第14話 午前零時はお化けの時間


「ごちそうさまでしたっ」


 目の前の料理を誰よりも早くたいらげた道彦は、満足げな顔で言った。


 わたしはそっと他の人たちの表情を盗み見た。道彦以外の皿はまだ半分ほどしか片付いておらず、道彦の犬のような食欲に皆、あっけにとられたように目を丸くしていた。


「やっぱり男の子は違うねえ。……コンラッド、道彦さんにデザートをお出しして」


 サラが料理人に命じると、フルーツを添えたプディングとチョコレートソースがかかったアイスクリームが運ばれてきた。


「やったあ、こんなデザートが食べられるんだったら、毎日通おうかな」


「ちょっと、下品な事言うのやめてよ」


 わたしがひじで道彦の脇腹を軽く小突くと、道彦は「いいじゃん、別に。なに気取ってんだよ」と口を尖らせた。


 結局わたしもデザートまできれいに平らげ、それ以上、道彦のマナーをあれこれ言うことはできなくなった。少し恥ずかしい気持ちで食後のひとときを過ごしていると、サラがマーサの方を見て口を開いた。


「さて、私はひと休みしたら床に入らせてもらうよ。……マーサ、今日の泊りは香花だったかしら」


「はい、奥様」


「香花、もし今夜「あれ」が現れたら、真っ先に青磁の皿を守るのよ、よくって?」


「わかっています、奥様」


 サラの一言を聞いた香花の顔が、白くなるのが横で見ていてもはっきりとわかった。


「道彦さんと瞳子さんは、ゆっくりしてらっしゃい。ただし、ドロシーをあまり疲れさせないでね。……ドロシー、あなたも楽しいからと言って眠らないのはいけないことよ。夜は眠るもの。みだりに起きていると悪いものが近づいてきますからね」


