第7話 お化けに会うなら森の中


「どうしよう、迷っちゃったかな」


 わたしは立ち止まって振り返ると、荒くなった胸の鼓動をなだめた。


「お化けもここまでは追ってこないよな、たぶん」


 道彦があたりを見回しながら、震えのまじった声で言った。


「……ううっ」


 わたしの目の前で道彦が突然、右の肩を押さえてうめいた。


「どうしたの、道彦君」


「さっき……お化けに噛まれたところが」


 そういうなり、道彦はその場にがくりとひざをついた。


「……あっ、わたしも何だかめまいが……どうしたのかしら」


 わたしは大きくふらついた後、先に倒れた道彦の背に、折り重なるように倒れこんだ。


「…………」


「よし、オーケー。なかなかいいじゃん。これなら「小さな悪魔」も招待してくれるよ」


 むっくりと起き上がった道彦が、はずんだ口調で言った。


「そうかなあ。こんなので悪魔がだまされてくれるかしら」


「悪魔はさ、お化けを食べるんだろ?大好物が近くにいるかもしれないと思ったら、たまらず飛びだして来るにきまってるさ」


「そんなものかなあ」


 道彦の説はいかにも心もとないものだったが、わたしは一応、同意するふりをした。


 図書館の一件以来、わたしの中で悪魔を見たいという気持ちがくすぶっていたのだ。


「で、いつなの?本番は」


 わたしは「森」とは似ても似つかない風景を見回しながら言った。


 わたしたちが「悪魔狩り」のリハーサルに選んだ場所は、坂の下にある児童公園で、回るタイプのジャングルジムを「小鳥の家」に見たてて、お化けに追われるお芝居を演じていたのだった。


「だけどさ、道彦君、よく恥ずかしくないね。誰も見てないからいいけどさ」


 わたしはずっと思っていたことを、すこしばかり嫌味たらしく口にした。


「……別に。演劇部に入ってると思えばいいじゃん。それにさっきの演技、なかなかだったぜ。恥ずかしがる必要なんてないと思うけどな」


 わたしは思わず口をつぐんだ。おかしな褒め方をされ、調子がくるってしまったのだ。


「それじゃ、この次は本番ってことで、よろしくな。決行は明日の夜九時だ」


「九時?」


 わたしは思わず大きな声を上げた。八時でも先生からにらまれたのに、九時なんてありえない。熊倉先生が聞いたら「お前、先生の言ったことを一つも理解してないな」とお説教を始めるに決まっている。


「なんだよ、八時なんてまだ、お化けの出るような時間じゃないだろ」


「……じゃあ、八時半」


「わかった、それでいいよ。じゃあ八時半に校門前だ。その代わり、絶対に遅れるなよ」


「……わかった」


 わたしは行く前からげんなりした気分を味わっていた。これで悪魔に会えなかったら、わたしたちは森で夜遊びをしたあげく、迷子になったお馬鹿な中学生ということになる。


「今度こそ、絶対に悪魔に会ってやるぞ」


 なんの勝算もなしに意気込んでいる道彦を見てわたしは、お芝居作戦に協力を約束したことを後悔し始めていた。


                  ※


「いいか、ここから「小鳥の家」まで一気に走るぞ」


 すっかり陽が落ちて月明かりくらいしか頼るものがない遊歩道で、道彦が言った。


「ちょっと待ってよ。たしかに走ればすぐだけど、こんな真っ暗な森の中で転んだらどうするのよ。お父さんをどうにかごまかしてきたのに、けがでもしたらもう二度と夜に出してもらえなくなるわ」


「俺が先を走るから、ぴったりついて来ればいいよ。それより「小鳥の家」についたらすぐお芝居だからな。わすれるなよ」


 わたしは返事をする代わりに溜息をついてみせた。すっかり隊長気どりの道彦には、何を言っても無駄らしい。


「……それじゃあ、行くぞ。それっ」


 遊歩道が大きくカーブしているところから、わたしたちは道の無い木立の中へと飛びだした。言葉通り道彦はわたしの前を危なげない足取りで走っていった。わたしは必死で後を追いながら、いもしないお化けにおびえるなんて、馬鹿みたいだなと思い始めていた。


