第5話 怪紳士は図書館がお好き


 希人町の町立図書館は、びっくりするほど古めかしいたたずまいだった。


 学校とは反対側にある、平地の住宅地にひっそりと建っている木造の建物を見た瞬間、わたしと道彦は「お化け屋敷みたい」と思わず口ばしっていた。


 真っ黒な木の扉を押し開けて中に入ると、「去来堂」とはまた違った埃と古い木の匂いがわたしたちを包んだ。


「先生とおじいさんの言ってた本って、どこにあるのかしら」


 わたしがあたりを見回しながら言うと、道彦が「聞いてみようぜ」と貸出カウンターの方に目をやった。カウンターの内側には中年の女性司書が一人でおさまっていた。


「あのう……」


「はい、なんでしょう」


「希人町異聞(3)小さな悪魔の話」っていう本を探してるんですけど、ありますか」


 わたしは貸出係がどんな答えを口にするのか、どきどきしながら待った。なにしろこの図書館には見たところ、検索用のパソコンらしきものが一台も見当たらなかったからだ。


「その本でしたら、地下の「寄贈本コーナー」にあるはずですよ」


 道彦はあまりの即答ぶりに感心したのか、「すごいですね。題名だけでわかるんですか」とさらに問いかけた。


「ええ、わかりますよ。その本はなぜか繰り返しご覧になられる方がいて、自然と場所を覚えてしまったんです」


「へえー。そんな人がいるんですか」


 道彦は戻ってくるなり「すごいぜ、もう見つかっちゃった」と興奮した口調で言った。


「地下だってさ。もっとかかるかと思ってたら、あっさり教えてくれたよ。しょっちゅう、読みに来る人がいるんだって」


「どんな人なのかしら」


「そりゃ、うちのじいちゃんや熊倉先生みたいな変わった人に決まってるさ。悪魔の話ばかり何度も読みに来る人だぜ?」


 わたしたちはそんな会話を交わしながら、みしみしと音のする木の階段を降りていった。


 地下のフロアは狭く、本棚の数も少なかった。探し始めてほどなく、わたしたちは「寄贈本コーナー」という表示のある一角にたどり着いた。


「ここだね、貸出カウンターの人が言ってたのは」


「棚も四つしかないし、手分けすればすぐ見つかるんじゃない?」


「よし、探してみよう」


 わたしたちは早速、棚に収まっている本の背表紙を、片っ端からあらためていった。すると、ものの数分も経たないうちにそれらしい題名に行き当たった。


「これだ。「希人町異聞……あれっ(2)と(4)しかないぞ」


 背表紙をあらためていた道彦がふいに声を上げた。わたしは思わず道彦の肩越しに棚を覗きこんだ。「希人町異聞」はあるにはあったが、道彦の言う通り(3)だけがなかった。


「おかしいな。貸出中なら、さっきそう言ったはずだぜ。どこかで閲覧中ってことかな」


「でもコーナーはここだけよ。本を持って館内をうろついてるってこと?」


 わたしたちは「寄贈本コーナー」をいったん離れ、一階に戻ることにした。


「さっき見た「希人町異聞」の表紙と同じものを読んでいる人を探そう」


 道彦はそう言うと、閲覧テーブルに向かっている利用者を一人一人、探り始めた。


 やがてわたしたちは窓際の一角に、それらしい本を開いている人物を見つけだした。その人物はわたしが想像していたような学者タイプの人ではなく、ひょろりと背の高い外国人だった。


「あの人、どういうお仕事をしてるのかしら」


 わたしは思わず浮かんだ疑問を口にした。偏見かもしれないが、どう見ても昼間の図書館に似合う外見とは言えなかったからだ。年齢は四十前後くらい、高い鉤鼻といやらしくカールしたちょび髭のその人物は、食いいるように「希人町異聞」を読みふけっていた。


 わたしたちが遠巻きに見つめていると、突然、その人物は奇妙な行動に出始めた。いきなり本を閉じると、どこからともなく取り出した布の袋にすとんと落としこんだのだ。


「あっ、本泥棒……」


 道彦が押し殺した声でそうつぶやくのが聞こえた。たしかに、貸出前の本をしまってしまうのは感心できない行為だ。でも、ひょっとしたらそうやって袋に入れたまま、カウンターまで移動するのかもしれない。わたしがそう思いかけた、その時だった。


 人物は立ちあがると袋を手にしたままテーブルを離れ、窓の方に移動を始めた。


「なにする気だろう」


「わからない。……でも本泥棒だったら決定的な証拠を押さえなきゃ」


 道彦が強い口調で言った直後、人物は思いもよらない行動に出た。なんと窓のクレセント錠を勝手に外すと、ゆっくりと開け始めたのだ。


「あいつ……本だけ外に出すつもりだ」


 なおも見続けていると、人物は道彦の言葉通り袋をたずさえた手を窓の外につき出した。……と、次の瞬間、窓の外で信じがたい出来事が起こった。どこからともなく現れた一羽の黒い鳥が、窓の外につき出された布袋を鋭いかぎ爪でわしづかみにしたのだ。


