れた部分を指さした。近づいてみるとなるほど古そうな金属の扉があり、立ち入り禁止の札が下がっていた。


「私も一人でこの扉を開けるのは初めてよ」


 ドロシーがそう言いながら重そうな取っ手を引くと、錆ついたような軋み音とともに扉が開いて真っ暗な空間が覗いた。


「ほらみて、階段があるでしょ。ここから下に降りていくの」


 言われるままに覗きこむと、確かにコンクリート製の急な階段が下の暗がりに向かって伸びていた。


「足元が暗いから気をつけてね」


 ドロシーはそう言って厨房から持ってきた懐中電灯を手に、先に立って進み始めた。


「すごいな、ドロシー。自分の家とは言え、いつの間にか先頭に立つようになっちゃった」


「これからは、ドロシーがリーダーかしらね」


 わたしたちは連れ立って階段を降り始めた。二、三メートル降りると足が床に着き、ひんやりとした空気が顔を包んだ。


「今、電気をつけるわ」


 ドロシーの声と共に、スイッチを入れる音がして蛍光灯がまたたいた。弱々しい光の下にあらわになった地下室は、がらんとしたコンクリートの箱だった。


「あれがポンプね」


 わたしが部屋の中央にある機械を目で示すと、ドロシーが「そうよ」とうなずいた。


「思ってたより小さいわね」


 わたしは正直な感想を口にした。四畳半ほどの室内の真ん中にあるそれは、芝刈り機ほどの大きさだった。


「言われてみればそうね。この部屋も昔はもっと工具みたいなものがたくさんあった気がするんだけど……今はあの棚だけね」


 ドロシーがそういって目で示した先に、壁に寄せられたスチールの棚があった。


「あんな大きな棚に工具箱が一つだけなんて……本当に贅沢な地下室ね」


「ドロシー、ためしにポンプを動かしてみちゃあ、だめかな」


 道彦が言った。するとドロシーは即座に首を横に振った。


「だめよ。いくら地下でも、動かしたりしたらたちまちマーサたちのいる部屋まで振動が伝わるわ。ギリアムが外出してる最中にポンプが動いたら、変だと思うでしょ」


「道彦君、やめたほうがいいわ。今度冒険がばれたら、もうお屋敷に入れてもらえなくなるかもしれないもの」


 わたしが忠告すると「それもそうか」と道彦は肩をすくめた。


「せめて秘密の通路でも見つかればなと思ったけど、四方がコンクリートじゃあ、どうしようもないな。結局、さっきの階段からしか入ってこれないってわけだ」


「じゃあやっぱり、誰かが隠れていたってこと?」


「そうなるね。ギリアムか、マーサか……」


「ちょっと待って。今、思いだしたんだけど、ひとつおかしなことがあるわ。私の部屋にみんなが駆けつけた時、一番最後に来たのが香花だったの」


「それがどうかしたの?」


「考えてみて。香花が大広間にいる間に誰かが地下室から出てきたら、必ず香花が姿を見ているはずよ。なのに香花が私の部屋に駆けつけた時にはもう、ギリアムとマーサは先に来ていた」


