第8話 小鳥の家の奇妙な主


 わたしたちが木の幹に足を踏み入れると、背後でひゅっという音がしてあたりが真っ暗になった。どうやら入ってきた穴が入った途端、閉じてしまったらしい。


「こりゃあ普通の木じゃないぜ」


 そんなことはわかってるわよ。そう言いたいのをこらえてじっとしていると、急にあたりがぼうっと淡い光に包まれた。どうやら幹の内側は太いパイプのような空洞らしく、わたしたちはその中に立っているのだった。


 わたしたちが次の「指示」を待っていると、やがて上の方からゆっくりと何かが降りてくる気配があった。そのまま近づくのを待っていると、目の前に蔓で編んだ籠のような物体がゆるゆると現れた。


「乗れ、人間」


 籠が地面につくと、再び上の方から「声」が聞こえた。わたしたちは命じられるまま、おそるおそる籠に身体を押しこんだ。小さな籠にどうにか二人分の身体が収まると、籠はゆっくりと上昇を始めた。


「上の方にある「小鳥の家」まで行くのかな」


 わたしが聞くと、背中合わせに籠に乗っている道彦が「エレベーターなんて気が効いてるじゃん」と言った。籠はどんどん上ってゆき、ついに頭上を塞いでいるごつごつした天井が迫ってきた。


「やばい、ぶつかっちゃう」


 道彦が悲鳴にも似た叫びを口にした直後、籠は何か柔らかいものを突き抜け、天井の向こう側へと飛びだしていた。


「あっ……」


 籠の動きが止まった瞬間、わたしたちは同時に驚きの声を上げていた。

 籠が到着した場所は、「希人町異聞」に載っていたスケッチとそっくりの空間だった。


「もしかしてここが「小鳥の家」の内側……」


 わたしたちは籠の中から、外の奇妙な眺めに目をみはった。わたしたちが入りこんだ場所は、蔓で囲まれた四畳半くらいの広さの「部屋」だった。


「ようこそ人間よ。おまえたちは十年ぶりの客人だ。歓迎しよう」


 わたしは目の前にいる「声の主」を見て思わず悲鳴を上げそうになった。壁にもたれるようにしてあぐらをかいている「主」は身長が二メートルほどもあり、下半身が熊のような黒い毛で覆われていた。そして何より異様だったのは、「主」には首から上がなかったのだ。


「あ……ど、どうも……」


「主」の首の断面にはペットボトルのキャップを思わせる形の金属がはまっていて、そこからコードのようなものが数本、床に向かって伸びていた。


 コードの先を目で追ったわたしは、そこにあるものを見て思わず二度目の悲鳴を上げそうになった。少し離れた壁際にクラシックな形の椅子があり、コードは椅子の脚につながっていた。そして椅子の上に乗っているのは人間の、中年男性の「頭」だったのだ。


「なぜ「身体」の方ばかり見る、人間」


 前の方が禿げ上がったいかつい男性の「頭」が、はっきりそう口を動かすのが見えた。


「あ、あの……く、首と胴体がその、別々に」


「そうだ。それがどうした。見苦しいのなら、許してほしい。こうしていないと人の世界では生きてゆけないのだ」


 椅子の上の「頭」はそう言うと、わたしたちに探るようなまなざしを向けた。


「あなたは、何者です?……それと、ここはどこですか?」


 道彦のあまりにも直接的すぎる質問にも「頭」は不愉快そうな表情を見せなかった。


「私の名はガモラ。異界の者だ。ここは人間たちが「小鳥の家」と呼んでいる場所だ。ここには私と娘のミルチ、その他にも何人か、異界の者が住んでいる。少々、狭いがなに、住んでみればそれなりに心地よい場所だ」


