第3話 作戦会議は本の中


「ばっ……化け物だっ」


 道彦は怯えた声を上げると、その場に尻餅をついた。驚いたことに「化け物」は、わたしたちが大きな声を上げても一向にひるんだ様子を見せなかった。


「あ……あ……あんた、人間?」


 道彦は腰を抜かしたままの格好で、問いを放った。怯え切っているにもかかわらず、カメラだけは手放さないところはさすがだった。


「ふむ……まだ「異界の者」を恐れぬ子供がいたか。この町もまだ捨てたものではないな」


「化け物」はつき出たくちばしから、あきらかにわたしたちと同じ言葉を吐いた。


 やがて「化け物」は大きな羽音とともに舞い上がると、またたく間に高みへ消えていった。


「あれは鳥じゃない!……鳥だけど鳥じゃない!」


 道彦はうわごとのようにそうつぶやくと、呆けた顔で夜空を仰いだ。


「本当だったね、妖怪」


 わたしが敗北宣言ともとれる言葉を口にすると、道彦は「あんなのがいるなんて……話が違うぜ」とか細い声で言った。


「ね、細野君、今日はもう帰ろうよ」


「あ、ああ。動画も撮れたしな。長居は無用だ」


「それもあるけど……今日はもう暗いし、動画だってきれいに撮れないでしょ」


「えっ?」


「この次は昼間に来ようよ。もう一度「小鳥の家」のまわりを調べるの」


「…………」


 わたしは目を丸くしている道彦を尻目に、黒々とした巨木のシルエットを見つめた。


 この森には何かがいる。人間のようで人間じゃない、ワクワクするような何かが。


                 ※


「トーコ、今日の放課後、なんか用事ある?」


 掃除を終えて道具を片付けようとしていたわたしに、道彦が言った。


「特にないけど……なに?」


「……用がないなら、今日、うちのじいちゃんとこに寄れよ。作戦会議だ」


「作戦会議?」


 子供じみた言葉にわたしは思わず眉をひそめた。が、道彦の表情は真剣そのものだった。


「そうだ。一昨日、森で撮った動画があったろ?あれさ、まともに写ってなかったんだ」


「どういうこと?」


「たしかに「なにか」は写ってるんだけど、赤いもやっとした光しか見えないんだ。きっと、化け物は動画や写真には写らないんだ。うちのじいちゃんなら色んなことを知ってるから、一緒に話を聞こうぜ」


 わたしは教室の片隅で冒険の話をはじめた道彦を、相手にすべきか迷った。道彦の祖父は古書店を営んでいて、知識の豊富な老人だった。わたしは「雨迷人」で何度か接客したことがあり、ちょっとした言葉のはしばしに頭の良さを感じていた。


「細かい部分は忘れたけど、森には昔、悪魔が住んでいたとかいう話を小さいころ、聞かせてもらった覚えがあるんだ。じいちゃんならあの化け物の名前を知ってるかもしれない」


 わたしはがぜん、興味をそそられた。化け物はともかく、あの巨木にはなぜか心惹かれるものがあるのだ。


「じいちゃんの話だと、あの楢の木には「小さな悪魔」と「悪魔の乗る黒い鳥」が住んでいるんだって。……どうだい、話を聞いてみたいだろ?」


 道彦は、わたしの心のうちを見透かすように勿体をつけてみせた。


「……まあね。ちょうどひまだし、ちょっと興味はあるかな」


 わたしが気のない風を装うと道彦はしてやったりとばかりに「よし、決まった。三時半に「雨迷人」の前で落ち合おうぜ」と言った。


「どうして「雨迷人」の前なの?」


「そりゃあ……」


 道彦が質問に答えようとした瞬間、わたしははっとした。噂好きのクラスメートたちが、先ほどからこちらのやり取りをちらちらうかがっている事に気づいたのだ。


 やがてわたしたちはどちらからともなく、同じ言葉を口にしていた。


「変な噂が立つと困るから」


                ※


 道彦の祖父、和臣の店は「去来堂」と言い、坂を下り切ったところにある交差点に面していた。


 ぶ厚いガラス戸を押し開け、薄暗い店内に足を踏み入れると、かび臭い空気が鼻をついた。


「前を通ったことはあっても、中に入ったのは初めてだろ?」


 道彦は面白がるように言うと、わたしを店の奥へといざなった。


「おう、道彦か。そっちは……と、ああ「雨迷人」のトーコちゃんか。そういえば道彦の同級生だとか言っとったな。古本屋に来るのは初めてかね」


 山のように積まれた古書の間から、分厚い眼鏡をかけた老人が鋭いまなざしをよこした。


「こんにちは、ええと……」


 わたしは和臣を前に、がらにもなく口ごもった。店で働いている自分ではなく、ただの中学生として接するのが妙に気恥ずかしかったのだ。


「こんな辛気臭い場所はなかなかなじめんだろうが、まあ楽にするといい」


 和臣はそう言ってわたしたちに椅子を勧めた。


「どうせこの時間は客もろくにこんからな。お茶でも飲みながら話すとするか」


 そういうと、和臣は本に囲まれてかしこまっているわたしたちにお茶をふるまった。


「さて、何から話せばいいかな。ええと……」


 和臣が腕組みをして、宙をにらんだその時だった。扉が開く音が聞こえ、誰かが店内に入ってきた。


「ご主人、例の本は見つかりましたか……おやっ?お前たち、珍しいな」


 聞き覚えのある声に振り返ったわたしたちは、同時に「あっ」と声を上げていた。


 本棚の間で目を丸くしているのは、わたしたちの担任、熊倉久寿男くすおだった。


              〈第四回に続く〉

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