「あっ、そうか」


「それじゃあ、ヘンリ―?」


「ヘンリ―は香花が大広間に行く途中ですれ違ってるから違うわ。ヘンリ―が地下室に行くには引き返してもう一度、香花の横をすり抜けていかなくちゃいけないはずだもの」


「うーん、難しいな」


「一つだけ、方法があるわ」


「なんだい」


「厨房の窓から外に出て、もう一度玄関から入り直すのよ。それからあらためてドロシーの部屋に行くの。そうすれば香花さんに姿を見られずにドロシーの部屋に行けるわ」


 わたしの唱えた説に、ドロシーと道彦はうーんと考え込む顔つきになった。おそらくギリアムやマーサが厨房の小さな窓から外に出るところを想像しているのに違いない。


「――まあ、一応の筋道は通っているけど……そうまでしてみんなを驚かせる必要があったのかなあ」


 道彦がいまいちふに落ちないと言った表情で腕組みをした、その時だった。


「ねえ、何か聞こえない?」


 わたしは耳を澄ませた。たしかに何か電子音のような音が上の方で聞こえていた。


「……キッチンタイマーだわ。コンラッドが十分、計っていたのよ」


「ええっ、融通がきかないなあ。二、三分、サービスしてくれてもいいのにな」


 道彦はそうぼやくと、壁をまさぐる手を止めた。


「仕方ないわ、戻りましょ」


 ドロシーはそう言うと、照明スイッチのある柱の方に移動を始めた。


               ※


 わたしたちが帰り支度をしてドロシーの部屋を出ると、階段に近づくにつれ、何やら人の声らしき音が聞こえ始めた。


「なんだろう、お客様かしら」


 わたしは興味をそそられ、早足で階段を降りた。踊り場で足を止めると、玄関ホールの様子がうかがえた。なにやらマーサと訪問者とが押し問答をしているようだった。


「気をつけた方がいいですよ、こういう古いお屋敷には、悪い生き霊が棲みつきやすいんです。私どもは恨みつらみの念を綺麗さっぱりぬぐい去って、明るく平和な暮らしを取り戻せるよう、最新の除霊システムを採用しております」


 わたしは訪問者の姿を見て、口をあんぐりさせた。マーサに向かって熱弁をふるっているのは、なんとマエストロだった。


「悪いけど結構です。ちゃんと教会にも通ってますし」


「まあ、そう言わず基本のプランだけでも……」


「いらないものはいりません」


 いそいそとパンフレットを取りだそうとするマエストロをマーサは手で制し、ぴしゃりとはねつけた。


「……ねえ、マーサさん、誰と話してるんだい?」


 背後から現れた道彦にわたしは「クロバトロスの言った通りだわ。このお屋敷の悪霊騒ぎにつけこんで、別の怪物がもぐり込んで来ちゃった」


 道彦はわたしの肩越しに玄関の方をのぞき見ると「本当だ」と呆れた口調で言った。


                 ※


「そりゃあ、えらい目に遭ったなあ」


「去来堂」の奥でわたしたちの話を聞きおえた和臣は、いつになく難しい表情になった。


「かつてはその類の話を随分耳にしたもんだが、まさかこの年になって怪物の話を聞くとはなあ。……「界魔」が現れたとなると、この町も騒がしくなってくるかもしれんな」


「ねえ、じいちゃん。「邪気」の持ち主を調べる方法ってないのかな」


「それは、難しいな。場合によっては宿主自身、自分が邪気の持ち主であることを自覚しておらんこともあるからな。とにかく「界魔」を倒せば自然と邪気も元の宿主の身体に戻る。あえて犯人捜しをする必要もなかろう」


「ミルチが現れたとして、「界魔」を倒せるかなあ。たしか、この形の怪物は初めてだとか言ってたみたいだし」


「それはそうじゃろう、いかに「小さな悪魔」とて、あらゆる「界魔」と戦っているわけではないだろうからの。……そうだ、どこかに「界魔」の種類をまとめた本があったはずだが……はて」


「本当に?」


「ううむ……図書館に寄贈してしまったかな」


 和臣がしきりに首をひねっていると、戸口のところに背の高い人影が現れた。


「よう、こんにちは。……おっ、また来てたか名探偵諸君」


「熊倉先生」


 入ってきたのは、この町の言い伝えに詳しい熊倉先生だった。


「おう、ちょうど良かった。あれはなんと言ったかな、ほら「界魔」の種類を集めた……」


「希人ブリタニカ、ですか?」


「そうそう、それだ。……君も一時期、探しとったろう。どこに行ったか覚えとらんかね」


「知ってますよ。僕が買って図書館に寄贈したんです」


「おお、そうだったか。やっぱりな」


「じゃあ、町営図書館に行けば、その本は見られるのね?」


 わたしが興奮して聞くと、熊倉先生は「いや」と首を横に振った。


「町営図書館には、ないよ」


「えっ……じゃあ、どこにあるんです?」


「町外れにある私設図書館さ。郷土資料館の中におかしな本ばかり集めた部屋があるんだ」


「行けば、見せてもらえますか?その「希人ブリタニカ」という本を」


「もちろんさ。……郷土資料館の館長は、僕の母だからね」


          〈第十九話に続く〉

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