 ガモラの口調は外見に似ず、どこか親しみを覚えるようなおおらかさがあった。


「ガモラ……さん、その「ミルチ」って、ひょっとして化け物を食べるとか言う「小さな悪魔」のことですか?」


「……ぬう?」


 突然ガモラがぎろりと目を剥き、わたしたちは震えあがった。


「なぜ、それを知っている?……ははあ、わかったぞ。お前たちは「学者」だな?確か十年前にここに来た学者を名乗る男も、いろいろとわしたちのことを聞いていったからな」


「いえ、あの、僕ら……中学生です」

「チューガクセイ?学者ではないのか」


 ガモラはチューガク、チューガクと口の中で何度も繰り返した。


「学者には、もう少し大人にならないとなれません。僕らはまだ、子供なんで」


「子供か……なるほど、言われてみれば子供のようだな。大きさがミルチの倍くらいあるせいでわからなかったぞ」


 そう言うとガモラは、口元をゆるめた。


「僕ら、「小さな悪魔」に会いに来たんです」


「小さな悪魔だと?……ミルチのことか。……ふふん、悪魔のことを知りたがっている人間がまた、現れたというわけか。お前たちはやはり、学者の仲間だな」


「それは、どちらでもいいです。……それより「ミルチ」は今、どこに?」


「ミルチか。あの子は「界魔」の巣を探しにクロバトロスと出かけとるよ」


 聞き覚えのある名前の登場に、わたしはどこかわくわくするものを感じていた。


「クロバトロスって、あの大きな黒い鳥のことですよね?」


「ほう、奴を知っとるのか。そうだ。一人では動けぬわしに代わってミルチの世話をしている有能な男だ」


「マエストロとか言う、変な人とけんかをしているところを見たことがあります」


「マエストロか。あんな奴まで知っているのか。やはり学者ともなると違うな。だがお前たち、気をつけるがいい。マエストロは一見、礼儀正しい男に見えるが、中身はペテン師だ。だまされんようにな」


 わたしは思わず「はあ」と気のない返事をしていた。はたしてガモラの忠告が必要になる時など、わたしたちに来るのだろうか。


「ミルチに会いたいのなら、この世界で上弦の月とか呼ばれている夜に来るといい。「界魔」が出なければ会えるだろう」


「その「界魔」って、なんですか?」


「異界から染み出してきた「影」と、この世界の人間の邪気とが合体して生まれる怪物のことだ。「界魔」があらわれて悪さを始めたら、ミルチは行かねばならぬ。……もっとも、お前たちが「界魔」が暴れている現場に居合わせれば、ミルチとも出くわすだろうがな」


「ミルチは「界魔」を食べるんですか?」


 道彦が唐突に、微妙な内容の問いを口にした。ガモラは一瞬「む?」という表情になった後、いきなり笑い出した。


「はっはっは、「界魔」を食べるか。こいつは面白い。学者はそういう言い方をするのだな。気に入ったぞ」


「じゃあ、食べるわけじゃないんですね」


「「界魔」は退治されると、人の邪気と「影」とに分かれるのだ。人の気は元の宿主の身体に戻り、「影」は浄化されて結晶になる。ミルチはその結晶を集めているだけだ。あんなもの、食べたら身体がどうかなってしまうわ」


「ミルチは「結晶」を集めてどうするんですか?」


「……やれやれ、学者というのは質問ばかりだな。結晶を集めてある方法で「鍵」と呼ばれる物体に変えると、異界への扉を開くことができるのだ。ミルチは異界の奥に姿を消してしまった母親と会うために、結晶を集めているのだ」


「お母さんに……」


 わたしはなぜか、胸が締め付けられるような気がした。悪魔だって、やっぱりお母さんには会いたいんだ。


「さよう。ミルチはこの世界の人間と、異界人であるわしとの間に生まれた子なのだ。半分この世界の血が流れているミルチは、結晶から作られる「鍵」の力を借りなければ異界への扉をくぐることができないのだ」


「お母さんはどうやって異界への扉をくぐったんです」


 わたしがたずねると。ガモラはそこで初めて悲し気な顔になった。


「わからん。ある日、ミルチとわしに宛てた手紙を残して、消えてしまったのだ」


「それでミルチは「界魔」退治を始めたんですね。別に食べるわけじゃなかったんだ」


「そうだ。わしはこの世界で「人間病」にかかってしまい、見ての通り動くことが難しい。それであの子が頑張っているというわけだ。……さあ、今日のところはこのくらいにして、人の世界に戻るがいい。いくら学者でも、あまりに多くのことを頭に詰め込んだのでは、わしのように胴体からぽろりと取れてしまうぞ。下まで送るから、その籠に乗りなさい」


 わたしたちは言われた通り、籠の中に再びおさまった。ガモラの「胴体」の手が「行け」というように上げられると、籠は来た時と同じようにゆっくりと床に沈み込んでいった。


「さらばだ、学者たち。縁があったらまた会おう」


 ガモラの声がこだまする巨木の内側を、わたしたちの乗った籠は音もなく降りていった。


              〈第九話に続く〉

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