第17話 屋敷の地下は危険な香り


 驚いて振り返ったわたしたちの目の前に、マーサの険しい顔があった。


「まあ、なんてこと!こんな遠いところまで、いつの間にいらっしゃったんですか!」


 マーサが叫び、わたしたちは思わず駆け出そうとした。だがそれより一瞬早くマーサの手が伸び、ドロシーの手首をつかんでいた。


「やめてマーサ、痛い、放してっ」


「お屋敷に戻るのです、ドロシー様。今戻れば大奥様に知らないよう、わたしくしがはからってあげます」


「はからってくれなくていいわ。わたしは来たくて出てきたのよ」


 ドロシーがマーサの手を振りほどこうと必死でもがき、わたしたちはおろおろと遠巻きに様子をうかがうことしかできずにいた。と、その時、どこからか飛んできた声が二人の小競り合いをぴたりと止めてみせた。


「おう、どうしたんだい。往来でもめられちゃ、かなわないぜ」


 振り返るとゴードン牧師が腰に手を当て、仁王立ちになっているのが見えた。


「ゴードンさま」


「お、なんだお屋敷のマーサさんじゃないか……それに、そっちはドロシーちゃんかい。……どうしたんだい、今日は礼拝じゃあなさそうだな」


 ゴードンは目を丸くして二人に言った。


「聞いてくださいな、ゴードンさま。ドロシー様が勝手にお屋敷を抜けだして、こんなところまで遊びに来てしまわれたんです」


「ドロシーちゃんが?車も使わずにかい。……そりゃあ、てえしたもんだ」


 ゴードンはドロシーに歩み寄ると、ばつが悪そうにうつむいているドロシーの顔を覗きこんだ。


「――だがなあ、ドロシーちゃん、お家の人に黙ってって言うのはいけねえな。ここまで来る勇気があるなら、その前に家族を説得する勇気を出すのが順序ってもんだろ?違うかい」


 ゴードンが問いただすと、ドロシーは蚊の鳴くような声で「はい」と答えた。


「よおし、じゃあ今日のところはおとなしく家へけえんな。……ただし、マーサさんもあんまり今日のことでドロシーちゃんを責めちゃあいけませんぜ。自由を欲しがるのは、心がちゃあんと成長してるって証拠ですからね」


 ゴードンがマーサの目を見て釘を刺すと、マーサは口ごもりながら「はい……そうします」と言った。


「ごめんなさい、トーコ、道彦君」


 しきりにわびるドロシーに、わたしたちは「またね」というのが精いっぱいだった。


                 ※


「あいにくとドロシーお嬢様はお加減がよろしくありません。今日のところはお引き取り下さい」


 玄関口に現れたマーサはわたしたちを見ると即座にそう口にした。


「どんなふうに悪いんですか」


 マーサは食い下がる道彦をきっと睨みつけると「それは外の方にお話することではありません」とはねつけた。


「どうする?」


 わたしが耳打ちすると、道彦は「入れてくれないんじゃ仕方ないよ。窓から入るわけにもいかないだろ」ともっともな答えを返した。


「そうね。こっそり裏門から入ったりしたら、後でドロシーが叱られるものね」


「ドロシー様にはわたしからお伝えしておきます」


 マーサがドアを閉めようと取っ手に手を伸ばし、わたしたちがあきらめてうなだれかけた、その時だった。ふいにマーサの背後から声が聞こえた。


「おいおい、嘘を言っちゃいけないな」


「……ヘンリ―様」


「たしかにしばらく外出は控えるように言われてるけど、ドロシーは別にどこも悪くなんかないぜ」


「それは……」


「叔母はドロシーに友達と会うことまで禁じたりはしてないぜ。むしろ追い返したと知ったら具合が悪くなるんじゃないかい?」


「……どうぞお好きになさってください。わたしは一切、知りませんからね」


 ヘンリ―にさとされ、マーサは固い表情のまま屋敷の奥に引きさがった。


「君たち、大した度胸じゃないか。病気は言い過ぎだとしても、ドロシーが叔母にしこたまお目玉を食ったことはたしかなんだ。出入りに渋い顔をされても文句は言えないぜ」


「……わかっています。やりすぎでした」


 わたしたちは救いの主に向かって、深々と頭を下げた。


「まあいい。早くドロシーのところへ行っておやり。相当へこんでいるはずだから、君たちが来たと知ったらさぞ、喜ぶだろう」


 ヘンリ―はそう言うと、わたしたちを屋敷の中へと招き入れた。ヘンリ―が去ったロビーでわたしは道彦に「なんだかわたし、ヘンリ―さんを邪気の持ち主から外したくなってきたわ」と言った。