「あっ、お前はっ」


 黒鳥が布袋を奪って飛び立った瞬間、人物の口がそう動いた。ばさばさという羽音がわたしたちのいる場所まで聞こえ、続いて人物の舌打ちが聞こえた。


「くそう、人の物を横からかっさらっていくとは、とんだ泥棒鳥だ」


 人物は流ちょうな日本語でそう言うと、くるりと体の向きを変えて駆け出した。


「……どっちが泥棒だよ、まったく」


 道彦が笑いを噛み殺しながら言った。わたしはふと、森で見た怪物の姿を思い起こした。ほんの一瞬だったが、鳥の顔が人間のそれだったように見えたのだ。


「追いかけましょ、多分外に出ていくわ」


「そうだな、行こう」


 わたしたちは距離を置いて人物の後を追い始めた。予想通り人物は図書館を飛びだすと、交差点で立ち止まって空を見上げ始めた。そしてしばらく動きを止めていたかと思うと、急に住宅の多い方向へと走りだした。


「……しかし飛んでる鳥だぜ。どうやって捕まえるのかな」


 後を追いながら、道彦が言った。もっともな話だ。わたしは少し考えた後「さあ」と言って肩をすくめた。やがて住宅の合間にある小さな更地の前で、人物が立ち止まっているのが見えた。わたしたちは怪しまれない程度の距離を置いて、人物の動きを見つめた。


「出て来い、クロバトロス。お前の仕業なのはわかっているんだぞ」


 人物がそう叫ぶと、驚いたことに放置されている段ボール箱の陰から、先ほどの黒い鳥――森で見た怪物だ――が、姿を現した。


「あいかわらず、せこい悪事を働いているようだな、マエストロ。この本を盗んでどうするつもりだった?」


 わたしたちはあまりのことに、その場にピンで止められたように動けなくなった。


「……ふん、お前さんに教える義理はない。人聞きの悪いことを言うのはやめてもらいたいね」


 道彦と一緒でなければ、わたしは自分が夢を見ていると思ったに違いない。なにしろ目の前で起こっているのは、人間の顔をした鳥と、おかしな外人の口喧嘩なのだ。


「じゃあ、言ってやろう。お前さん、この本にミルチの弱点か何かが書いてあると思ったのだろう。あの子の仕事を邪魔するヒントはないかとな」


 黒い鳥が言うと、マエストロと呼ばれた人物はうっと呻いて押し黙った。


「……まったくいやなじいさんだよ、あんたは。……そうさ、ミルチが「界魔」退治に乗りだしたと聞いたんで、ちょっとばかしちょっかいを出してやろうと思ったのさ。なにせあのガキにはさんざん、痛い目を見させられているからな」


「それはお前さんが「界魔」騒ぎを利用して金やら物やらをかすめ取ろうとするからだろう。「界魔」を退治されて腹を立てるのは逆恨みというものだ」


「いちいち説教臭い化け物だな、あんた。とにかくその本をこっちによこしな」


「それはならん。私がこっそり返しておくことにする」


「このお、下手に出ていればつけあがりやがって。……焼き鳥にしてやろうか」


 マエストロはそう叫ぶと、どこからともなく黒いステッキを取り出し、持ち手の部分を自分の口に押し当てた。黒鳥が羽ばたくのと同時に、ステッキの先からバーナーのように炎が吹き出した。


「あっ、危ないっ」


 そう声を上げて飛びだしたのは、道彦だった。次の瞬間、マエストロが動きを止め、驚いたような表情でこちらを見た。同時に頭上で羽ばたきの音が聞こえ、振り向くと飛び去ってゆく黒い影が見えた。


「……とんだところで邪魔が入ったな。……だからガキは嫌なんだ」


 そう捨て台詞を吐くと、マエストロはわたしたちにくるりと背を向け、走り去った。


「……なんだったんだろう、今の」


 道彦が興奮し切った声で言った。わたしも同様に、興奮を抑え切れずにいた。


「とにかく先生とおじいさんに報告しましょ。信じてもらえないかもしれないけど」


「こうなったら意地でもあの化け物を捕まえて、先生とじいちゃんにに見せてやる」


 道彦はそう言うと、クロバトロスと呼ばれた黒鳥が飛び去った方角の空をにらんだ。


 それにしても、とわたしは思った。「カイマ」って何だろう。そしてそれを退治する「ミルチ」って何だろう。ほんの少し聞こえた会話の中身が、頭の中でいつまでも回っていた。


               〈第六回に続く〉

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