「はい、おばあさま」


 ドロシーは厳しい顔でしおらしくうなずいた。サラが大広間を去り、食卓が片付いたところでわたしたちはトランプを始めた。


「ね、香花もやりましょうよ」


 ドロシーがテーブルの上を拭いている香花に声をかけた。


「私はまだ、仕事が残ってますから。みなさんで楽しんでくださいな」


「もうお仕事、ほとんど終わってるじゃない。いつもみたいに相手をしてよ」


 香花は駄々をこねるドロシーに眉をよせた後「じゃあ、この仕事が終わったら」

と折れてみせた。わたしたちは雑談をしながら香花の身体が空くのを待ち、やがて四人でテーブルを囲んでのトランプが始まった。


「……香花さん、お化けが出るのは何時ごろですか?」


「夜中の十二時よ。私もいったんメイド用の寝室に引き上げるけど、事件があってからは十一時半から一時間ほど、起きて広間の番をすることになったの」


「ふうん……じゃあさ、僕らも一緒にお化けを待つよ」


 道彦が鼻息を荒くしていうと、ドロシーも興奮した口調で続けた。


「いいわね。四人もいれば正体がわかるかもしれないわ」


「……ちょっと、ドロシー様。いけませんよ。私が奥様に叱られてしまいます」


 香花があわてて釘をさすと、ドロシーはぷっと頬をふくらませた。


「もう、固いんだから。私がむりやり居座ったことにすればいいじゃない」


 ドロシーは抗議するように言うと、香花のカードを抜いた。


「やった。上がりよ」


 ドロシーがエースのペアをテーブルの上に放ると、香花がため息をついた。


「どうしてこう、お嬢様は強運なのかしら。これならきっと、お化けも逃げていくわね」


「おわびのしるしに、今夜は私が青磁の皿の番をするわ。だって、香花がクビになったらババを引いてくれる人がいなくなっちゃうもの」


 ドロシーのきつい冗談に香花が眉を吊り上げてみせた直後、道彦が声を上げた。


「おっ、僕も上がりだ」


 道彦の手からカードが消えた瞬間、わたしと香花は顔を見合わせた。


「おかしいわ。……わたしと香花さんの両方に、カードが二枚づつある」


 不思議がるわたしからカードを引いた香花が、首を傾げながら三枚のうちの二枚をテーブルに捨てた。


「せーの、で見せ合いましょうか」


 わたしたちは頷き合うと、互いのカードをさらした。


「あっ……」


「誰よ、ババを二枚も入れた人は」


 テーブルの上を見たドロシーが笑いだし、わたしと香花は顔を見あわせて肩をすくめた。


「十時になったわ。いったんお部屋に戻りましょう」


「お嬢様、私は起こしませんよ。お休みになられていた方がメイドとしては安心しますからね」


「……もう、真面目だなあ。じゃあ、一時間半後にね」


 わたしたちは香花を大広間に残すと、ドロシーの部屋へと引きあげ始めた。


                 ※


「どうする?起こす?」


 わたしがドロシーの持っている本の中から何冊かを選んで見せてもらっていると、道彦が椅子にもたれて大いびきをかき始めた。


「昼間、あんなに馬鹿みたいにはしゃぐからよ。ひっぱたいてもいいわよ、ドロシー」


 わたしが言うとドロシーはそっと道彦のいる椅子に歩み寄った。


「お化けの時間よ、道彦さん」


 ドロシーのささやきに道彦はぴくんと身体を伸ばすと、ぱっと目を見開いた。


「……お化け?今、何時?」


 わたしは笑いをこらえながら「まだ現れてないわ。今は十一時半。行くわよ」と言った。


「……ちぇっ、起こすなら、もう少し優しくしろってんだ。……ドロシー、準備はいい?」


 今しがた起こされたばかりにもかかわらず、道彦はリーダーのような口をきいた。


「私は着替えてから行くわ。先に広間に行っててくれる?」


 わたしたちはうなずくと、懐中電灯を手に廊下に出た。広いお屋敷だけに、真夜中ともなると普通の家にはない不気味さが漂っていた。


「古いお城みたいね。……悪いけど、幽霊屋敷って呼ばれている理由がわかる気がするわ」


「なんだい、怖いのかよ」


 道彦がこころなしか震える声で言った。暗い廊下を抜け、階段を降りるころには目もなれてさほど怖さは感じなくなっていたが、それでもただならない雰囲気は変わらなかった。


「まあ、あなたたち本当に起きてきたのね」


 大広間の扉を開けて中に入ると、香花が呆れたように言った。


「まあね。……だって、今夜を逃したら当分、お化けに会えないかもしれないじゃないか」


「もう。いい気なものね。あなたたちには悪いけど、私はお化けの歓迎パーティを開く気はないわよ」


 香花にきっとにらまれ、道彦は「一人よりはいいと思うけどな」と言って肩をすくめた。


「……ねえ、青磁の皿ってどれ?」


 わたしがたずねると、香花は食器棚とは別の飾り棚を指さした。


「あの皿はお食事には使ってないの。ああやって年中、飾ってるわ」


 わたしは大皿が飾ってある棚の前まで行くと、ガラス戸を手で押さえた。


「言っておきますけど、お化けが来ない夜だってあるんですからね」


 香花がわたしたちにそう言い聞かせた、その時だった。道彦が壁に耳を押し当てながら「ちょっと、何か音が聞こえる」と言った。


「何の?」


「わからない。モーターの振動音みたいな音だ。お化けの音って感じじゃないな」


 わたしは道彦にならって近くの壁に耳を押し当てた。するとぶうんという唸りが壁を伝って聞こえてきた。たしかにお化けの音ではなさそうだ、わたしがそう思った直後だった。大広間のテーブルががたがたと音を立てて揺れ始めた。


「地震かしら」


 わたしが言うと、香花が紙のように白い顔で首を横に振った。


「これよ。これがお化けが現れる前触れよ」


 香花が小さく叫んだ瞬間、今度は食器棚の戸が触れてもいないのに開き、並べられていた皿がいっせいに一センチほど浮きあがった。


「見て、お皿が……」


「ポルターガイストだ!」


 道彦が叫ぶのと前後して棚の皿が次々と浮き、一枚づつ水平に外に飛びだした。


「わあ、お皿がっ」


 何枚もの皿がまるでラジコン操縦のように、わたしたちの間をかすめて飛び交い始めた。


「どうしよう、マーサ様かギリアム様をよばなくちゃ」


 香花がパニックにおちいりながら、そう口にした。わたしは反射的に青磁の皿がおさめられた棚を手で押さえた。


「とにかく、この現場を見せて香花さんがやってるんじゃないことをみんなに教えよう」


 道彦が震える声で言った、その時だった。どこからか、か細い悲鳴が聞こえてきた。


「……ドロシー様!」


 そう叫んで駆けだしたのは、香花だった。わたしは思わず大皿の棚から離れると、後を追った。わたしたちは大広間を飛びだし、階段を駆けあがると無我夢中でドロシーの部屋を目指した。


「ドロシー様、どうなさいました?」


 香花が叫びながら扉を押し開けた次の瞬間、わたしたちは目の前に現れた光景に思わず息を呑み、その場に立ち尽くした。


「あ……?」


 わたしたちが見たのは壁を背に身を固くしているドロシーと、その手前でかま首をもたげている見たこともない巨大な怪物の姿だった。


              〈第十五話に続く〉

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