「いや、それとこれとは別だよ。僕らには優しく見えても、人には色んな面があるからね」


 わたしたちは少しばかり思い空気を感じつつ、ドロシーの部屋へと足を向けた。


                 ※


「そりゃあもう、たっぷりと油を絞られたわ」


 わたしたちを出迎るなり、そう愚痴をこぼしたドロシーは、いつもの寝間着姿ではなくヴェルヴェットの部屋着姿だった。

 気のせいかわたしには、ドロシーの顔がほんの少しだけ大人びたように見えた。


 おそらく大人たちに嘘をついたり、自分がしたいと思ったことを行動に移したことで十四歳という年齢にふさわしい影を手にいれたのだろう。

 わたしはドロシーがまた少し、わたしたちに近づいた気がしてほんの少し、嬉しくなった。


「ところでドロシー、屋敷中の人に警戒されている身分でなんだけど、どうにかして「ポンプ室」を見ることはできないかな」


「ポンプ室を?どうして?」


「もしそこが怪物を目覚めさせるスイッチになっているのなら、行って調べてみたいんだ。もしかしたら大広間を通らなくても済むような隠し通路が見つかるかもしれない」


「そんなもの、あるかしら。ポンプ室は地下だし、そこで行き止まりだと思うわ」

「とにかく行くだけ行ってみようよ。君ならギリアムやマーサが忙しい時間帯を知ってるだろ?」


「そうねえ……三時半ごろかしら。ギリアムは銀行や何やに行っていて忙しいし、マーサとメイドたちは洗濯物を取りこんでたたむのに忙しい時間帯だわ」


「三時半か……今じゃないか。よし、行ってみよう。ドロシー、案内してくれないか」


「……わかったわ。行きましょう」


 ドロシーが根負けしたように言い、わたしたちは部屋を出た。階段を降りて玄関ホールを横切ると、ドロシーの言葉通り、広い屋敷にもかかわらずわたしたちはほとんど誰とも顔を合わせなかった。


「……なんだ、あっけなく着いちゃったぜ」


 大広間に足を踏み入れた道彦が拍子抜けしたように言った。怪物が現れた痕跡はすでになく、青磁の大皿も元の場所にそのまま置かれていた。


「お化けがここだけじゃなく、わたしの部屋にも現れるなんてね。しかもあんな気持ちの悪い生き物だったなんて。怪物が壁から出てきた時は、心臓が止まるかと思ったわ」


 ドロシーがそう言いながら、隣の厨房に足を踏みいれかけた、その時だった。


「おや、ドロシー様」


 いきなり声が聞こえ、わたしたちは立ち止まったドロシーの背中に追突しそうになった。


「コンラッド……どうしてこんな早い時間に?」


「いえ、ちょっと仕込みがありましてね。……お嬢様こそ、こんな時間に珍しいですね。何か用で?」


「あの……お客様がポンプ室を見てみたいっていうから案内していたの」


「ポンプ室?……あそこはギリアム様しか立ち入っちゃいけない場所ですよ」


「そう言わないで、コンラッド。ちょっとだけだから」


「どうもお嬢様は、この間の外出騒動以来、行いがよろしくなくなられましたな」


「コンラッド、私ももう十四よ。ある程度色んなことに興味を持つのは当然でしょ」


「ずいぶんとご立派なことをおっしゃられるようにおなりで。……では十分だけですよ。それ以上は責任を持てません」


「ありがとう、コンラッド。今度からサラダのブロッコリーが多くても文句は言わないわ」


「……やれやれ、お屋敷も何やら、随分と変わられましたな」


 わたしたちは困ったように眉をひそめているコンラッドを尻目に、厨房を横切った。


              〈第十八話に続く〉

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