第11話 いなせな天使が舞い降りた
通りに飛びだしたわたしたちが目にしたのは、下りていったはずの坂を、血相を変えて駆け上ってくる香花の姿だった。
「香花さん?」
思わずわたしがいましがた覚えたばかりの名を口にすると、香花は大きく目を見開いて立ち止まった。
「どうして私の名前を?」
坂の途中で立ち尽くしたままこちらをいぶかしげに見つめる香花に、わたしは大汗をかきながら思いつく限りの説明をこころみた。
「ええと、初めまして。……あの、わたしたち怪しいものじゃないです」
ああでも、本当は初めてじゃないしなあ、などと混乱していると、横合いから道彦が助け舟を出した。
「僕ら、坂の上の中学校に通ってる生徒です。僕は細野道彦、こっちはトーコ。……実は前に一度、あなたを森でお見かけしてるんです」
「わたしを……森で?」
香花の表情がいくぶんやわらいだのを見て、わたしは口を挟んだ。
「あの、実は何日か前の夜、「異界の森」でわたしたち迷子になったんです。クラスで噂になってる「小さな悪魔」をつかまえようとして」
「小さな悪魔」という言葉を出した途端、香花の顔色が変わった。
「そう……森に悪魔がいるって話、中学生にまで広まっていたのね。知らなかったわ」
「森の中でわたしたち、女の人が歩いてるのを見てつい「お化けだ」って思っちゃったんです。……でもこの前、この坂をその時の「お化け」そっくりの人が歩いているのを見て「お化けじゃなかった」って気がついたんです」
よく考えたら失礼なことを言われているにも関わらず、香花は眉を下げ、苦笑いを浮かべた。
「あの、わたしこの坂の途中にある「雨迷人」っていう喫茶店でアルバイトをしてるんですけど、店の窓からあなたを見て思わず、後をつけてしまったんです。そしたら「蘇命堂」の中に入っていくのが見えて……」
「……で、うちの祖母から私の名前を聞いたというわけね」
「はい。「ブティック王」のお屋敷で働いていることも聞きました」
「そうだったの。……驚かしちゃったみたいだけど、実はあの晩、森に行ったのにはわけがあるの。わたしね、最近……」
香花が声を低めて話し始めた、その時だった。
「よお、香花ちゃんじゃないの」
坂をゆっくりと下りてきた一台のバンが、滑るようにわたしたちの近くに止まった。
「うそ、さっき下で見かけて逃げたはずなのに……」
香花の顔が見る見る青ざめるのと同時に、バンの窓からいかつい男性が顔を出した。
「今週中に返事をくれるはずだったよね?もう撮影会の予定は入れちまったんだよ」
「いえ、私は……」
「困るんだよなあ、そういうあいまいな態度じゃさあ」
そういうといかつい男性はいきなりドアを開け、路上に降り立った。同時に反対側からももう一人、少し若いやせた男性が姿を現した。いかつい方が若い方になにやら目で合図を送ると、若い男は香花のほうにつかつかと歩み寄り、いきなり手首をわしづかみにした。
「ちょっと、やめてください」
「あんたが興味があるって言うからこっちは話を進めたんだよ。それを今さらその気がないなんて言われちゃかなわないぜ」
「そんな……」
口ごもる香花の手を若い方の男がぐいと引き、香花が顔をゆがめた、その時だった。
「なにしてやがんだ、てめえら!」
唐突に野太い声が坂の下の方から聞こえ、二人組はびくんと身体を震わせた。
「おうおう、この平和な町で御婦人に悪さをしようなんざ、ふてえ了見だぜ」
やけに威勢のいい口調と共に現れたのは、なんと長身の外国人だった。
「な、なんだあんたは」
いかついほうがひるみながらもすごんで見せると、外国人男性は「なんだ、知らねえのかい。さてはおめえさん、よそ者だな?知らざあ言って聞かせやしょう。「坂の上教会」牧師ゴードン様たあ、俺のことよ。おめえたちの悪事、世間が見のがしても神様は全部お見通しさ。観念してお縄につきやがれ」
「牧師なの?あの人」
「そういや、聖書みたいな本を持ってるな」
わたしたちは顔を見合わせ、ささやき合った。
「さあ、わかったらとっととその人を離しな。それとも何かい、おめえさんたち、神に仕えるこの俺に、暴力をつかわせたいのかい」
ゴードンと名乗る牧師は口上をのべると、黒いジャケットの袖をまくり上げた。
とうてい牧師とは思えない太い二の腕と盛り上がった筋肉に、二人組が明らかに及び腰になっているのがわかった。
「お、おぼえてろよ、坊主。……おい、行くぞ!」
いかついほうが片割れに命じ、片割れはゴードンに恨みがましい目を向けると、そそくさとバンに乗りこんだ。
「ざまあみやがれ。このゴードン様の目の黒いうちはこの町で悪さなぞ出来ねえってことを、そのトンチキなオツムによおく叩きこんどくんだな」
二人組が立ち去った後、ゴードンはまだ震えがおさまらない香花に歩み寄ると「どこかおけがはありませんか」と紳士的な口調でたずねた。
「はい。ありがとうございます」
若く美しい娘と金髪で青い目、長身の外国人男性が向き合っている様子は、喋りさえ聞かなければ映画のワンシーンのようでもあった。
「そりゃあよかった。ご無事で何よりだ。ところであの連中、いったい何者なんです?」
「それが……私が少し前にカフェで休んでいたら、突然、モデルのアルバイトをしませんかと声をかけられたんです。私もつい、学費の足しになればと話を聞いてしまって……」
「なるほど、苦学生の弱みにつけこもうとする、ふらちなゴロツキってわけですね。よござんす、この際、うちの教会で悩みをあらかた吐き出しちまいましょう。こう見えてもあっしは人の悩みを聞くのが生業。どうぞご安心なすってください」
ゴードンの強引な誘いに香花は「いえ、あの」と戸惑いをあらわにした。
「トーコ、行くぞ」
「えっ?」
「どさくさに紛れて俺たちも香花さんの話を聞くんだよ。俺たちの悩みも一緒に打ち明ければ、断れないだろ?」
いたずらっぽい表情でそう持ちかける道彦に、わたしはこの図々しさも一種の才能かしらと感心したのだった。
〈第十二話に続く〉
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