第6話 小鳥の家の招待客


「クロバトロス?ふーむ、どこかで聞いたことがある気がするな」


 わたしたちから図書館での一件を聞きおえた和臣は、難しい顔になって腕組みをした。


「その、ミルチというのが化け物を食らう「小さな悪魔」であることはおそらく間違いないだろう。クロバトロスというのはそのミルチが移動するとき、背中に乗る黒鳥のことだ」


「じゃあ「小さな悪魔」は、やっぱりこの町にいたんだ」


 道彦が目を輝かせて言った。わたしはもうたしなめるような事はしなかった。怪鳥がいたのだから、悪魔だっているかもしれない。ほんの少しだけれど、そう思い始めていた。


「そう言えばあのマエストロとかいうおじさんも、普通の人間には見えなかったな」


 道彦が同意を求めるようなまなざしをよこし、わたしは素直にうなずいた。

 怪鳥と言い合いをするような人間は、少なくともわたしの知っている範囲にはいない。


「お前たち、悪魔について調べるのはいいが、悪魔が化け物を退治するのを邪魔してはならんぞ。それは食うものと食われるものの神聖な関係を乱すことになるからな」


「うーん。でも見てみたいな。悪魔と化け物の戦い」


 道彦は不服そうに口を尖らせた。この強気が化け物の前でも続くかなあ、とわたしは疑いの目で道彦を見た。


「なあトーコ、これから図書館に行かないか?もしあの本が戻ってたら俺、借りてこようと思ってるんだ。借りてきたら「雨迷人」で読もうぜ」


 鼻息を荒くしている道彦を前に、わたしは珍しくくちごもった。


「ええと、あの……」


 わたしは通学バッグをそっと開けると、中から一冊の本を取り出した。


「え?……トーコ、まさかそれ……」


「ごめん、黙ってて。昨日、図書館に行って借りてきたの。わたしもずっと気になってて」


 わたしがおずおずと差し出したのは「希人町異聞(3)「小さな悪魔の話」」

だった。


                 ※


「あー、おいしかった。これが「雨迷人」裏メニューの「えとらんぜカレー」かあ」


 道彦はきれいに平らげたカレーの器をスプーンで叩きながら言った。称賛したい気持ちはわたしも同じだった。この味をわたしが作れるようになるにはあと何年、かかるだろう。


「すげえや。これ、ジューゾウが作ったの?」


 道彦が器を下げに来たジューゾーに尋ねた。わたしはジューゾーが何と答えるか興味津々だった。


「お馬鹿ねえ。私が作れるわけないでしょう。オッちゃんに決まってるじゃない」


 ジューゾーはさも当然のように言うと、カウンターの奥で鼻歌を歌っているマスターの方を見た。

 道彦が「だと思った」と返すとジューゾーはふふんとせせら笑い、「学校のお勉強もいいけど、外に出たら人を見る目を学ばなきゃ」とよくわからない説教を垂れた。


「覚えときます、お姉さま。……それはそうとトーコ。例の本、早く出せよ」


 道彦はいきなり身を乗り出すと、わたしをせかした。わたしはテーブルの上にカレーの滴が残っていないかを確かめ、バッグから「希人町異聞」を取り出した。


「ええと……気になる記事があったのよね」


 わたしは目次を頼りに、ページをめくった。是非とも見てもらいたい部分があったのだ。


「あ、ここよ。「「小鳥の家」をたずねた男の話」」


 わたしが文字の多いページを指で示すと、道彦が待ち切れないというように覗きこんだ。


 ページにはモノクロの写真と、鉛筆書きのラフな絵が載っていた。写真はすっかりおなじみになった巨木のもので、絵の方は室内を描いたと思われる、一風変わったものだった。


「見てこの絵。これ、ひょっとして「小鳥の家」の中かな」


 わたしが言うと、道彦は「そうかもしれないな」と短く返した。わたしがこのページに惹きつけられたのは、何と言ってもこの絵があったからだ。


 描かれていたのは、籠のような壁に四方を囲まれた狭い室内の様子だった。絵には人間を含む生き物が三体、描かれており、そのうちの一体は「クロバトロス」だった。


「男の人は人間だとして……この、鳥の背中に乗っているのが「小さい悪魔」かな」


 わたしは絵を見ながらつぶやいた。絵には天井に頭がつかえている男の人が描かれており、その向かい側に「クロバトロス」と、その背に乗っている赤い髪の女の子とがいた。


「この女の子が「ミルチ」か。見たところ、人間みたいだけど」


「でも良く見て。耳が尖ってるし、尻尾みたいなものがあるわ」


 わたしが指摘すると、道彦は「うーん」と唸った。女の子は猫を思わせる大きな目をしており、黒い寸詰まりの袖なしワンピースを着ていた。

 頭と体が同じくらいの大きさで、顔はともかくサイズとバランスがどう見ても人間のものではない。


「記事を読んでみるね。「それではここで「小さな悪魔」と直接会って話をしたという人物の話を紹介しよう。その人物は矢凪一童やなぎいちどうという教師で、町の郷土史を研究している人物である。


 一童は夜な夜な町に出没し、人々を震え上がらせている「界魔」の噂を聞いて回っていたという。ある時一童は「界魔」を食べる「小さな悪魔」の噂を聞きこみ、悪魔が住むという「異界の森」へと足を運んだ。そして森の番人ともいわれる楢の大木の、鳥籠のように膨れている部分を悪魔の巣だと考えた。


一童はどうにかして「鳥籠」の内部に入ろうと幹を登り始めた。……が、途中で足が滑り、あっさりと転落した。意識を失った一童が次に目を覚ました時、目に映ったのは見たこともないような奇妙な風景だった」……だって。それがこの絵というわけね」


 わたしがいったん言葉を切ると、道彦が続きをせがむような目を向けてきた。私は黙ってページの終わりを指さした。


「あれっ、ページが破れてる」


「マエストロの仕業かもしれないわね。どっちにしろこの先は一童っていう人と「小さい悪魔」が話した内容が書いてあったに決まってるわ。……もう、最悪」


 わたしが頬を膨らませていきどおっていると、道彦が「しょうがないよ」と珍しくしおらしい言葉を口にした。


「書いてないなら、じかに会って聞けばいいんだ」


 思いもよらない発言にぎょっとした私は思わず「本気なの?」と聞き返していた。


「ああ、本気さ。……だってこの人、木から落ちただけで中に入れてもらえたんだろう?同じことをやればまた、入れてくれるさ」


 道彦のあまりにのんきな顔と発言に、わたしはげんなりした。


「本の中身と同じことをする気?わたしはつき合わないわよ」


 わたしが釘を刺すと、道彦はちっちっと舌を鳴らした。


「別に同じことをする必要はないよ。……ちょっと今、ひらめいたアイディアがあるんだ」


 得意げに人差し指を振って見せる道彦に、わたしは早くも不安めいたものを覚え始めていた。


              〈第七話に続く〉

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