「ようし、もうあと少しで見えてくるはず……あっ」


 でこぼこの地面を走るのに慣れ始めた頃、突然、道彦が急ブレーキをかけた。


「……なによ、急に止まったりして。動物でも見たの?」


 わたしが憤慨しながら声をかけると、道彦が肩越しに振り返って「見ろよ」と言った。


「人がいる……女の人だ」


 道彦が頭の動きで示した方を見たわたしは、思わず悲鳴を上げそうになった。前方の暗がりの中に白いエプロンドレスを着て、手に鎌のようなものを持っている女性の姿があった。女性はわたしたちに気づいたのか、肩をわずかに動かすと、こちらに顔を向けた。


「……見たわね」


 女性の顔の半分以上を覆っているマスクの、口の部分ががそう動いた。


「うっ……うわあっ」


 道彦が額に着けているライトの光が当たったのか、女性の両目が魔物のように光り、同時に手にした鎌が近づくものを威嚇するかのように振り上げられた。


「逃げろ、トーコ!」


 道彦が叫び、わたしはくるりと体を反転させると、来た方向に引き返し始めた。

 走り始めて間もなく、後ろから「どこ走ってんだ、トーコ。変だぞ」と声が聞こえた。


「えっ、何?」


 足を止めて振り返ると、こわばった表情でこちらを見ている道彦と目があった。


「俺たち、遊歩道に戻ってないぞ、たぶん。怖さで方向感覚がおかしくなってるんだ」


 道彦に指摘され、わたしはぞっとした。たしかに、この早さならもう遊歩道に戻っている頃だ。するとここはいったい、どこなのか。


「本格的に迷ったな。こりゃあ」


 道彦は状況にそぐわない呑気な声で言った。わたしたちはまっすぐ走っているつもりで、やみくもに逃げてしまったのだ。


「ごめんなさい。方向を決めてまっすぐ歩いていけば、遊歩道にぶつからないかな」


「確率は五分五分かな。遊歩道じゃなくても「小鳥の家」にぶち当たれば戻れる」


 わたしと道彦は顔を見合わせ、どちらからともなく「とにかく進もう」と言い合った。


 わたしたちは木立の間が開けている方角を選んで歩き出した。しばらく進むと、なんとなく見覚えがある風景に行きついたような気がした。


「こりゃあたぶん、「小鳥の家」の近くだな。ほら向こうの方、木の数がまばらに見える」


 道彦が力強く言った。普段、あてずっぽうなことばかり口にしている道彦だが、こんな右も左もわからない、途方に暮れたような場面では頼れる一面を見せてくれるのだった。


 道彦が示した方向に向かって再び歩き始めた、その時だった。背後でひゅっと風がなるような音が聞こえた。反射的に振り向いたわたしは驚きで思わず声を上げそうになった。


 わたしたちの背後の闇に、白いエプロンドレスと光る目がぼうっと浮かび上がっていた。


「にっ……逃げろっ」


 道彦が叫び、わたしたちははじかれたように駆け出した。でたらめに木立の間を走り抜け、気が付くとわたしたちは「小鳥の家」の前に飛び出していた。


「どうしよう……追いつかれちゃうよ」


「こうなったら仕方ない、木の幹をよじ登るんだ」


「えっ」


 道彦が口にした提案は、あまりに極端で非現実的だった。


「無理よ。こんな太い幹。それにわたし、木登りなんてしたことないし」


「やってみなきゃわからないだろ。それに、他に逃げ場所なんてないぜ」


 道彦が急かすように言った直後、後ろから草を踏んでやってくるような音が聞こえた。


「来たっ、とにかくよじ登ろう」


 道彦がそう言って木の幹に近寄った、その時だった。突然、幹の上に刻まれている皺が左右に広がったかと思うと、幹の中央に人が入れるくらいの大きな「うろ」が出現した。


「早く中に入れ、人間よ」


 ふいにどこからともなくひび割れた声が聞こえ、わたしたちは思わず顔を見合わせた。


「木の中に入れってさ。どうする?」


 道彦がうわずった声で聞いた。お化けにつかまるか、それとも悪魔の木に飛び込むか。二つに一つだ。わたしは唾を飲みこむと、決意を固めた。


「行きましょ。せっかく悪魔が招待してくれたんだもの」


             〈第八回に続く〉

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